かつての鳥籠

「――――」


 赤い空、冷たい空気。


 耳障りな鳥の鳴き声が遠くで聞こえるその風景は、かつてぼくが見続けていたもの。


 パンドラ機関日本支部の保有するアンノウン収容所をカモフラージュするために作られた街並み。


 かつては機関の職員が住んでいた家々に、今は人の気配はない。


 一時外出の許可をもぎ取って何度も歩いた街だ、よく覚えている。


 あっちの角にはパン屋があって、そこの路地を左に進むとコンビニがある。


 日本の風景でよく出てくる電柱がないのは、たしか送電線を地下深くに埋めてるからだ。


 長物を地上に置いておくと、脱走騒ぎの度に壊されてしまうから。


 ぼくにとっては唯一と言っていい、歩いていける外の世界だったから覚えている。


 外を出歩くと住人は誰もが怯えた顔でぼくを見てきた、嫌な世界だった。


 思い出はあるけど……好きじゃなかったし、未練なんてなかった。


 なのに溢れる郷愁が、何故か酷く感情をざわつかせた。


「ヂュリリ」


 シラタマの警戒音に前を向くと、路地の先から黒いトカゲのようなヒトガタがはいでてきた。


「モドシテ! カエシテ!」

「ニンゲンニ、モドシテ」


 歪な口から出る耳障りな音が、聞き慣れた言語を紡ぐ。


 ……こういう"犠牲者"も、危険なアンノウンが関わった場所ではよく見てきた。


「言葉を喋るのは、悪趣味だね」

「ヂュリリ……」


 アンノウンと呼ばれる存在は良い子たちばかりじゃない、むしろ危険でやばいやつが多い。


 特に人間そのものが変質したものや、人間の感情が元になったアンノウンはその傾向が強い。


 それをすっかり忘れていた気がする。


「アイスジャベリン」

「キュピ」


 指示に従ってシラタマが細長い槍のような氷を生み出し、トカゲの頭部を貫く。


 倒れて地面に溶けていく様子から、もう戻れないことは明白だった。


「シラタマ」


 トカゲが倒れたのを確認した直後、シラタマに捕まって飛んでもらう。


 筋力が足りずぷらんと垂れた足の少しだけ下を、地面から伸びた長い腕が掠めた。


「オイデ、オイデ、カエロウ、カエロ」


 しゃがれた声に下を見れば、まるで歪んだカエルみたいなのが地面から上半身を出していた。


 避けられたことを察したカエルは「カエロウ」を連呼しながら地面の中へと潜っていく。


「フカヒレ」

「シャアッ!」


 フカヒレが地面に飛び込み、暫くしてカエルの横腹を咥えて飛び出してきた。


「シラタマ、アイスジャベリン」

「キュピッ!」


 シラタマが氷の槍を無防備な頭部に突き刺せば、カエルは一度ビクンと跳ねたあと地面に落ちてトカゲ同様に溶けていった。


 ……両生類系か、ボスっぽいのは鳥なのに。


 シラタマに乗って適当な建物の屋根に乗る。


 街を懐かしむのも、ここの謎をとくのも後だ。


 まずはスフィたちの安全確保が最優先……手がかりは確実にあそこだよなぁ。


 怪鳥はパンドラ機関のフロント企業である株式会社ノアの研究所を執拗に攻撃していた、誰かと戦闘しているのは明らかだ。


 記憶にあるあそこって結構頑丈なんだけど、ものの見事にぶっ壊れてる。


 攻撃は……なんかシラタマに似てる、物理による範囲制圧系か。


 相性はよくないな。


「アリス錬師……待機するようにと言ったはずですが」


 どうするべきか観察していると、ハリード錬師がぼくの居る建物の屋根に飛び上がってきた。


「"あっち側"に居たら保護されるだけ、最悪の場合に逃げ道を作れるのはたぶんぼくだけ」


 最悪の状況で逃げの一手を打てるのはたぶん、ぼくだけ。


 国内全部探せば他にも見付かるかもしれないけど、今この場にいるのはぼくだ。


「助けられる手段があるのに、見捨てるつもりはない」

「……はぁ、仕方ありませんね」


 断言すると、ハリード錬師はあっさりと折れた。


「その代わり私から離れないようにして下さい」

「わかった」


 話が早くて助かる、説得している時間が惜しいから。


「なんだ、あれは……」

「うわぁぁ!?」


 声がしたので下を見れば、武装した人たちがトンネルから街に入ってきてトカゲに襲われていた。


「戦闘の出来る人間とすぐに動ける衛兵をかき集めてきたそうです」

「数合わせ……」

「否定はしきれませんね」


 王立学院といえど戦闘員が豊富な訳じゃないらしい、普通の暴漢なら数でいいけど"ああいう手合"を相手にするなら個の戦闘力が重要だ。


「まともに戦えそうなのは?」

「集められた人員の中に限定するとですが、私含めて3人といったところでしょうか」

「脱出を最優先にしたほうが良さそう」


 かき集めて3人いるのはむしろ上出来と言うべきか。


「フォレス先生が居れば滅多なことにはならないと思ったのですがね」

「その人強いの?」

「Sクラスの担任です、元近衛騎士で七星騎士の候補にまでなった方ですよ」

「そんな人が教師やってるんだ」

「持病の悪化で激務に耐えられなくなったそうです、私も詳しくは聞いていませんが」


 聖王国で近衛といえば王家直属部隊で、七星騎士は聖王国最強の個人とも呼ばれる聖王直下の最精鋭だ。


「うまく合流できれば心強そうではあるけど」

「逆に言えば、戦力に出来そうなのはフォレス先生とAクラスのラゼオン先生くらいでしょうね」


 全員無事に合流できたとしても5人か、やっぱ厳しい。


「ハリード先生! どこですか!?」

「ここに居ます、メンバーは揃いましたか?」


 若い青年の声に反応して、ハリード錬師が声をあげた。


 何人かが屋根の上にいるぼくたちを見て、「あっ」と口を開いた。


「なんでここに生徒が!」

「君はまた勝手に! 危ないだろう!」


 案の定というべきか、危ないから戻れというド正論の大合唱が始まった。


 察しのいい人には鏡の通路を開いたのは誰か気付かれるだろうけど、大々的にバラしてあるきたくはない。


 だから声を大にして説明するわけにもいかず、ぼくは静かにため息を吐いた。


「めんどくさい……」

「キュピ?」

「消さない」


 ここだと本気で証拠隠滅できそうだから洒落にならないんだよな。


「ハリード錬師、説得する時間が惜しいから先に行こう」

「……そうですね、悠長に説得している余裕はなさそうです」


 屋根の上から見える研究所は半壊していて、怪鳥は執拗に地面を攻撃していた。


 小さい粒のようなものは降り注ぎ、光るなにかに弾かれているのが見える。


 何かで護っているようだけど、いつまで保つかわからない。


「私たちはあの建物に居る人たちと合流します、皆さんは他の場所に生徒が居ないか確認して保護と脱出を」

「そんな勝手な! あぁちょっともう!」


 ハリード錬師が屋根を蹴って飛び出した、地面に降りるなり周囲のトカゲを長い脚を回転させてまとめて蹴り飛ばす。


 やっぱ強いなあの人。


「ぼくたちも行こう」

「キュピ!」

「シャアッ!」


 空中を泳ぐフカヒレを伴って、シラタマが空へ飛び出す。


 幸い怪鳥は足元に夢中でこっちに気付いていない、ハリード錬師に露払いを任せてどんどん先に進めそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る