夏風は海から吹く5
のんびりしてる間にも時間は過ぎて、気づけば太陽が傾き始めていた。
「それにしても、獣人の錬金術師志望とは珍しいのう」
近場の水場で身体についた塩を洗い流して軽装に着替えている最中、シャオがしみじみと言い始めた。
意外は言い過ぎかもしれないけど、シャオもラオフェンでは高度な教育を受けていたからそれなりに知識はあるようだ。
「そんなにめずらしーの?」
「目指すものがおらんそうじゃからな、そもそも」
身体能力の強化に特化している獣人は、魔力を外にだす通常の魔術はもちろん、魔力を精微に操作する技術を苦手としている。
まぁ獣人と言っても種族はたくさんいるので、適性のある極一部は普通に扱えるけども。
「いろんな街で錬金術師ギルドみてきたけど、たしかにふわふわしてるの意外で獣人は見なかったにゃ」
「アリスは知ってる?」
「外8支部に
ぼくが獣人だからか、そういう情報は普通に入ってきてた。
まったく気にしてなかったけど。
「牛人の方は海洋学者だから年単位で遠征してて籍があるだけ、狸人は薬学者でラフォスに診療所をもっていて、年の9割はそこにいるって」
「ラフォス?」
「アルヴェリア南東部にある国境地帯ど真ん中にある都市国家」
アルヴェリアは強い国だが拡張主義をもたないためか、国土はあまり広くない。
周辺には様々な小国がひしめき合っていて、竜の加護のおこぼれ狙いで属国になっている所も少なくない。
ラフォスはそんな属国のひとつで、他国との緩衝地帯に存在する都市国家だ。
通称は"常夜都市"。
男性陣が詳しくて女性陣が毛嫌いしている、『アリスちゃんみたいな子は一生知らなくていい』街。
更には狸人の錬金術師が裏のふたつ名が『エロ狸』。
さすがに察しもつく。
「牛人ってごついから、なんか学者ってイメージないにゃ」
「筋肉でアルケミストコートが弾けたって聞いた」
牛人の方は趣味が筋トレ。
その昔、調査航海に出る前に特注したアルケミストコートが、航海中の筋トレによって帰ってくる頃にはパツパツになっていた挙げ句、調査結果の発表中に筋肉で弾けたらしい。
言い訳が「移動中……特に行きは暇なんだ」で、今でもちょっとした語り草となっている。
「そんなわけで、どっちもアヴァロンには居ないんだよね」
居たらロドが相談できる相手になってくれたかもしれない。
ぼくは多分、相談相手としては最悪に近いし。
「"鍛えてくれ"なら、ぼくがやってもいいんだけど」
「アリスちゃんは教えるの向いてないと思う」
「マクス兄ちゃんが泣いてたからにゃ……」
フィリアに真顔で言われる横で、ノーチェがしみじみと頷いていた。
マクスウェルは使い走りにする代わりに鍛えてくれと言われている錬金術師候補生のお兄さん。
いまは第1階梯の認定を目指して試験勉強中だけど、教えてる最中によく泣き言を吐く。
「アリスちゃんたち、着替え終わった?」
「あ、もうちょっと!」
「すぐいくー」
暢気に喋っていると、とっくに着替え終わったポキアに呼ばれてしまった。
話を切り上げて着替えを済ませ、ぼくはスフィに背負われて自分たちのキャンプへと向かった。
■
一旦ぼくたちのキャンプ地に寄ったところ、そこでは不思議なことが起こっていた。
「いつの間にかあたしたちのテントが移転してるにゃ……」
「ほんとだ」
「荷物……は全部あるな」
いやほんとに。
何故かノーチェたちのテントがぼくたちのテントのすぐ近くに移設されている。
遺跡を探したり遊んでいる間に護衛役の大人たちが頑張ったらしい。
もう建前ぶっちぎって全力で介入してるんだけどいいのこれ。
「精霊の仕業でしょうか、不思議ですね」
「ジュリリ!」
「たぶん」
しれっとした態度ですっとぼけるハリード錬師に、濡れ衣をかけられたシラタマが抗議するのを宥める。
「島に魔獣が連れ込まれました」
これ結局同じキャンプ地で寝泊まりしろってことかと考えていたところで、ハリード錬師が小声で教えてくれた。
おそらくぼくが聞き取れるだろうギリギリの音量を想定しているんだろう。
フィリアはスフィたちと話しながら自分の荷物を確認しているから、聞こえることはない。
「誰狙い?」
「Dクラスにいる訳ありの子です、アリス錬師なら知る手段はあると思います」
「ふむ……」
この状況で遠回しな言い方をする。
で、ぼくなら知る手段があるってことは、ぼくの手札の中に今ここでその情報にアクセスする方法があるってことだ。
錬金術……は違うな、資材を集めて本土に帰ってから発揮されるものだ。
ぼくの耳が良いといっても限度がある。
他に開示している手札の中で思い当たるものといえば……精霊くらい。
「シラタマ、Dクラスの中に精霊の愛し子っている?」
「キュピ」
"いる"か。
知ってる限りで3人目なんだけど、もしかして意外と多いの?
「つまりDクラスに居る愛し子狙いってこと?」
「詳しくは言えませんが、ある領地貴族の御落胤です。色々あって命を狙われているようです」
「愛し子なのに?」
「愛し子だからです、次期領主の座を奪われることを危惧したのでしょう」
「男の子なんだ」
「はい」
アルヴェリアの貴族制度は原則として男子継承らしいので、言ってみたら当たった。
「愛し子って領地貴族なら欲しがるとおもってた」
味方にすれば精霊の恩恵を受けられる可能性が高いし、敵に回せば恐ろしいことになりかねない。
いくら星竜の加護があるアルヴェリアでも、愛し子は居て困るものじゃないはずだ。
シャオを追い出そうとするのも理解できなかったけど、始末しようと考えるのも理解できない。
「……例えば、ですが」
不思議がっていると、ハリード錬師が小さく咳払いをした。
「精霊という存在は、基本的に人間がどうこうできるモノではありません」
「確かに」
相応の戦力と設備があれば、パンドラ機関のように収容して蓋をすることも出来たかもしれない。
だけどその収容にすら、必要な犠牲は2桁じゃ済まない。
「力の弱い精霊なら対抗手段もありますが、大精霊クラスとなれば天災に挑むようなものです。しかも一度怒らせてしまえば対話や交渉など通じません、止めようとすれば被害が拡大するだけ……万が一にも精霊を怒らせてしまったならば、怒らせた本人、家族、あるいは村や街単位でも"見捨てる"のが通例です」
その扱いは疫病にも似ている気がする。
「たったひとりを精霊から守ろうとした結果、滅びた集落や国の話は歴史を辿ればいくらでも出てきます。精霊という存在は時に大いなる恩恵をもたらし崇拝の対象となりますが、同時に不可避の災害そのものなのです」
言葉をそこで一度切ったハリード錬師がぼくの方を向く。
「本来は交渉や話し合いの余地なんてない意思を持つ災害……その例外となるのが愛し子なんですよ。例えば誰かがその子を怒らせたとして、アリス錬師はそれを止める事ができますか?」
「ぼくは愛し子じゃないけど……怒りの度合いによるけど、頼めばたぶん」
おそらく一旦落ち着いてはくれるだろう、本気で懇願すれば止まってくれるかもしれない。
「では普通の人間が止めようとして、その子が聞いてくれると思いますか?」
「無理」
考えるまでもない、他の誰かに言われたからってシラタマが攻撃を止めるとは思えない。
「精霊にとって愛し子というのは特別な存在のようです。自らが寵愛する対象の子でなくとも、話くらいは聞いてくれるのだとか……つまり領地貴族にとって交渉役として最適なんです。ましてやそれが領主となれば」
「"大事な領民だからちょっと待って"が通りやすくなる」
「はい」
なるほどね、理解した。
大半の人間にとって愛し子は利益しかないような存在だけど、継承権とかで競合する相手にとっては最悪に近い存在になるのだ。
愛し子が継承権の上位者と異性なら結婚って手段が取れるけど、性別でも競合してしまうと特にややこしくなる。
もしもラオフェンにおいて薄毛という被差別対象でなければ、シャオは優秀な姉を押しのけて次期国主を狙えた。
というより、間違いなくそうなっていた可能性が高い。
仮に今のままでも、本人の努力とやり方次第で次の国主として認められるだろう。
それは今まで国内で培われた獣毛型獣人至上主義の階層構造を完全に破壊してのける行為だ、シャオのような薄毛型獣人が上位に立ちかねない。
同時に迫害していた者たちが窮地に追いやられることだろう。
だから隠され押し込められ、追い出されたのだ。
シャルラートを怒らせて破滅するか、シャオに下剋上されて破滅するかの2択を迫られて。
「それにしても、暗殺狙いなんて」
「目的はどちらかといえば嫌がらせみたいですけどね」
「そっちか」
……あぁ、そっか。
大半の精霊は人間の地位なんて別に気にしない。
一国の王だろうが、根無し草の風来人だろうが同じ扱いだ。
寵愛対象を殺してしまえば全力で敵視されるけど、追い出すだけなら嫌われる可能性は低い。
シャオに聞く限り、シャルラートはシャオが国を追われたことを「自由になった」とむしろ喜んでいるみたいだった。
シャルラートが怒っているポイントは『閉じ込められ、意地悪されていた』ことと、『命を狙われた』ことの2点。
今回の件も、王立学院で実績を積まれて領主の座を奪われる前に脅かして逃げるように促してしまおうって考えなんだろう。
しょーもない。
「はた迷惑な」
「まったくです」
相手に椅子を譲って自分は学んできた知識でサポートに徹すればいいって、口で言うのは簡単なのにな。
ぼくとハリード錬師は揃って溜息をつくのだった。
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