赤い空

 こんな風に空からこの街を眺めることになるなんて、思いもしなかった。


 整理された街並みはこじんまりとまとまっていて、遠くには靄で霞む壁が見える。


 かつては途方もなく広く開けて見えた外の世界は、空から見ればちっぽけな鳥籠のようだった。


 トカゲのヒトガタは、怨嗟と悲哀を喚きながらハリード錬師に襲いかかっては蹴散らされている。


 カエル型の方は地面から強襲してくるのは厄介だけど、数は少なく強さという意味ではトカゲ型と大差ない。


 こいつらは最低限の戦闘力があれば問題なく対処できるだろう。


 問題は……。


「あの怪鳥をどうするか」


 推定サイズは5メートル、規格外ではないけどまともにやりあうには驚異になるサイズだ。


 撃ち落とすのは厳しいかな……、ビームライフルはうかつに使うと何に当たるかわからないし。


 この赤い空だって、本当に空が見えてるとは限らないのだ。


 どうしたものかと考えながら、怪鳥の視界に入らないように建物の影に一旦着地する。


「君はっ!?」


 男の人の声がして振り返ると、そこには驚いた顔のウィルバート先生がいた。


 その背後には見覚えのある学生たち……Dクラスの面々が怯えたように固まっている。


「どうして君がここに、一体何が起こって」

「他の先生たちが救出に来てる、向こうに出口がある」

「え!?」

「ぼくはハリード先生と向こうを助けに行く」

「はあ!?」


 詳しく説明している時間がないので方角を指差しながら必要事項だけを伝えて、シラタマに飛んでもらう。


 下でなにか叫んでいるのを意図して聞き流し、途中でハリード錬師に伝えておく。


「Dクラスが何人か居たので逃げる先を指示しておいた」

「ご苦労さまです、無事に全員回収できるといいんですが」


 壁に潜っていったフカヒレがカエル型を咥えて飛び出してくる、ハリード錬師は走りながらそれを蹴り砕き、どんどん前へと走っていった。


 まぁ頼もしいこと。


 そうしているうちに、あっという間に研究所に辿り着いた。


 光の壁の向こう側にいたスフィたちが、ぼくを見て目を丸くする。


「シラタマ、アイスウォール」

「キュピ!」


 シラタマがバサリと翼をはためかせれば、地面から真っ白な氷が突き出て光の壁を覆っていく。


 その内側をスケートを滑るように光に近づいていく。


 ……見るからに光の結界系の魔術っぽい、結晶を防いでるあたり相応の硬さはあるだろうし、突貫は下策か。


「シラタマ、ストップ」

「キュピピ!」

「シャーークッ!」


 止めるより先にフカヒレが飛び出して、バギバギと音を立てて結界を食い破った。


「はい!?」


 それを見た飄々とした雰囲気の男性が奇妙な声をあげて頬を引きつらせている。


 もしかして術者かな、悪いことしたかも。


 シラタマは食い破られた穴に飛び込み、ぼくたちは結界の中に飛び込んだ。


「ちょ、え、何!?」

「失礼」


 少し遅れてハリードも穴から飛び込んできた。


「迎えに来た、どういう状況」

「アリス! きてくれたんだね!」

「どういう状況はこっちの台詞にゃ!? なんで結界に穴あけたにゃ!」

「ぼくも聞きたい」


 それに関してはぼくからしても完全に想定外である。


「あのでっかい雪精霊ってアリスちゃんだよね」

「ちょっと、アリスちゃんまでこっちに来ちゃったの!?」

「え、スフィちゃんがふたり!?」

「ほんとにそっくりだな……」


 見覚えがあるDクラスの子たちと、他の生徒たちが騒ぎはじめた。


「ゴンザやっほ」

「やっほじゃないわよ!?」


 無事で良かった。


 それにしても知らない子たちはぼくを見て「スフィと似てる」「顔がそっくり」と騒いでいる。


 なんか、こういう反応は新鮮だ。


「そういえば、ノーチェたちってぼくとスフィ間違えないよね」

「今する話にゃそれ!?」

「そりゃそうじゃろ、動いてると機敏さが全然違うのじゃ」


 そこで判断されてたのか……確かに運動能力は天と地なのでわかりやすい判別法かもしれない。


「いや、何を暢気に話してるんだ!?」

「そうだった、迎えに来たから帰ろ」

「そんな気軽に帰れる状況じゃないだろう!」


 普通に話していたら、なんだかぴしっとした感じの男の子がツッコミを入れてきた。


 真面目な子だ。


「出入り口はありますが、数時間ほどで閉じてしまうでしょう。なんとかして脱出してそちらに」

「何とかと言われても……フォレス先生たちがまだ戻ってないんだよ」

「そうよ、ブラッド君が化け物を引き付けて奥に行っちゃったの!」


 ハリード錬師と教員らしき男性との会話に、ゴンザが割り込む。


 そういえば一番目立つのが居ないなと思ったら、それでか。


「アリス、どうするにゃ?」

「……今逃がせる人だけ逃がす、切り札はまだある」

「わかった、スフィも協力する!」


 小声で言うと、流石に付き合いが長いからかスフィたちはすぐに納得してくれた。


 問題は……。


「とにかく生徒を連れて脱出させましょう、このままでは身動きが取れません」

「確かに……だが怪我をして動けない生徒たちもいる」

「……厄介」


 言われてみれば、結界の片隅に意識を失っている生徒や明らかな怪我の痕跡がある生徒たちが寝かされていた。


 重傷って感じはしないけど……シャルラートが姿を現してるからシャオが治したのか。


「手が足りないね」


 単純に手が足りない、けが人を抱えて逃げられるだけの人員が。


「あの、他の先生たちは……?」

「来ていますが、ここまで来させるのは少々厳しいでしょう」


 怪鳥は理性を失っているようで、やたらめったに攻撃をばらまいている。


 降り注ぐ結晶は今のところ氷の壁で防げているけど、これでトンネルの中でチャージしておいた雪は使い切ってしまった。


 この規模の雪を一瞬で作り出すのはもう無理だ。


 あいつが突然現れた氷の壁に夢中になっている間に生徒たちを運び出さないといけない。


「戦える生徒に護衛任せて、大人とでかい人たちで手分けして運搬、建物の影に隠れながら向こうの方角へ」

「生徒を働かせるのは心苦しいですが、緊急事態ということで」

「話してる時間も惜しいね……。聞いていたな!? 体力に自信のある子は手伝ってくれ!」


 教員の一声に従って、怯えていた生徒たちがおっかなびっくり動き始める。


「怪物に目隠しをしてくれたのは助かったよ」

「ん……それで、スフィたちは」


 教員からの目配せに軽く頷いてから、ぼくはさっきから左腕にはりついているスフィに声をかける。


「アリスといっしょ!」

「お前の護衛にゃ」

「うん! わたしたちしっぽ同盟だもんね!」

「スフィもフィリアも、ちょっと痛い」


 スフィとノーチェは最初から同行することを決めていたみたいだ。


 フィリアはよっぽど怖かったのか、右腕を掴んで放さない。


「フルメンバーなら怖いものなどないのじゃ!」

「普通にある」

「のじゃ!?」


 恐怖という感情を取り除いたら残るのは蛮勇だ、それは悲劇の起爆剤にしかならない。


 怖いものは怖い、怖いから対策をたててちゃんと対処するのだ。


 しっぽ同盟の面々を集めて、隅っこの方へ向かう。


「簡単に説明する、ここは学院の中にある空間異常系の未踏破領域。向こう側に戻るには入り口をこじ開けるかしないといけない。入り口を開けるので使ったからぼくは燃料からっぽ、大掛かりなことは出来ない」


 ちまちま充填し続けたカンテラのエネルギーも、それで作り出した『永久氷穴』で溜め込んだ雪も。


 ここに辿り着くまでに大分使ってしまった。


「え、じゃあ今の入り口が閉じたら……」


 スフィの顔が青ざめるけど、ぼくは小さく首を横にふる。


「燃料はある、恐らく1個あれば十分足りる。つまり……ぼくはあと一度だけ、出入り口を作れる」


 ぽんっと、制服に隠れて見えない不思議ポケットを叩く。


「燃料って何だにゃ?」

「ぼくもすっかり忘れてたけどさ、魔石がある」


 かつてぼくたち4人を命の危機に追い込んだとびっきりやばいやつ鼬の化け物。


 そいつが倒れた時に残した、巨大な魔石がまだポケットの中に残っている。


 勿論これは切り札だ、使わないに越したことはない。


「なんとかして全員見つけて、さっさと逃げる。協力して」

「うんっ!」

「まかせとくにゃ」

「わたしも頑張る!」

「ようやく流れが良い感じになってきたのじゃ」


 さぁ、脱出作戦のはじまりだ。

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