├赤のヘイル1

「ここは使えそうだね」


 謎の建物の入口で生徒たちを任されたラゼオンは、軽く周辺を探索して立てこもれそうな場所を見つけ出していた。


 受付から左手側の通路には争った形跡もなく、途中の扉は広くて長机が並べられたミーティングルームらしき部屋があった。


 ラゼオンはそこを臨時拠点とすることを決めて、安全を確認してから生徒たちを中へ入れる。


「椅子集めてバリケード作るにゃ、それから壁には近寄らないほうがいいにゃ」


 カエルの異形と遭遇したノーチェの言葉を受けて、生徒たちも動きはじめる。


 奥からは先に建物内に入っていたDクラスの生徒たちも合流してくる。


「はぁ、ブラッド君が無事だといいんだけど」

「そうだね……」


 坊主頭のわんぱくそうな少年の不思議な言葉遣いに何人かが首を傾げながら、作業は続けられた。


「あぁ、完全に塞いじゃダメだよ。合流する子もいるし、逃げるときにはすぐに出られるようにね」

「わかったにゃ」

「はい」


 この場で唯一の大人であるラゼオンの指示の元、入り口に机と椅子を集めてバリケードが完成する。


 そこまでやって、ようやく全員が安堵のため息を吐いた。


「ここってほんとに安全なのか?」

「わかんないよ」

「お腹すいた……」

「ばか、考えないようにしてたのに!」


 数分もすれば、生徒たちも気分を紛らわせるように雑談をはじめる。


 誰かが思わず呟いた言葉を皮切りに、別の誰かのお腹が「ぐぅ」と鳴った。


「……流石に食料は持ち込んでないからね。この建物にも見当たらないし。あっても食べれるかは」


 彼等がこの場所に閉じ込められて、もう5時間以上経っている。


 食料や水が満足に得られないこの状況は、控えめに言っても最悪だ。


 身の危険から誰もが意識せずに居たが、落ち着いてしまえば飲食の問題が出てくるのは必定だった。


「私たち、帰れるのかな……」

「入り口があるなら出口もある、諦めずに探索を続けよう。フォレス先生が戻ってきたら、エレオノーラ先生を迎えにいこう」


 ここから少し離れた場所にある、比較的安全だと思われる建物にCクラスの担任と戦闘力のない生徒たちが立てこもっている。


 一応は生徒たちの中で一番"戦える"人材に残ってもらってはいるが、生徒を戦力として数えなければいけない状況は教師として忸怩たる思いがあった。


「やれやれ、教師ぶっておいて生徒の力も借りなければいけないとは。情けないな」

「ま、仕方ないにゃ」

「こういう場所って、ひとりでどうにかできるところじゃないもん」


 思わず口から漏れたラゼオンの弱音に、ノーチェとスフィが気楽に答える。


 学生たちの中でも一際幼い彼女たちのグループには、この状況でも全く焦っている様子は見られない。


 単純に能天気だと思っている生徒も居るが、ラゼオンには彼女たちの背後にある確かな経験が透けてみえた。


「そうだね、じゃあみんなで協力して何とか生き延びようか」


 ふぅと深く息を吐いて、ラゼオンは焦りを抑えるように目を閉じる。


 早くフォレスが戻ってくることを祈りながら。



「しぶといな、半獣」

「ぐ、ぐるるるる!」


 銀の建物の奥、フォレスとマレーンが共に向かっている先。


 荷物の散乱する広い空間の中で、ブラッドがひとりの男と相対していた。


 男は真紅の衣に身を包み、背中には血のような色の羽飾り。


 背は高く、顔には黒く滑らかな石で形作られた鳥の仮面。


 白い手袋に包まれた手を膝の上で組んで、適当な箱の上に腰掛けていた。


「いい加減に消えよ、獣風情が踏み込んでいい世界ではないのだ、ここは」

「おまえっ! おまえがみんなをこんなところに連れてきたのか!?」

「俺も迷惑している、ここまで大規模に歪みが出来ることはかつてなかった」


 男は「ハァ」とこれみよがしに溜息を吐きながら、右手の指をくいと上へあげる。


「ギャンッ!」


 鮮血が飛び散った。


 真紅の結晶が地面から突き出て、ブラッドの身体を掠めた。


 咄嗟に身を捩り致命傷は裂けたものの、痛みで悲鳴をあげながらブラッドは転がって距離を取る。


「……確実に致命傷だったはずだが」

「あぶねぇ! 死ぬかとおもった!」


 ブラッドは叫びながらも、意外と冷静だった。


「(こいつ強いな! すげぇ強い! じいちゃん以上だ! 勝つのは無理だ、逃げられるか!?)」


 先程から牙を剥き出して闘争心を見せているのは、無闇に戦いを挑もうとするのではなく逃げる隙を作る前にやられてしまうのを防ぐため。


 殺意に溢れた強者を相手に背を向けるリスクを、彼はよく知っていた。


 だからこそ一瞬の隙も見逃すまいと臨戦態勢を取っているのだが……。


「(ダメだ! ぜんっぜんっ隙がねぇ!!)」


 相手は静かに観察するようにブラッドを睥睨しているが、逃がすつもりは端からないのは気配でわかる。


 逃げようとする素振りを見せた瞬間、先程からやっている結晶を生み出す攻撃で八つ裂きにされるだろう。


 様子見をしているのは反撃を警戒しているから、つまり敵もブラッドを決して舐めてはいない。


 状況としては最悪だった。


「仕方ねぇ! じいちゃんごめん!」

「ようやく覚悟が決まったか?」


 突然謝罪の言葉を叫ぶブラッドに、男はようやく死を受け入れる覚悟が決まったのかと問いかける。


 もちろん、彼はそんなことなど考えていない。


「があああああ!」


 叫びながら右手の爪を、左腕に出来たばかりの傷跡に突き立てる。


 鮮血が溢れ出し、地面にこぼれ落ちる。


「……狂ったか?」


 突然の自傷行為に男は呆れたように手を持ち上げて。


「せめて楽に送ってやろう、煉獄にな」


 男が手を振り下ろすと同時に、自らの血に濡れたブラッドの右手が振り抜かれる。


 飛び散る血の一滴一滴が燃え上がり、加速するに伴って業火となって男を襲う。


「!?」


 瞬間的な熱は爆発にも似た衝撃を生み出し、轟音と共に建物を揺るがした。


「あっぢいい!! あといてぇ!!」


 地面を転がりながら悲鳴をあげるブラッドは、何とか身体を起こして燃え盛る熱で歪んで見える空間の奥をにらみつける。


 まだ消えない炎の中、男は自らのローブの裾を払いながら平然と佇んでいた。


「……まさか、貴様も"寵愛"を受けているとはな」

「なんだよ、それ!」

「偉大なる創主、源獣オリジンの寵愛だ。その力の一端を宿すものだけが行使を許される奇跡……加護と呼ぶ者も居る」

「加護って、神様からもらうもんじゃないのかよ」

「……あぁ、あの胡散臭い蛇の神がそう広めていたそうだな、不愉快だ」


 男が一歩踏み出すと、先程まで渦巻いていた熱が一気に吹き散らされる。


 熱風に毛を焼かれながら、ブラッドは吹き付ける熱さと裏腹に冷たい汗をかいていた。


「(やべぇ、加護でも無傷とか……さすがに無理すぎるだろ)」


 流れる血を右手に掬いながら立ち上がるブラッドを前に、男はゆっくりと両手を広げて見せる。


「半獣ごときには過ぎたる力、生かしておく理由がなくなった。俺の名は『"あかのヘイル"』、源獣の従僕たる原色プライマリがひとつ。俺の手にかかることを誇りに逝くがいい」

「誇れるかよ!」


 左右に広げられた男の手が再び縦に振られる。


 上から押し寄せる鋭い結晶をブラッドが飛び退いて避けた瞬間、地面から生えた真紅の剣身が結晶とぶつかり相殺するように両方くだけた。


「――!」

「なんだ!?」

「――『フラッシュペネトレイト』」


 返事は閃光とともに突き出された曲刀の切っ先。


 無防備な男の心臓目掛けて一直線に迫る剣を、男は苦も無く手で掴んで止めてみせた。


「……竜の下僕の走狗か、忌々しい」

原色プライマリ、源獣教の大神官……噂には聞いていたが、実在するとはな」

「宗教のごとき下賤な呼び方はやめて貰おう、俺たちが語り継ぐのはただひとつの真実だ」


 不意打ちで最大の威力を持つ武技アーツをあっさり止められてなお、フォレスは動じることもなく右手の拳を握りしめる。


「マレーン! その子を連れて撤退しろ!」

「わかったわ、急いで」

「お、おう、あいつ大丈夫なのか!?」

「フォレス先生は強いわ、私達よりも」


 マレーンも相手の強さを理解しているのか、悔しそうに言いながら逆らうつもりはないようだった。


「半獣の寵愛持ちに、簒奪者の武器持ち……最優先の懲罰対象はお前たちなのだが」

「それをさせるつもりはない――『発剄ハッケイ』!」


 独特な発音と共に放たれたフォレスの掌底が、水を弾く音をさせて男……赤のヘイルを吹き飛ばす。


 防御を貫き衝撃だけを通す術理を形にしたこの武技は、練気において圧倒的な格上にすら通じる彼の切り札だった。


 しかしヘイルは数メートルほど吹き飛んだ先で姿勢を整え、ピタリと空中で静止する。


「流石に弱者ではないか……まぁいい、奪還を果たすためにもここを知られるわけにもいかん。まずお前から消えてもらおう」

「前線から離れた先で、全盛期より危険な奴と闘うはめになるとはな。人生とはわからないものだ」


 静かに言うと、フォレスは剣を構え直す。


 覚悟と決意を宿らせた瞳で静かに相手を睨めつけて、鋭く長く呼吸を吐いた。

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