心に剣を、手には誇りを
狭くて小さな銀色の玩具箱は、"彼"にとって初めて出来た『自分の居場所』だった。
"彼"が生まれたのはアメリカの片田舎にある玩具工場。
小さな子どもが傷つかないように柔らかい布と綿を厳選され、彼は子どもの友だちになることを望まれて世界へ飛びたった。
陸を走り空を飛び、やってきたのは日本の地方都市。
記念すべき最初の仕事は、5歳の女の子の誕生日プレゼント。
喜び寝室の片隅を与えられた"彼"は、それから2年ほどして自覚した。
自分が"子どもの友だちであれ"という願いから生まれたことを。
だから深夜に入ってきた強盗から、女の子を守るために闘うのは必然だった。
突然動き出したぬいぐるみに犯人と女の子がぎょっとする様子も。
振り抜いた拳が犯人の上半身を粉微塵に砕いたことも。
耳をつんざくような少女の悲鳴も。
自分を見る友だちの恐怖と嫌悪に満ちた視線も。
彼は今でも覚えている。
■
居場所を失った彼は、失意の中でとある機関の人員に回収される。
運ばれた研究所の中で出会ったのは、小さな男の子。
何か大切な物でも失ったのか、瞳に絶望を宿して大人たちに罵倒されている。
その光景を見て、彼の身体は勝手に動いた。
"やってしまった"と気付いたのは、突然起こった惨劇を前に失神する男の子の姿を見た瞬間。
反省した彼は、遠くから見守ることにした。
この施設の中で子どもはその男の子だけだったし、どういうわけか見ているだけでとても安心したからだ。
遠くから見ているだけで、不安定な存在である自分を肯定された気がした。
男の子も自分に驚き慄きはするものの、最初の持ち主のような嫌悪を抱いている様子はない。
ただ自分を見る瞳に、怯えていることに対する罪悪感のようなものがあるのに気付いた。
子どもの友だちとして作られた玩具である彼にとって、子どもを苦しめることは本意ではない。
だから彼は、遠く離れた位置からこっそり様子を伺って守ることにした。
男の子が成長するにつれて少しずつ、自分と似たような存在が集まっていく。
その輪に入れないことは寂しくもあったけれど、いつだって彼に与えられた役割が支えてくれた。
『自分は子どもの味方である』
それは不安定な"アンノウン"の中にあって、珍しいほど強固な存在意義だった。
いつしか遠くから見守ることにも慣れて、そういう関わり方もありかと思えるようになっていく。
穏やかな日常がいつまでも続いてほしい。
そんなささやかな願いが終わりを迎えた日、黒い渦に飲まれた彼は気がつくと何もない荒野の真ん中に立っていた。
■
自分はあの男の子を守るために戦っていたはずで、突然現れた黒い渦に飲み込まれるなり世界がひっくり返るような感覚が襲ってきて……ここにいた。
軽く周辺を探して回った彼は、"この世界"にアンノウンと呼ばれる全ての存在が放り出されたことを理解する。
関わった建物も、空間も、この広い大陸のあちこちに投げ出されていた。
大陸中を旅して周り、知り合いにも何度か遭遇した。
仮面の医師はここで人助けをして回ると言った。
素直じゃない三毛猫はどうでもいいと時の狭間に姿を消した。
雪鳥はいつかあの子が来るのを待つと、自分の住処を作りに行った。
彼は悩んで、雪鳥に倣い男の子がこちらに来るのを待つことにした。
一緒に運ばれてきた、地下に埋まった区画の一部を自分の領域に作り変えて。
全てのアンノウンがこちらに来るのなら、あの子も必ず来るはずだと思っていたから。
待つことに迷いはなかった。
寂しくはなかった、近くに住む老いた星竜とは友好的な関係を築けたし、いつのまにか動く石像も一緒に住み着いていたから。
人間たちが"神獣"と呼ぶ星竜の守る物を狙って、神や悪魔と呼ばれていたアンノウンが何度も襲撃してきたがその度に撃退した。
中には強力な存在も居て、大きく傷つくこともあった。
長い長い年月が過ぎていき、節目ごとに起こる大きな戦いの果てに石像が破壊された。
当時に神々から魔王と呼ばれていた存在の願いにより、"神々"と定義されたものは世界から剥離されることになったらしい。
代替わりしたばかりの幼い星竜では古い神にはまだ及ばず、それを庇ったことが原因だった。
何とか撃退し、厄介な神々はこの世界から追放されるに至ったが、彼もその時に自らの核も傷ついてしまった。
それから彼は、ひとりになった。
子どもの友だちになるべく作られた彼は、ひとりでは居られない。
古い老竜は滅び、長らく連れ添った友も消えた。
核が傷つき、自分も徐々に力を失って滅びるだろう。
いつか来る時のために、彼は己の世界に閉じこもることにした。
気付けば街が出来て、彼の世界の核となるブロックの地上には子どもたちの集う学び舎が出来た。
いつの間にか集まるようになった玩具たちの心に身体を与えて、眷族を作りはじめたのはその頃から。
他の玩具たちに頼まれて、子どもたちを密かに守ることをはじめたのはただの気まぐれだ。
玩具である彼にとって、その関係は存外心地よかった。
それから長い時間が流れ、街が国になり、大陸に人間たちの文明が出来上がる頃。
空間を渡って源獣教の人間が侵略を仕掛けてきた。
■
その頃にはかなりの力を失っていた彼は、結局源獣教を完全に撃退することはできなかった。
侵食する赤い世界を押し留めながら、赤の男が攫ってくる子どもを現世に還すので精一杯。
"あの子"に会うために残していた力を他人のために使うことに憤りも感じなくはなかったが、いつかのあの子の怯えた様子が剣のように心に刺さっていた。
かすかな痛みが、いつだって彼の正気を支えてくれた。
子どもの友だちとして作られた、自分の始まりを思い出させてくれた。
程なくして、待ち望んでいた再会の時は訪れる。
どこか陰のある大人しい少年だった"あの子"は、こちらでは狼の少女となっていた。
姿形は全然違っても、彼はひと目でその少女が"あの子"だとわかった。
だからこそ、残った力を使い切る事に躊躇など感じない。
世界の侵食を押し返し、"あの子"が傷つかないように赤の男の力を抑え込む。
ひとりでは阻止しきれなかったが、結果的には力を合わせて倒すことができた。
……かくして、ようやく出会えた"あの子"は、彼のことを怖がらなかった。
暫く見ない間に友だちが出来たようだった、家族ができたようだった。
心配して手を握るよく似た見た目の女の子は、本心から"あの子"を大切にしているようだった。
彼ら玩具には心がある。
人間の友だちになれる、喜びと悲しみを分かち合える心がある。
されど彼らは玩具。
子どもたちが大人になるまでのわずかな時間を分かち合い、成長するのを見守るのが仕事だ。
自分の居場所がなくなっていく事は寂しく思えど、必要な別れだと理解している。
だから再会してすぐ玩具としての自分が必要ないとわかって、彼はどこかで安心していた。
そのうえ自分の滅びに涙を流してくれて、もう怖くないと、友だちになりたいと言ってくれた。
長い間、彼がずっと欲しいと思って諦めていたものだった。
泣かなくていいと、自分はもう充分だと小さな体を抱きしめてから別れを告げる。
玩具の本分を果たし、古い友の残り香も託せた、後は雪鳥が支えてくれるだろう。
辛くとも苦しくも、狂わずに生き抜いてきたからこその結末を迎えられた。
もう充分だった、全てが報われたかのように満たされていた。
自分でも不思議なほど満足していた彼は、それを伝えるために腕を振り上げたのだ。
かくして玩具の王は主と玩具たちに見送られ、まるで凱旋を果たすかのように堂々と消えていく。
『子どもの友だち』という、貫き通した玩具の誇りをその手に掲げて。
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