いつか繋ぎ損ねた手
『マイク・ロールはきみの友だち』
アメリカの玩具メーカーがテディベアブームの時に作り、発売時のCMで有名になった玩具のキャッチコピー。
子どもの背丈より大きいくまのぬいぐるみで、付けられた名前は『
当時の社長が孫の1歳の誕生日にプレゼントするため、商品を考えたのだという。
ブームも去りロール社の倒産と共に市場から消えたマイク・ロールだけど、残った商品は一部の愛好家の間で高額で取引されるようになったという。
『くまのぬいぐるみが強盗から子どもを守った』
そんな報告がパンドラ機関に入って、回収されたのはそのぬいぐるみの内の1体だった。
■
かつてはそれなりに綺麗に整えられていたフェイクファーは見る影もないほどボロボロで、片方の目と耳は取れてしまっている。
首元のリボンはちぎれかけて風に揺れて、動きも酷くぎこちない。
「先ほどといい、貴様は何故人間の味方をする」
あの子の背中越しに聞こえる声で、ひとつ疑問が解けた気がした。
赤い世界の侵食が随分と緩やかだったことも、赤い男が暫く姿を見せなかったことも。
まるでわざとぼくたちが対処する隙を作っているかのように、動き出すまで随分と時間がかかっていた。
「もしかして、ずっと足止めしてくれてたの?」
口に出して聞いてみたらあの子の背中がピクリと震えて、控えめに頷いてみせた。
「アリスごめん! だいじょうぶ!?」
「うん、助けてくれたから」
染み付いて消えなかった恐怖は、もう感じない。
あの子が見る影もないくらいボロボロになっているからか、ずっと守ってくれようとしていたとわかっているからか。
ここにくるまで、色んなぬいぐるみたちがぼくたちを守ってくれていたからか。
手を伸ばそうとした先で、あの子……ミカロルは身体を前に進める。
サラサラとこぼれ落ちていく砂のようなものが、光に消えていくミカロルの身体だってわかった。
「キュピピ」
赤い男に向かって立ちはだかるミカロルの隣にシラタマが立つ。
「精霊でありながら、創主の御心に背くとは……なんという罪だ。俺が誅罰を下そう!」
シラタマが氷の蔦で赤い男を縛り付け、ミカロルが殴りつける。
巨大な鉄球がぶつかったような音がして、赤い男の身体がひしゃげた。
「ぐぅ……! まさか貴様、消滅するつもりか」
赤い男が初めて見せた苦悶の表情。
ミカロルの身体が消えていく速度が上がる。
あの子が消滅覚悟で、すべての力を使って動いていることにようやく気づいた。
「待って……」
もう怖くないのに。
まだ何も話せていないのに、あの子は既に消えかかっている。
「シャー!」
ハリード錬師を逃し終えたフカヒレが戻ってきた、あとはぼくとスフィだけだ。
「アリス、立って!」
「……言いたいことが、ある」
嫌なことに、ぼくたちの間にもう残された時間がないことだけがわかっていた。
「ごめん」
きっと、ずっとこの場所で玩具と共に子どもたちを守っていたんだ。
やりすぎたことを気にしているのか、出来るだけ穏当な方法で。
そのせいで自分が傷つくことになったのかもしれない。
「ずっと、向き合えなくて、ごめん」
最初に出会った時だって、わざとぼくを怖がらせようとしたわけじゃないのに。
余裕のなかったぼくは、あの子を受け入れることがずっと出来ずにいた。
出られないのなら、鳥籠の中ではせめて嫌な感情は抱えていたくなかったから。
ともだちが出来て、自由に外を歩けて、ようやく受け入れることができるようになった。
「…………」
ミカロルは一瞬だけぼくを振り向いた。
すぐに赤い男に向かってしまったけれど、さっきまでと空気が変わる。
やっぱり……シラタマと同じように"ぼく"だってわかってくれていたんだ。
「アリス、穴が閉じちゃう!」
悲鳴に近い声が聞こえて穴の方を見れば、せっかく空けた穴が塞がりかけているのが見えた。
「……スフィだけでも」
「それはナシ!!」
スフィひとりだけなら走って抜けられるのに、強烈に拒否された。
一緒に出るのは……無理か。
狙う相手がぼくたちに絞られているなら、あいつの能力で簡単に妨害出来てしまう。
……あいつを倒すか、行動不能になるダメージを与えるしかない。
「邪魔をするな! 贖罪のために、そこの不埒者だけでも仕留めねば!」
こちらに手を向けてくる赤い男の射線を遮るようにミカロルが殴りかかった。
ボロボロの身体で必死に戦う姿は、見ているだけで心が締め付けられる。
「ぐっ、邪魔をするな! 大人しくしていればいいものを!」
シラタマの氷が赤い男の身体を縛り上げ、避けようとする動きを封じる。
ぬいぐるみの右腕が赤い男の身体にぶつかる度、地鳴りのような音と衝撃が身体の芯を震わせた。
「ひゃあっ」
「ッ……」
赤い男の身体はその度に奇妙にひしゃげ、仮面から血のような赤い液体を吐き出す。
しかしすぐに身体を元に戻して、結晶の杭を放つ。
シラタマは直撃してもすぐに身体を再構成しているけど、ミカロルは削られて飛び散った綿が光になって消えていく。
あいつの言う通り、もう力が残ってないんだ。
「ぐっ、がああ!」
ミカロルは少しずつ身体を削られながら、男を殴り飛ばす。
男がよろけたところに再び近づいたミカロルが腕を振り下ろし、男がひしゃげながら地面の中に沈み込んだ。
さながら地震のように大地が揺れて――地面が割れた。
周囲の建物が崩れ、地割れが転がる黒焦げの死体を巻き込みながら足元まで迫ってくる。
「アリス、掴まって」
「くっ」
「キュピッ」
スフィがぼくを抱きしめたまま飛び退く。
地面に身体を打ち付ける前に、すぐさまシラタマが飛んできてクッションになってくれた。
……やっぱりというか、迂闊に立ち入れない領域の戦いが繰り広げられている。
「ガアアアア!」
あれほどの一撃を受けてなお、赤い男は結晶の杭を四方八方に撒き散らしながら身体を直して立ち上がってきた。
「やっ……きゃあ!」
シラタマが氷で防ぎきれなかった結晶を弾こうとしたスフィが、逆に剣を弾き飛ばされる。
まずい、威力も明らかに上がってきている。
危ないと思ったときには、シラタマとミカロルが盾になって結晶を防いでくれた。
「あっ……」
ちぎれたぬいぐるみの腕が目の前に落ちて、光になって消えていく。
……最初に見た街並みがあの子の心象風景なら、赤い空はあの男の世界。
もしかしたら完全に侵食されないようにずっと抗い続けていたのかもしれない。
どうしてそこまでしてくれるんだよ。
ぼくはちゃんと向き合ってあげることも出来なかったのに。
ただ同じ場所に居たってだけなのに。
「も……」
もう頑張らないでいいといいかけた言葉は、揺るぎすらしないぬいぐるみの背中に止められた。
『マイク・ロールはきみの友だち』
前世で見たクマのぬいぐるみの玩具のCMを、何故か唐突に思い出した。
……
歪んでしまったとしても、
この子が、今でもぼくの友だちであると思ってくれていたなら。
残った力でぼくを守るために出てきてくれたというのが、自惚れじゃないのなら。
「ねぇ、"マイク"」
せめて一緒に戦おう。
「こっちに来てからずっと言いたいと思ってた」
「…………」
「今度こそ……ともだちになって欲しいって」
ミカロル……マイクは答えもしないで拳を構える。
だけど、不思議と答えはわかった。
あの日互いにすれ違って繋ぎそこねた手を、ようやく掴めた気がした。
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