鉤爪のゲドラ
甲板の上では乱戦がはじまっていた。
「ボルトザッパァァァ!」
「げいるすらっしゃー!」
雷は迸り、風の刃が飛び、そのたびに魚人たちが倒れていく。
「のじゃああ!? 待て! 待つのじゃ! そんないっぺんにくるんじゃないのじゃ!!」
その横を、泣きべそをかいたシャオが逃げ回っていた。
いや、有利にたったところまではよかったんだ。
シラタマに呼ばれて突出していたブラウニーが戻り、ぼくの周辺の守りに専念しはじめたところで乱戦が始まっちゃったわけなんだけど。
ブラウニー越しに調子に乗っていたシャオが見事にヘイトをお買い上げ、猛る魚人たちに追いかけられる事になったのであった。
「ひいい! かすった! かすったのじゃ!?」
「あんだけ言ったならちょっとは戦うにゃ!」
「この数は無理なのじゃ!」
推定10人以上の魚人に追い回されるシャオはご愁傷さまってかんじだ。
ぼくもちょくちょく錬成で甲板を弄ってコケさせたりとサポートしてるけど、全然減らない。
「やれやれ」
「アリスちゃん、余裕ぶってないで逃げようよ!」
寝転んだままジュースを一口飲んで、やれやれと肩をすくめているとポキアに怒られてしまった。
「ちがうの! アリスかおいろわるいもん! 気持ちわるくて動けないんでしょ!?」
「え、そうなの?」
「はい」
戦いながらのスフィのフォローにポキアとプレッツが驚いた顔をする。
実際に酷いめまいと吐き気なので、今立ち上がると確実にそのまま倒れ込む。
「見た目がなんとなく納得いかないのは、わかるけど……アリスちゃん弱ってる時、いつも平気な顔するから」
「この状況下でぼくが"具合悪いでーす"なんて態度取ってたら、敵に狙われるしぼくのカバーに意識が取られるでしょ」
「え、えぇ……?」
フィリアの言葉に頷いてみせる。
こういう時にこそ平気だぜって態度を取らないと。
だからシャオがうまくヘイトを集めて、見事に釣り役をこなしくれたのはナイスだった。
まぁ、ちょっと集めすぎたのが困りもの。
「前々から思っていたが、強い……!」
何とか対抗しているルークが、暴れまわるスフィとノーチェの強さに驚きの声をあげている。
低い姿勢で魚人の間を駆けまわるスフィの姿は正しく狼と呼ぶに相応しいもので、ぼくの作った剣から放たれる風の刃は魚人を軽々と吹き飛ばしている。
ノーチェは雷をまといながら荷物の上を飛び回り、上空から奇襲をかけている。
相手側に強者が居ないのもあって、2人は問題なく敵の数を減らしていった。
足音が近づいてきたのは、戦闘がほぼ落ち着いた頃。
「これは……大丈夫か!?」
見覚えのある冒険者の青年が、慌てた様子で戦闘が行われている甲板に出てきた。
たしか最初の日に木の上で設営中のぼくたちを見ていた冒険者だ。
「けが人はいないか! すぐに応援が来る、こっちにくるんだ!」
大人の登場に生徒たちに安堵の雰囲気が広がる。
「い、いきなりこの人たちが襲ってきて!」
「あぁ、ここは引き受ける、落ち着いて中に……」
生徒たちにそいつが近づく為に一歩踏み出した先に、シラタマの放つ白氷の杭が突き刺さる。
「うわっ! こら、危ないじゃないか! 誰だ!」
「そこから一歩でも近づけば、全力で攻撃する」
「え、え!?」
何とか逃げ延びて倒れているシャオと、それを介抱しているフィリアはそのまま。
戦闘を切り上げたノーチェとスフィが素早く走ってくると、ぼくと冒険者の間に立ち剣を構えた。
こういうのも以心伝心っていうんだろうか、細かい説明を省いてもなんとなく察してくれてすごく助かる。
「どういうつもりだ?」
シラタマに視線で合図を送り、ゆっくりと上体を起こして男を横目で睨む。
そもそもだ、このタイミングで気付いて、なおかつひとりだけで引き返してくるのがおかしい。
「なんでひとりで来たの?」
「一番先に気付いたのが俺だからだ」
心臓がトクンと小さく跳ねる音がする。
「じゃあ、なんで気づいたの? ここにいる子たちは誰も伝えに行けてないけど」
「船の行く先が変わっているのに気付いて操舵室に向かう途中、戦っているような音が聞こえて、すぐ引き返してきたんだよ」
「普人なのに、よく聞こえたね?」
「耳は良い方なんだよ、斥候をやってるからな」
わかりやすい反応はしなくなった。
最初はハッキリとしたのに、今はまるで取り繕うように平静を保っている。
何かを隠そうとしているのがまるわかりだ。
「生徒たちを避難させるためにもどってきたんだ」
「そうだ、すぐそこに敵もいるじゃないか! こんなやり取りしてる場合じゃないだろう!?」
魚人達は男が登場するなり、武器を構えて威嚇しつつも積極的に攻撃を仕掛けてくることはなくなった。
彼がやってきてすぐの短時間だったなら、大人の登場に警戒していると取っても不思議じゃない。
だけど、この問答の最中でまで何かを待っているような対応をしているのは明らかに不自然だろう。
「おじさんが殿を引き受けるの?」
「だから、そうだって言ってるだろう!?」
「それで、逃げる最中に目当ての子を横から攫うのが手口なのか……鉤爪のゲドラ」
「――さっきから何を言ってるんだ、お前は!?」
ほんの一瞬だけ、呼吸が詰まった。
すぐに取り繕ったから、普通なら意味不明なことを言われて呆れたって感じにしか見えない。
でも、ぼくならその一瞬で充分だ。
「アリスちゃん、何言ってるの?」
「そうだよ、早く逃げなきゃ」
ポキアとプレッツをはじめとする生徒たちが困惑している横で、ルークの表情がみるみる険しくなっていく。
「お前が、鉤爪のゲドラなのか!?」
「何言ってるんだ! ちびの適当な言葉を真に受けるな! 早く避難するんだ」
ルークはスフィたちとの付き合いの中で、ぼくたちが"普通の子供"じゃないことを知っている。
だからこそ、ぼくの唐突な言葉をただの放言とは思わずきちんと考えてくれているようだった。
本当にいいやつだと思う。
「魚人相手ならこのまま対抗できる、ずいぶん遅れてる他の護衛役を待つ。立場上問題があるならぼくが責任を持つ……これで避難させずとも護衛役としての仕事を全うするために必要な要素はそろったけど」
「…………」
彼もまた護衛役としてぼくたちを監視していた、ぼくが錬金術師だと気付いているかはともかく、ハリード錬師に対して相応の発言力を持つことは知っているだろう。
また実際に魚人たちの被害はぼくとパーティメンバーであるスフィたちが食い止めていた。
他の護衛が到着するまでの間、防御に徹するくらいなら難しくないのだ。
反論しなくなった男の気配が静かに研ぎ澄まされていく。
「こいつ……!」
「ぐるるる」
ノーチェとスフィもそれを敏感に感じ取り、耳としっぽの毛を逆立てている。
「もうすぐハリードの奴が来るな……お前を警戒してここまで回りくどい手段を取ったのに、ことごとく裏目に出やがった」
「それはご愁傷さま」
どうやら初日の遊び相手をしてくれた過程で、ぼくを警戒対象と認定していたらしい。
あっさりと本性を出してくれたのは本当に時間がないからだろう。
この船にもハリード錬師を含めた手練が複数乗っている。
手引があって操舵室を占拠しているとしても、いつまでも制圧に手間取っているわけがない。
やがて甲板の騒ぎにも気づくだろう、時間が経過するほどこっちの有利になる。
「標的を捕らえて即座に海へ飛び込めば追ってこれない、魚人を雇ったのも戦闘要員じゃなく逃走要員と考えるのが自然」
「はぁぁ、やっぱ一番厄介なのはお前だったな」
人間は多数で逃げてる時が一番周囲への意識が弱まる。
例えば列をなして避難中、最後尾を歩いていた子が居なくなったことにすぐ気づくのはまず不可能だ。
大抵が避難が終わった後に居ないことに気づき、慌てて探し始める頃にこいつらはもう海の向こう。
甲板での戦闘なら弱く感じるけど、海中で逃げに徹する魚人を捕まえるのは不可能に近い。
「ぼくが体調最悪だからって大人しく船室で寝てたら、思惑通りにいってたかもね」
「そこは寝とけや、大人しく」
髪の毛をぐしゃっとかき回した男は、盛大に溜息をついて右手を構えた。
「仕事だけは果たさねえとな。馬鹿なガキだよ、気付かなければ無事に逃げられたのに……自分の勘の良さを恨め」
「勘が悪ければ気付かずにいられたことがこの世界は多すぎる……」
さっき殴り飛ばされた魚人はひとりだけなのに、大きなものから小さなものまで複数の水柱があがってたなとか。
よく見ると砕けた船縁のところにこう、破片みたいなのがこびりついてるなとか。
何故か大きなふわふわの熊さんの姿がフラッシュバックしてしまう。
「ま、安心しろ。愛し子を殺すほど馬鹿じゃねぇ、ちょっとばかし二度と帰ってこれない遠くに行ってもらうだけだ」
男の視線が、女装少年ミリーに向かう。
どんな精霊に気に入られてるのか知らないけど、怯えている彼の態度を見るに自力で打開することを求めるのは難しそうだ。
「餌の時間だ、ブラックウィドウ」
その言葉を起点に、男の腕輪が特徴的な大きな黒い鉤爪へと変じていく。
なるほど、だから"鉤爪"って異名がついたのか。
「黒い鉤爪! やはり、お前がザインバーグ子爵を殺害した……!」
悔しそうなルークの声にかぶさるように、ガシャンと大きな音が響く。
想定外の音に振り向くと、真っ青な顔のフィリアが武器を手放し口元を押さえているのが見えた。
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