愛し子
午後は暫く授業がないので、ラウンジでのお茶会が終わると同時に下校となった。
「また明日ね、アリスちゃん」
「またなー!」
「うん、また明日」
寮に帰るゴンザたちと別れて、正門の近くでシラタマとのんびり空を見上げる。
「……あつー」
「ヂュリリ」
アヴァロンの季節はすっかり夏だ、日差しも強くなってきて外で待つのは少し辛い。
シラタマが気温を下げてくれるからだいぶマシだけど、待つ場所も考えないとなぁ。
空を飛ぶ飛竜の影を視線で追いかけている最中、聞き慣れた足音が聞こえた。
「アリスお待たせっ! 会いたかったぁ!」
「スフィぐえ」
スフィの姿を視界に捉えた瞬間、凄まじい速度ですっ飛んできて抱きしめられた。
あっ、と思ったけれど、柔らかい何かにそっと支えられたおかげで倒れ込まずに済んだ。
背後を視線で伺うとブラウニーが出てきてカバーしてくれたみたいだ、ありがたい。
というか、なんか速度あがってない……?
「この加速は流石にビビったにゃ」
やや遅れて、小走りで追いついたノーチェが呆れたように言う。
200メートルくらいあったのにものの数秒だったよ。
「うぅぅぅ……」
「何かあッ……たの?」
「いまミシって言わにゃかったか?」
何がとは言わないけど、9番あたりがちょっとね?
「まぁなんつーか、今日は色々とにゃ……」
「大変だったんだ」
「うんっ、うんっ!」
どうやらスフィたちの方にも事件の余波は及んでいるらしい。
■
フィリアとシャオの合流を待って帰路につく。
アヴァロンは日本の関東と比べると湿度が低くて日差しが強い、なので暑くても日陰に行くと思ったより涼しく感じる。
建物の陰を辿るように歩きながら、スフィ達の話を聞く。
ラゼオン先生は無事だったのでAクラスには大きな変化がないと聞いたのは昨日、ただ今日は騎士団の人や貴族らしい人たちが見かける度に声をかけてくるのだという。
「知らない人からたくさんおしゃべりしよって言われて、つかれちゃった」
「話をしてやるとか、茶会に誘ってやるとか、従者にしてやるとか、何で全部上から目線になるのにゃ貴族ってやつは」
「当たり前なのじゃ」
盛大にため息をつくスフィとノーチェに、ピシャリと言い放ったのは意外にもシャオ。
「ふん、よいかおぬしら。精霊というのは国や土地によっては神に等しいお方なのじゃ。愛し子というのはそんな精霊から強く庇護される存在、とってもすごいのじゃ。自分が愛し子だと吹聴すれば、有象無象の権力者が寄ってくるは必定なのじゃ」
「ってお姉さんから厳しく言われた訳ね」
「ななななんで知ってるのじゃ!?」
普段シャオが使わない小難しい言い回しが飛び出したからだよ。
シャオのお姉さんはラオフェンの姫巫女、精霊術士としては国一番で……平たく言えばシャオよりも"格上"だ。
何度か精霊術の講義を受けたけど、精霊術士としての技能の巧拙と精霊から好かれる体質は完全に別のお話らしい。
通常の精霊術士は、まず必死に精霊を追い求めてなんとか契約をしてもらうからはじまる。
契約ができれば以降は精霊の力の一部を召喚して、自分の魔力を編んで作った器に宿ってもらう。
そうやって呼び出した精霊に頼んで力を行使して貰うのが普通の精霊術。
言葉にすると簡単だけど、この契約してもらうって過程が凄まじく大変なのだそうだ。
例えばラオフェンだと国単位で霊水の大精霊『シャルラート』を祀っている。
それによってシャルラートと良好な関係を築き、眷族にあたる下位の精霊と契約しやすい土壌を作っている。
ラオフェンの獣人は、相応の魔力と知識と技量を精霊に認められれば誰でも精霊術士になれるのだ。
……で、通常は大精霊と契約なんて『目論むだけでも国を巻き込んだ自殺未遂』と言われるそうなんだけど、愛し子は対応する精霊に対してなら『契約して』『いいよ』が成立する。
この契約において精霊術士としての実力が考慮されることはない。
シャオはお姉さん大好きだから評価に多大な身内贔屓もあるとは思うけど、編める器の強度なんかの精霊術においては圧倒的にお姉さんのほうが格上だと言っている。
一方で、もしも精霊術の戦いになれば自分は絶対に負けないとも。
大精霊とその眷族なら明確に上下関係が存在してるから、ラオフェンの精霊術でシャオを傷つけることはできないのだとか。
だから暗殺に来たのが精霊術士じゃなく魔術師だったわけだ。
「こほん、つまりじゃ、愛し子とはとてつもなく凄い存在なのじゃ! 小さな国では国王より凄い扱いを受けることもあるのじゃぞ!」
「……おまえ国じゃ冷遇されてたんじゃなかったにゃ?」
「うるさいのじゃ! 崇められてはいたのじゃ! 偉かったのじゃ!」
「でも友だちは居な……ごめんにゃ、弄り過ぎたにゃ、ほら」
「ふぐっ、ぐすっ、な゛い゛てな゛いのじゃぞ」
泣きそうになった所でノーチェに頭をよしよしされてるシャオを見て、なんだかちょっと心配になった。
……虐められた後に優しくされるの癖になってない?
しっぽ揺れてるし。
「それで、自分の所に引き込もうとスフィを誘っていると」
「うん……そうみたい」
話を戻す。
簡潔にまとめると愛し子が所属する集団は、精霊の恩恵を受けられるということである。
小規模の村や街は言うに及ばず、貴族なら何とかして自領に定住してもらおうとするだろう。
「シラタマちゃんやフカヒレちゃんも、スフィちゃんがアリスちゃんの護衛に派遣してるって話になってるみたい」
「思った以上にそれてる」
フィリアが言うには、ぼくの周りに居る精霊たちも本来の契約主がスフィという話になってしまっているみたいだ。
多少誘導した節はあるけど、ここまで綺麗に噂が定着するのは想定外だ。
例え頼まれたところで、高位の精霊が契約主以外に興味を持つとかありえないと思うんだけど。
小さい精霊でも怒らせれば大変なことになるという認識が広まってるから、精霊に直接何か言ってくることはない。
でも愛し子に関してはそうじゃない……これはぼくの認識が甘かったと言える。
「でもにゃあ、なんか不思議だよにゃ」
「ん?」
「愛し子っていうけど、シャオが国で酷い扱い受けてるのにそっちはスルーなのにゃ?」
国が崇める大精霊の愛し子であるシャオをよりによって追い出して、あまつさえ暗殺者までけしかけた。
なのにシャルラートは何もしていない、たしかに不思議ではある。
「……う、む、アリスならわかってくれる気がするがのう……シャルラートはめちゃくちゃ怒っておるのじゃ。たぶんお願いすれば、ラオフェンが滅ぶのじゃ」
「あ、そこはぼくと一緒なんだ」
これは多分、同じ境遇の人間しか共感できない感覚だ。
ぼくの場合と同じなら、原則として精霊はこっちからお願いしないと何もしない。
近くに居て命の危機が避けられないとか、緊急避難的な状況でもない限りはぼくが傷つこうがスルーする。
勿論"お願い"すれば
結末として、ラオフェンの人間だけが全員普通に死ねるなら穏やかな方だ。
場合によってはもっと凄惨で猟奇的な事態だって起こりうる。
例えば、溺れる苦しみを常に感じ続ける生ける水死体みたいな状態にされるとか……。
精霊側は愛し子を守りたい、傷ついてほしくない……でも加減がわからないから、人間の感覚からすればやりすぎてしまう。
感覚や価値観のすれ違いによって引き起こされる悲劇なので、お互いのためにきっちりとした線引が必要なのだろう。
「身の回りのことならまだしも、怒りに任せてシャルラートに願えばとんでもないことになるのじゃ……ラオフェンの民の大半は善良で無辜なのじゃ」
「愛し子ってのも大変なんだにゃ」
「じゃからこそ、己が愛し子であることは極力秘密にするべきなのじゃ」
「でもスフィ、精霊さんと契約してないのに」
「対話できるような、それなりのレベルの精霊と契約していれば、愛し子かどうかは精霊に聞けばわかってしまうのじゃ。それで裏付けが取れてしまったのじゃろう」
精霊たちには人間を"愛し子"認定する何らかの基準があるっぽいんだよね、謎だけど。
「アリスについても聞けば、余計にのう……」
「即答で否定されるからね」
精霊にスフィについて聞けば『あれは愛し子』『あの子は愛し子で間違いない』という返答が来る。
逆にぼくについて聞くと『愛し子じゃない』『断じて愛し子なんかじゃない』という返答が来るらしい。
この反応の落差も相まって、『スフィは愛し子であり、精霊に頼んで妹を守ってる』という説が補強されまくったようだ。
「暫くは騒がしくなるのじゃ、近づいてくる者に迂闊に返事をするでないぞ」
「うんー、わかった……」
ちょっと疲れた様子のスフィが、シャオの言葉に頷きながら露骨に溜息を吐いた。
……ぼくのせいでスフィにここまで負担をかけてしまうのは、申し訳ないな。
かといって愛し子でこの反応なら、ぼくの情報が知れ渡るのはさらなるトラブルを招きかねない。
そもそも信じてもらえない可能性も高いし。
どうしたものか。
「……キュピ?」
「消さない」
頭だけ振り返ってぼくを見るシラタマから目をそらすと、フカヒレがギザギザの牙をむき出しにしてガチガチと鳴らしている。
それからも視線を外すと、別の所ではブラウニーがシャドーボクシングをしていた。
また人が消える事件が発生する前に、落ち着いてくれるといいな。
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