一撃

『ギ……ギギ、ギイヤアアアアアア!』


 奇声をあげて、地割れの中から真紅の怪鳥が飛び上がった。


 翼をはためかせる度に巨大な赤い結晶の杭が降り注ぐ。


「あれはむりー!」

「厄介」


 対するこっちは仲間の精霊頼り、ぼくとスフィはハッキリ言って戦力外だ。


 何しろ相手は一発で数百メートル級の地割れを起こすパンチでようやく『まともなダメージ』になる存在。


 スフィの全力魔術でようやく攻撃が通るかどうかって領域だ。


 こっちの戦力は妨害役のシラタマと、攻撃役のマイク。


 生まれて間もないフカヒレは残念ながらぼくたちと同じ側、戦力外だ。


「キュピピ」


 シラタマの囀りを聞いてマイクが頷いた。


 降り注ぐ巨大な赤結晶の杭に、シラタマの作る白氷のツララがぶち当たり相殺される。


「っ……」


 上書きして作ったトンネルがみるみる小さくなっていくのが視界の端に見えた。


 あそこに上書きした世界のエネルギーは、そのままシラタマの力でもある。


 ……この事態だ、脱出のために使うなとは言ってられない。


『オノレッ!』


 シラタマが作った隙に、飛び上がったマイクが上方向に腕を振り上げる。


 轟音を立てて怪鳥が回転しながら吹き飛ばされていく。


 少し遅れて拳圧によって大気が大きく移動したのか、耳が痛くなるような気圧の変化が訪れる。


「あたまいたい……!」

「スフィ、ゆっくり鼻で息をして」


 古くて広く知られている精霊は強力だと知ってはいたけど、本当に桁違いだ。


 空中で身体をひねったマイクは落下しつつも、風に翼を取られて動けない怪鳥に蹴りを放つ。


 再びの轟音の後、巨大な鳥の身体が真っ二つに引き裂かれた。


 スフィと抱き合って身体を巻き上げるような暴風に耐える。


「やっつけたの!?」

「たぶんまだ」


 2つに分かれた怪鳥の身体は地面に落ちるなり赤い結晶となって砕ける。


 地面に着地したマイクの前に、突然人間サイズに戻った赤い男が姿を現した。


 振り抜かれた結晶で出来た剣を、マイクがボロボロの拳で迎え撃つ。


 剣が砕け、同時に腕の当たった赤い男の上半身が砕けた。


 衝撃波が突き抜けて、拳の進行方向の先に見える赤い木々が大きく揺れて……へし折れた。


「キリがない……」

「ヂュリリ」


 確実にダメージは積み重なってるようだけど、明らかにマイクの消耗のほうが激しい。


 まるでここで全てを使い切ろうとしているようにも見える戦い方だ。


 ……なんとかして、手助けしたい。


 ぼくがやれることがあるとすれば、ひとつ。


 かつてフォーリンゲンの街で戦った神兵、あれも似たような不死性があった。


 だけど天叢雲で斬り付けたらとたんにその不死性が失われた。


 勝機があるとすれば、そこかもしれない。


「スフィ、シラタマ」

「んゅ?」

「キュピ」

「なんとか一撃当てる」

「わかった!」


 再び離れた位置で形を作った人間体の赤い男は、接近するマイクに集中している。


 打ち出される結晶を避けながら近づくマイクは警戒されているのか、削られる一方で攻撃を当てられずにいる。


 チャンスはあいつの意識がマイクに向かっている今だ。


「シラタマ、リヴァースアバランチ!」

「キュピ!」


 打ち合わせておいた合言葉に合わせて、シラタマが翼を大きく広げた。


 トンネルが完全に消え去り、地面から上空へ向かって雪の瀑布が舞い上がる。


「この程度の冷気で! 邪魔だ!」


 残念ながら雪そのものであいつは倒せない。


 そんなことはわかってる。


「た、流れたゆたうあかきちからよ! しゃくねつのいぶきをいまここに! 『火精の乱風ヒートブロウ』!」


 間髪入れずにスフィが魔術を放ち、高熱の烈風を雪へと叩きつける。


 柔らかな粉雪が一気に蒸発し、辺り一帯が水蒸気で包まれた。


「目隠しだと、この俺に! なめているのか!」


 見えなくても、ぼくには位置がわかる。


 指示に従い、白い水蒸気の中をヒレのある黒い鮫のような影が進んでいく。


 飛び出しながら一気に迫る影を――赤い男は片腕で弾き飛ばした。


「シャー!?」

「フカヒレちゃん!」


 弾かれたのはフカヒレだ、身体をくの字に曲げながらこちらまで吹き飛ばされて足元を転がっていく。


 ……ここまでやって突貫してきたのが幼く弱い精霊なのを、疑問に感じたのか赤い男の動きが止まる。


 思考は隙だ。


 考えるということは選択肢が増えていくということ、選択肢が増えるということは選ぶまでに時間がかかるということ。


 時間にして1秒にも満たないこの一瞬が、どうしても欲しかった。


「……む?」

「シッ」


 意識しながら指を空を切る。


 熟達してないぼくでは、こういったアクションによる指標なしでは精密操作ができない。


 だから、奴の意識の隙間が必要だった。


「――ぐっ!」


 ぼくの動きに気付いた男が飛び退こうとしたが、もう遅い。


 赤い男の影の中から飛び出した影鰐が、赤い男の横っ腹に食らいついた。


 出来たのはそこまで、影鰐はそこで力を使い果たして薄れるように解けて消えてしまう。


 噛まれた場所を押さえる男に外傷はない、けれど。


「がっ……馬鹿な、授かった寵愛が! 何故! どうし――」


 動揺する男の視線が、何かに気付いたように水蒸気の中のある方向へ向かった。


 白い水煙をかき分けるように、腕を振り上げて踏み込んできたマイクの拳が。


「ガハッ――」


 赤い男の中心点を見事に貫いてみせた。



 重い爆発のような音をさせて地面が揺れる。


 男を中心に衝撃波が水蒸気を吹き飛ばし、風が髪の毛としっぽを揺らした。


 赤い男は身体から結晶をボロボロとこぼしながら膝を付き、その場に倒れ込んだ。


 ……やっぱりぼくの天叢雲はこういう奴等に有効みたいだ、再生する気配も動く音もない。


「やった!?」

「即席にしてはいい連携だった」

「キュピピ」


 ぐったりするフカヒレを抱きしめたスフィと、それからシラタマと次々とハイタッチをする。


 フカヒレもダメージは大きいようだけど、回復できないほどじゃない。


「フカヒレも、頑張ってくれてありがとう」

「シャー……」


 鼻先を優しく撫でると、フカヒレはスフィの腕の中で安心したように目を閉じる。


 危険承知の囮役、本当によく頑張ってくれた。


「……マイク」


 離れた位置でこっちを見るマイクに、手を上げてみせる。


 もう怖くないよって、伝えるように。


 恐る恐る近づいてきたマイクに向かって拳を突き出す。


 暫く困惑した様子だったマイクは、ぼくの握り拳に向かって腕の先端をそっとくっつけた。


 ふわっとした感触は、紛れもなく優しいぬいぐるみのもの。


 トン単位の鉄塊で殴ってるようなあの音は、一体どこから出ていたのか……。


 それはともかく、今度こそ言える。


「助けてくれて、ありがとう」


 あの日、嫌な研究者にいじめられていた時も。


 いまこのピンチに駆け付けてくれたことも。


 いつぞや感じた恐怖は嘘のように消えていて、口からは素直な言葉が出てきた。


「もう、怖くない」


 ずっとひとりぼっちだと、ひとりぼっちになってしまったと。


 そう思っていたのが、間違いだったって気づいたから。


 生まれ変わってこの世界を歩いて、家族と沢山の友だちと出会って。


 少しだけ心に余裕が出来たからかな。


「だから――」


 今度こそ、友だちになろう。


 伸ばした手が、マイクから離れていく。


 突き飛ばされたと気付いたのは、シラタマの羽毛に背中から飛び込んでからだった。


「ヂュリリ!」


 シラタマとスフィに助け起こされたながら前を見る。


 再び怪鳥の姿になった男が、地面の上でもがいている。


 あちこちが結晶となって砕けて穴が空いて、まともに飛べなくなっていた。


 見てわかるような瀕死の状態になってなお、憎悪は肥大しているようだ。


 怪鳥は怒りと憎しみに満ちた光を瞳に宿して、口を開いて奇声をあげる。


「終われナイ、終われ、ナイ! 償わセねば! 人間ドモに! 俺の! 故郷を! 人間、ドモォ!」


 口から撒き散らされる憎悪の黒い液体から、鎧姿の兵士が現れる。


「ユルシテ、モウ、ユルシテクレ、ニンゲンニ、モドシテクレ」

「メイレイダッタンダ、シカタナカッタンダ」

「モドレナイナラ、コロシテ……シナセテ……」


 彼等は日本語によく似た言葉で、許しを請いながら剣を振り上げていた。


 ずっと向こう側、怪鳥の頭部を覆っていた仮面が一部砕けてこぼれ落ちる。


 その下に見えたのは、鱗のある爬虫類に似た顔立ち。


「……水鱗人リザード

「ァ……ァア……」


 この世界に住む多種多様な人型種族のひとつ。


 一部の地域では、獣人族より酷い迫害を受けているって聞いた。


「アアアアアアアアアアアアアア!!」

『ギャアアアアアアアア』

「きゃあああああ!」


 怪鳥の叫びに合わせて、黒いヒトガタが絶叫をあげて次々と破裂していく。


 防御しようにも、こっちはさっきの一撃のために空っぽだ。


 眼の前が白い羽毛に包まれる直前、ぼくたちを守るように手を広げ、マイクが立ちはだかるのが見えた。

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