向こう側への道
大階段にある鏡を見たあと、ぼくはハリード錬師と共に本館内を調べていた。
渡り廊下、図書室、救護室……妙な噂のある場所を一通り回って、今は再び鏡へと戻ってきた。
昔から鏡は別世界への入り口と信じられてきた、ゼルギア大陸でもそれは同じだ。
精霊っていうのは想像力を持つ生き物の認識によって形を得ているという説もある。
アンノウン化した幽霊船の内部が核である船長の心を反映していたことからも、大きく間違った説ではないと思う。
つまり、何かがあるとしたら鏡の可能性が高い。
「他の場所の調査に向かったようですね」
「好都合」
ぼくには精霊やエーテルの揺らぎを検知する感覚がない。
探るための魔術も使えない、アーティファクトも持っていない。
だけどひとつだけ、切れる手札がある。
手札を使うためには人が居ないことと、もうひとつ確認しておかなきゃいけないことがある。
「ハリード錬師」
「なんでしょう?」
「あなたはぼくの味方?」
「……直接問うことにさほど意味はないと思うのですが」
突然投げかけた質問に困惑するハリード錬師の気持ちはわかる。
直接聞いたところで嘘をついてしまえばそれで終わりの質問、意味なんてないだろう。
それを見抜く手段を持っていない人間には、だけど。
「ぼくにはある」
「……そうですか。少なくとも味方でありたいとは思っていますよ、あなたは大変興味深い」
「……わかった」
音は自然だ、嘘で誤魔化している様子はない。
積極的に敵対するつもりはない、味方よりの監視役ってところかな。
それなら十分だ。
「ここから先は、他言無用で」
「……わかりました」
隠し事が多すぎると、安全は保てても動きにくくて仕方ない。
せめて能力に関する部分だけでも小出しにしていかなきゃ、こういう"いざ"という時に動きが大きく制限されてしまう。
だからここで、比較的信用できそうなハリード錬師に見せる。
「来て」
言葉に反応するように、影の中からカンテラが浮かび上がってくる。
普段はポケットの中にしまっているんだけど、たまに勝手に出現するのは影を通って外に出てきていたらしい。
意識して目の前にカンテラを移動させると、青い炎が灯る。
分けて貰った魔石をこつこつ投じて、それなりの大きさの炎が灯るようになっている。
灯火を確認してから、手のひらを前に出して詠唱をはじめる。
「虚空(そら)の果てより集いたゆたう、終わらぬ幻想(ゆめ)の一欠けよ。始まりの言葉と願いを束ね、今ここに器となれ無垢なる混沌……
カンテラから溢れた影が、丸い銅鏡のような形に固まっていく。
日本における三種の神器のひとつ、八咫鏡。
太陽神が天の岩戸っていう洞窟に引きこもった時に、外で大騒ぎをして何事かと顔をのぞかせた太陽神を映して隙を作り、引っ張り出したとかいう伝説を持つ鏡だ。
一国の神話に出てくる伝説のアイテムにしては、やっぱり逸話の少ない神器だと思う。
それでも、これは神たりうる格を持つ鏡であることに変わりはないのだ。
だから八咫鏡の前ではそこらの神ですら偽りは許されない。
「……やっぱり」
鏡を八咫鏡で写し取ると、合わせ鏡になった黒い鏡面の中に赤い線のようなものが入っているのが見えた。
「……影のようなものを操るアーティファクトかと思いましたが、このようなことも出来るんですね」
「うん……それで、これ見て」
「赤い線……いえ、空と建物のようなものが見えますね」
恐らくこの大階段の鏡が、学院本館の中に紛れ込んだ未踏派領域への扉になっているのだろう。
「推測だけど別の次元……空間。この鏡は境目が薄くなってる」
「……空間異常、学院内に未踏破領域への入り口があったのでしょうか」
「たぶん」
最初からそうだったのか、噂の影響を受けて出来たのかは定かじゃない。
「境目が薄いのはここだけじゃない」
「噂のあった場所ですね」
空間や次元の壁というのは、ぼくたちが思っているよりもずっと薄くて不確定なものだ。
未踏派領域はその不確定な部分に根を張るように侵食して、別の空間を作り上げる。
いつの間にか学院の中には、裏世界とでも言うべき空間が広がっていたに違いない。
境目が薄い部分から向こう側の影響が漏れ出して、噂として残ったんじゃないか……。
それがぼくの推測だ。
……本気で研究すれば空間を構成する壁に錬金術で干渉できたりするんだろうか。
っと、そういうのはスフィたちを助けてからでいい。
「ですが、空間に干渉する手段は持ち合わせていません。変動する条件を満たすのも難しいのではないでしょうか」
「わかりやすいのは爆発とかで思い切りエネルギーを叩きつけることだけど……」
流石に学院内でそんな事はできない。
だから、もうひとつの手札を切る。
「
詠唱と共に銅鏡が銅剣の形に変わる。
カンテラの炎が少し小さくなった。
鏡と剣は形を作るだけなら消耗はそんなに大きくないんだよね。
「ハリード錬師、下がっていて」
「……あなたに言われると、少々違和感がありますね」
何とも言えない気配を出しながらハリード錬師が踊り場の端まで下がる。
それを確認してから、ぼくは静かに剣を掲げた。
シラタマやフカヒレと契約したことで出来るようになった形状変化だ。
「
日本語対応なのはありがたい。
黒い剣身が、まるで皮が剥がれ落ちるように氷で出来た日本刀の形に変わっていく。
スフィたちのように剣術なんて出来ない、やるのはただの"ぶっぱなし"だ。
「やるか」
いろいろ試してわかったこと、カンテラ……『
八尺瓊勾玉は周辺の空間に対する弱めの干渉。
例えば、氷穴でやったように周辺の温度を上げ下げしたりできる。ただし消費は尋常じゃなく大きい。
八咫鏡は映し取った限定的な範囲への強力な干渉。
例えば、さきほどのように鏡に映した相手の正体を見破ったり、火属性なら映った相手の力を強化したり停止させたり。
消費は一番軽い代わりに、こういう状況でもなければ使いにくい。
最後に天叢雲は一定範囲内に対する"世界の上書き"が出来るようだった。
ぼくやシラタマの心象世界で現実世界を塗り替えて、一時的に未踏破領域を作り上げる力と言い換えてもいい。
すぐに元に戻ってしまうけれど、例えばこの『氷月』なら短時間だけシラタマの世界『永久氷穴』を作り出せるのだ。
「領域解放……氷天花月」
鏡に向かって剣を振り下ろす、放たれた冷気が爆風のように弾けて周辺を凍らせて雪を積もらせていく。
積もった雪から伸びた氷の蔦が張り付いて、鏡に映っていた赤い隙間をこじ開けていく。
ものの数秒で鏡には氷の花が咲き乱れるトンネルが出来上がり、向こう側に血のような色の空が見えた。
「ふぅ……」
剣が形を保てず光になって消えていく。
消耗については言うまでもない、小さなロウソクのようなか細い炎になったカンテラをちらりと見やる。
今ので完全に空っぽだ。
ぼくの魔力も燃料に出来るらしいけど、それで補充できるのは微々たるものだ。
「……ふむ、確かに面白いアーティファクトですね」
ハリード錬師の反応を伺うと、感心はしているけど驚愕はしていないって感じだった。
特別他のアーティファクトと大きく違っているとか、そういうことではないんだろうか。
相変わらず、このカンテラはよくわからない。
「こういうのって珍しくないの?」
「いえ、アーティファクトそのものが珍しいですよ。ただ……いえ、解決してからにしましょう、この入口はどの程度持ちますか?」
脱線しそうな話をハリード錬師が直してくれた。
入り口を見やると、パキパキと氷が砕けていく音が聞こえた。
今の時刻は15時手前、このペースだと……。
「……確実なのは夜までの数時間、朝までは持たないと思う」
「急ぐ必要がありますね、適当にごまかして人を連れてきますので、アリス錬師はここで待機を……」
――ギャアアアアアアア!
奇怪な鳥のような叫び声に反射的にトンネルの向こうに目を凝らす。
赤い靄の先に、不気味な鳥のようなシルエットが飛んでいるのが見えた。
「……出来るだけ急いでほしい」
「少々お待ちを」
ダンッと音をさせてハリード錬師の姿が消える。
床が足の形にへこんでいるあたり、相当急いだらしい。
「シラタマ、あの赤い場所ってなにか心当たりある?」
赤い世界に覚えはある、未踏破領域の空は大体異質な色だ。
だけど、靄の向こうに見える鳥以外の建物……どこか見覚えのある建築物に、心が少しざわついた。
「ヂュリリ」
肩に止まったシラタマが『嫌な奴等』と呟いた。
「…………奴等、ね」
複数形か、どうやら『集団で空間異常に入り込んでしまった』なんて単純な事件じゃなさそうだ。
「みんな無事だといいんだけど」
トンネル越しに見える景色の中で、巨大な怪鳥は1箇所に固執しているように見えた。
誰かがあの場所に居るのは確定だ。
背後から近づいてくる足音を聴きながら、ぼくはトンネルへと足を進める。
……いや、合流する前に入っておかないと『離れていなさい!』って確実にブロックされるし。
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