きみの友だち

「ギ、ガ……アァ……ァ……」


 耳をつんざくような絶叫が鳴り止むと、ようやくぼくたちを抱きしめていたシラタマの力が緩んだ。


「げほっ、うええ、きもぢわるい……」

「シラタマ、無事? マイクは?」

「キュピ……」


 シラタマは白い身体に真っ黒い煙のようなものをまとわりつかせていたけど、嫌そうに身体を揺すっただけで綺麗に振り払った。


 大丈夫じゃないのは今にも吐きそうなほど青い顔をしているスフィと、完全にぐったりしてしまったフカヒレだ。


「フカヒレ、カンテラの中に戻っていて」

「……シャ」


 カンテラを近づけると、フカヒレは力なく滑るように蒼い炎の中へと消えていく。


「スフィ、だいじょうぶ?」

「うぅー……あたまいたい、おむねがむかむかする、くるしくてきもぢばるい……」


 ただ衝撃を受けたってわけじゃなさそうな苦しみ方に、背中を擦る。


 乱れていた呼吸が徐々に整ってきて、スフィはまだ気持ち悪そうにしながらも程なく調子を取り戻した。


 奴の最後の抵抗は、いわゆる呪詛みたいなものだったのかな。


「……あっ」

「!」


 スフィの声に顔をあげると、視線の先でマイクが倒れていた。


 更にその向こう側には、黒い粒子になって消えていく怪鳥の姿。


 警戒しながら様子を伺えば、どうやらさっきのがほんとうの意味での最後の一撃だったようだ。


「マイク」


 名前を呼んで近づくと、マイクはぎこちなく上体を起こした。


 立ち上がることもできないのだって気付いた。


 怪鳥が消えていくにつれて赤い色が薄まり、世界があの街並みに戻っていく。


 もう身体の半分が消えかかっているマイクに、ぼくは何を言えばいいのかわからなかった。


 姿を見せた時点で時間が残り少ないことは、もう彼は消えてしまうのだということはわかっていた。


 それでも、上手く立ち回れていればもう少しくらい一緒にいることが出来たかもしれない。


「げほっ……くまさん、大丈夫?」


 まだ顔色の悪いスフィが、僅かに蠢く怪鳥を警戒しながら隣にやってきた。


 何も言葉を返せず、静かに首を横に振る。


「あ……くまさんって精霊さんだよね、シラタマちゃんたちみたいにアリスのカンテラの中でやすめないかな?」


 閃いたと言いたげに表情を明るくしながら言うスフィに、ぼくたちをじっと見ていたマイクが首を横に振った。


 ふわふわの手が、胸元のリボンを示す。


 明るい茶色の布に生える赤いリボン結び目の下には、金色のチャームがぶら下がっていた。


 『きみの友だち』と刻まれているチャームは、完全に割れている。


 わざわざそこを示すってことは、きっとこれがマイクの核にあたるんだろう。


 ……赤い男とマイクの間には明確な"格の違い"があった。


 消えかかるほど弱ってなお、マイクが相手を圧倒できるほどに。


 こんなに強い精霊がなんで消滅しかかってるのか疑問だったけど、納得できた。


 長い時間の間に核が壊れて、存在を保持できなくなっていたんだ。


 割れた器に水を注ぎ続けても、満たされることはない。


「キュピ」


 シラタマも教えてくれる、壊れた核を取り込んでも、もう一度同じ存在になることは出来ないって。


「ダメ……なの?」


 悲しそうなスフィの疑問に、答えたくなかった。


 口にすれば回復する方法が本当になくなってしまいそうで、嫌だった。


 何か手段はないかと必死に考えているのに、知識と理解があるせいで『無理』だって事わかってしまう。


「ごめん……ぼくのせいで」


 自責の念から言葉がこぼれ出た。


 マイクがあの日からずっと、陰ながらぼくを守ろうとしてくれたことはわかっていた。


 危険がありそうなときは、こっそりと助けてくれていることにも気付いていた。


 当時は心の何処かで、『よくわからない存在が自分にまとわりついてる』と考えて気づかないふりをしてた。


 あのときは、"人間"で居るためにアンノウンたちとの間に一線を引いていたから。


 それを引きずって、自分が傷ついても……。


「…………」


 残ったマイクの腕が、俯きかけたぼくの額をぽふっと小突く。


「キュピピ、ジュルル」


 見かねたシラタマが通訳をしてくれる。


 ……『ともだちを護りたかっただけだ、当たり前のことだ』って。


「……出会えたら、一緒に行こうって言いたかった」


 鳥籠の中を出て、みんなで異世界を冒険してみたかった。


 ようやく身の回りが落ち着いて、やりたいことも少しずつ見えてきたのに。


「ごめん……ごめんね……」


 視界が滲んで、ぽろぽろと涙が溢れる。


 自分が泣いていることに、少しだけ驚く。


 涙を拭おうとしたところで、ふわふわの腕がぼくをぎゅっと抱きしめた。


 少しだけ埃っぽい匂いがした。


 数秒、数十秒ほどそのままで、やがてマイクが優しくぼくを引き剥がす。


「……マイク」

「くまさん、ありがとう」


 隣に立ってしっかりと手を握るスフィが、よろけたぼくを支えてくれた。


 繋げたぼくとスフィの手をじいっと見て、マイクは大きく頷く。


 心なしか、満足そうだった。


「……キュピピ」

「…………」


 最後にシラタマの方を向いて何かやりとりをしてから、マイクは胸元のリボンを解いてぼくに向かって差し出してきた。


「これって」


 割れたチャームとリボン、それから見覚えのある模様が入った石の欠片。


 前世で遊んだことがある……見てないと動く石像の一部だ。


「そっか、あの子も……」


 もう出会うことができなくなった子が、また増えてしまった。


 スフィと結んだ左手を強く握りしめて、漏れそうな嗚咽を堪える。


「キュピ」


 連れて行ってあげようと、シラタマが言った。


 どちらも古くて強いアンノウンの核だ、壊れていてもふたつ合わせれば新しい精霊が産まれるかもしれない。


 マイクはそれをわかっていて、ぼくに託すためにこの欠片を持ち続けていてくれたんじゃないかと思った。


「……大事にする」

「…………」


 力強く頷いてくれたから、きっと間違ってないはずだ。


 涙を堪えるように顔をあげれば、赤い空はなくなって見慣れた青い空が広がっている。


 街並みもまた、見慣れた第0セクターのものに戻っていた。


 マイクの世界を土足で踏みにじっていたあいつの力が、ようやく消えたのだ。


「マイク、ありがと」

「くまさん、ありがとー!」


 マイクの姿が消えていく。


 身体の端から光の粒になって、まるで役割を果たしたと言いたげに堂々と胸を張って消えていく。


 気付くと周囲には、使い込まれた汚れや傷のある玩具たちがまるで見送るように集まっていた。


 見つめる先で、残った腕で手を振って。


 大きな身体が完全に消え去った時、玩具たちもまた姿を消していた。


「……アリス、大丈夫?」

「…………うん、誰かを送るときは泣かないって決めてたから」


 前に進むために必要なことだって、強い男は"誰かの前"では泣かないんだって教えられたから。


「スフィ、ちょっとだけ疲れた」

「うん……」


 スフィは何も言わずに、そっとぼくを抱き寄せた。


 肩に口元を埋めて、反射的に抱き返す。


 ……やっぱりぼくは、雨がきらいだ。


 せっかくの雲ひとつ無い青空あの子のこころが、滲んでしまって見えやしない。

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