負け戦

 しくじった。


「――フロストプリズン!」


 ぼくがフィリアに気を取られたのは2秒程度。


 動く気配に応じて指先で位置を指定し、シラタマに捕縛用の氷の檻を作り出してもらった。


「ちっ」


 しかし低い姿勢で駆け出したゲドラの動きは予想以上に早く、檻が形になる頃には既にその場所には居ない。


 タイムラグも踏まえて指定したのに、相手はそれを上回っている。


 あそこまで速いとフカヒレやブラウニーじゃ無理だ。


「来いっ!」


 ゲドラが叫びながら鉤爪を振るう。


 軌跡が空中に黒い渦を描き、そこから成人男性ほどの大きさの巨大な蜘蛛が姿を現した。


 召喚魔術は様々な要因が絡む複雑な術式だ、それを再現できる魔道具はまだ存在していない。


 アーティファクトを保有する犯罪者かよ、通りで名が知られてるはずだ。


「キャアアアア!」

「ガキどもを押さえろ! その狼人には傷をつけるな!」


 大蜘蛛が爪を振り上げ、生徒たちを威嚇しはじめる。


錬成フォージング


 せめて足を止めようと錬成で甲板を変形させるけれど、ゲドラは呼び出した蜘蛛の背中を足場代わりに使った。


 そうだ、あいつは島の中でぼくの行動を監視していた。


 完全ではないけど、人前で気軽に使えるような手札は把握されている。


 こっちに来るならまだ対処も出来るのに……!


 どこぞの都市国家の暗部連中とは雲泥の差だ。


 スフィもノーチェも、唐突な展開にまだ思考が追いついていない。


「あっ……」


 とっさのことで動けないまま表情を引きつらせたミリーの腕を、ゲドラが掴む。


「連れて行け!」

「うわぁぁぁ!?」

「グギャル!」


 ゲドラがミリーの腕を引っ張り、その身体を放り投げる。


 スカートを抑えたまま飛んでいったミリーを魚人たちが受け取り、流れるように海へと飛び込んでいった。


「フカヒレ、追って」

「シャアッ!」


 水中ならフカヒレだって魚人に引けを取らないので、追跡を任せる。


 逃げる魚人を追ってフカヒレが海に潜るのを見送ってから、振り返ってゲドラを睨んだ。


「まじむか」

「放って置いても厄介だし、愛し子相手じゃ迂闊に手もだせねぇ。どうしたもんかね、お前さんは」

「ぼくは愛し子じゃない」

「精霊3体も従えて何言ってんだ」


 誤解してるならそれはそれでいいけど、一応否定はしておく。


「見逃してくれるならこっちも助かるんだがな?」

「無関係の騒動ならまだしも、クラスメイトが関わってる……それに」


 横目でちらりと見たフィリアが、見たこともないような表情でゲドラを睨んでいる。


 細かい身の上話を聞いていないから推測しかできないけど、浅からぬ因縁があることは伺い知れた。


「どうやらうちの身内と因縁があるみたい」

「参ったな、覚えがありすぎる」


 当たり前だけど、こいつも恨まれる覚えはあるようだ。


「道具を恨むことにどんな意味があるかはわからないけど、感情の問題だから」

「……お前本当に見た目通りの齢か?」


 どこか他人事のような態度や感情の動きからして、こいつは自分の思想や信条に基づいて暗殺者をしている人間じゃない。


 仕事として淡々と処理しているタイプ……自分が道具であると割り切っている側の人間だ。


 そういうのに正義や信義を問いかけたところで、意味があることとは思えない。


 だけど。


「友だちが許せないと言う相手を、あえて許す道理もない」

「決裂だな」


 ぼくは実力でゲドラを捉えられない、ゲドラはシラタマたちが怖いのでぼくに手を出せない。


 だとすれば取る手段は周囲へ被害を与えると脅す人質作戦だろうけど、そんなことをしている時間的猶予もない。


 スフィとノーチェも困惑しながらゲドラに意識を集中しつつある、ふたりを舐めていないからこそ奴はますます動けない。


 場に不思議な均衡が生まれていた。


 不意に奴が動く気配がした。


「あっ!」

「ふえ?」

「にゃ!?」

「――錬成」


 驚愕の表情を顔に貼り付けて背後を指差すゲドラの足元に錬成をかけて、足に木材を絡みつかせる。


 が、避けられた。


「引っ掛かれよ! 可愛げのない!」

「それに引っかかる奴が参謀なんてできるわけないだろ」


 何とか捕まえようと錬成を使っても、ステップで回避されてしまう。


「さっきから何の術だ、精霊術か!? 祈祷術か!?」

「……」


 まずい、陽射しの中で集中して動きすぎた。


 手足が震えて、座っていることすら辛い。


 シラタマやブラウニーがぼくから離れられない理由もこれだ。


 ふたりとも、気を抜けば即倒れるぼくを心配して自由に動けない。


 せめて体調がもう少し良ければ。


 悩んでいる間に気配がひとつ、凄まじい速度で近づいてくることに気付いた。


「盾になれ!」


 ゲドラも気付いたのか、生徒を威嚇させていた大蜘蛛を自分の近くに集める。


 程なくして飛び出してきた影がそこに突っ込み、大蜘蛛ごとゲドラを吹き飛ばす。


「グうっ!」

「……申し訳ありません、遅れました」


 防御姿勢のまま船縁に叩きつけられたゲドラがうめき声をあげる。


 奴がさっきまで居た場所では大遅刻のハリード錬師が、蹴りを放った体勢のまま珍しく不機嫌そうな声を出していた。


 ほんとに遅えよ。



「アリスさん、顔色が酷く悪いですが」

「取り繕える限界点を超えただけ、気にしないで」


 動けないけど、動かずにサポートする分には問題ない。


「ちっ、一番来てほしくないやつが真っ先に来やがった」

「ここに至ってここまで回りくどい手を取ってくるとは、想定外でした」

「ガキどもの中に厄介そうなのが居たんでな、こっちも予定変更するはめになったんだよ。本当は島にいるうちに連れて行くつもりだったんだけどな」

「心中はお察しします」


 まるでぼくが原因みたいなことを言う。


「ハリード錬師」

「はい」

「なんで時間稼ぎに付き合ってるの」


 どうやらゲドラはさっきの蹴りのダメージが大きいみたいで、身体の回復を待っているようだった。


 じゃなきゃこんなペラペラしゃべらない。


「チッ」


 脇腹を押さえるゲドラが、忌々しいものを見るような視線をぼくに向ける。


「こちらも時間が欲しかったもので」


 言われて耳を動かすと、気配が海面へ移動しているのがわかった。


 なるほど、小型船で逃げ場を塞ぐために待っていたのか。


「あいつ魚人と組んでる、例の子が攫われた」

「……最悪ですね」


 状況を端的に説明すれば、理解したのかハリード錬師が深い溜息を吐いた。


「だとすれば海の包囲は無駄でしたね」

「さっさと倒してしまうのが吉」

「時間を与えたのは失策でした――」


 僅かに身を屈めたハリード錬師が甲板に足の形の凹みを作りながら飛び出し、船縁を蹴り砕いた。


 ゲドラはそれを避けて甲板を転がっている。


「『剛烈脚ごうれつきゃく』」

「直にやりあうのは、無理かっ!」


 轟音を立てて蹴り抜かれた脚が武技の光をまとい、盾となった大蜘蛛の身体をひしゃげさせながら空中に浮かべる。


 直接戦闘ではハリード錬師が圧倒的に優位だけど、逃げに徹するゲドラは簡単にはやられてくれない。


 ぼくが少しでもフォローしようとすれば、大蜘蛛の一体がぼくの前に立ちはだかって爪を振り上げて威嚇の体勢を取る。


 ……視界を塞がれると、さすがに満足なサポートが出来ない。


 それを解消しようとしたのかブラウニーが腕を振り回しながら近づいていくと、大蜘蛛は器用に脚を動かして逃げてしまう。


 残念ながらブラウニーに近接戦闘の心得は皆無で、マイクのように格闘技じみた動きは出来ない。


 ぶっちゃけ、運動神経が壊滅的でさえなければ避けるのは簡単だ。


 ただまぁ……。


「うひゃああ!?」

「ひいいい!」


 めちゃくちゃに振り回されていた腕が大蜘蛛の脚の1本あたり、バガッと音を立ててちぎれた脚が飛んでいく。


 脚は進路上で生徒を威嚇していた大蜘蛛の身体を粉砕し、残った爪先がその先に居るもう1体を突き刺してマストの柱に縫い止めた。


 衝撃を受け止めた船が揺れて、柱に巨大な亀裂が走る。


「ブラウ戻って、事故る」


 船体の亀裂くらいなら直せるからいいけど、素材にせよ人命にせよ失ったものは戻らない。


 錬金術は無から有を生み出す技術ではないのだ。


「……遠くから見ててもトラウマになりそうなのじゃ」

「眼の前で蜘蛛が弾けたらそうなるにゃ」


 蜘蛛から開放された安心感からか抱き合って泣く生徒たちから目を逸らし、ハリード錬師の戦いを見守る。


 脚を失ってなお大蜘蛛は壁役を果たしているので、手が出せない。


 シラタマは……気候のせいで使える力が少ないから、ぼくを守る以外で残りを使う気はないらしい。


 繰り出される凄まじい蹴りを鉤爪や蜘蛛を駆使して凌ぎながら、ゲドラはどんどん船縁に近づいていく。


 それを確認したハリード錬師の動きが止まる。


「ハリード先生! どうして止めるんだ!」


 明らかに優勢だったのに攻撃を止めてしまったハリード錬師に向かってルークが叫ぶ。


「あいつ逃げ足すごい」

「どういうことにゃ?」

「逃げようとしたら撃ち落とせる、防がれて飛ばれたら逃げ切られる」


 自分から海に飛び込めば隙が出来る、ハリード錬師はそこを見逃す甘い人じゃない。


 だけど攻撃に乗じて海に飛ばれて距離を稼がれれば、海中に逃れる事が出来てしまう。


 押されながらも攻撃に乗じて海に逃げられる位置を確保した。


 指名手配になってなお、捕まえられない理由がよくわかる。


「うおおおおお! 隙ありぃぃぃぃ!」


 膠着状態を打ち破ったのは、暑苦しそうな声。


 槌を持った護衛役が功を焦ったのか、見るからに"隙だらけ"にしているゲドラに合流する勢いで突進してきたのだ。


「ッ」


 止めようとしたハリード錬師の前に大蜘蛛が立ちはだかる。


「錬――」

「ヂュリリ!」


 ふらつきながら手を向けて転ばそうとしたぼくにも大蜘蛛が爪を振り上げて襲い掛かってくる、シラタマがすぐに巨大な氷の刃で蜘蛛の頭部を潰した。


 殆ど同時にハリード錬師も大蜘蛛を撃破したけれど、その頃にはもうゲドラは海に向かって飛び出していた。


「待てぇ! 『バッシュ』!」


 戦士が追いかけながら槌を振るって衝撃波を飛ばしたが、ゲドラは空中でひらりと身を翻し、そのまま海中へと消えていった。


「包囲してるんだ! 逃げ場はねぇぞ! 浮かび上がってきたところを仕留めてやる!」

「……ハァ」


 威圧するように叫ぶ戦士の横で、ハリード錬師が頭痛を堪えるように眉間を押さえていた。


 相手は魚人を雇っている、甲板にあがってきたのが全部とは思えない。


 とっくに海中から包囲を脱出していることだろう。


「おつかれー」


 シラタマに出して貰った氷を口に頬張って舐めながらビーチチェアに寝転がる。


 船酔いと陽射しと集中と戦闘で体調は最悪だ。


「アリス、フィリアがへんなの! っておかお真っ白だよ、だいじょうぶ!?」

「事情はあとで聞こう、シャオ……いや、ノーチェに任せておけばだいじょうぶ」


 何となく状況を察したのか、へたりこんで海を睨んでいるフィリアの元にノーチェが向かっていた。


 ノーチェはぼくなんかよりよほど気配りが出来る、心のフォローなら任せたほうがいい。


 攫われた子も愛し子なのは相手もわかっている、精霊まみれのぼくに手を出してこないあたり、愛し子に手を出すやばさはしっかり認識しているようだ。


 緊急的な危険はないだろう、重要なのは遠くに放棄される前にどうやって助け出すかだ。


 あとはフカヒレの追跡が成功していることを願うしか無かった。

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