├銀の箱1
相談の末、スフィたちは全員揃って街並みの先にある銀の箱のような建物を目指すことになった。
僅かな休息を終えて出発した彼らは、不気味なほど静まり返った道を歩く。
不思議なことにトカゲ魔獣は新たに襲ってくることはなく、30分ほどで箱の前にたどり着いた。
「……でかいにゃ」
一面が銀色の壁材で作られた建物の正面には、大きく透明なガラスの入り口がある。
その向こう側には白い床と壁が見えて、何かの受付のようなカウンターがあった。
壁にかけられた何かの絵や、カウンターの上の花瓶の花は朽ち果てて原型をとどめていない。
「……あっ」
警戒しながら周辺を調べていた班員の少女が声をあげる。
「あれ、何か倒れてる」
少女が指をさした先はガラスから覗き込める建物内の一角。
そこには通路の手前で倒れているぬいぐるみがあった。
デフォルメされたような熊のぬいぐるみだ。
何かで引きちぎられたように布が裂け、あちこちから綿が飛び出している。
近くには折れ曲がった長い棒のようなものが転がっていた。
「ぬいぐるみだ」
「かわいそう……」
壊れたぬいぐるみを見て、スフィが悲痛そうに顔を歪める。
無惨に破壊された玩具の姿は、何故か胸を締め付ける。
「中に入って大丈夫にゃのか?」
「そもそも入れるのか?」
「なんか、怖いよ」
ノーチェの疑問に男子生徒たちが口々に答える。
中に入るべきか戻るべきか、そもそもガラスの扉の先に入ることが出来るのか。
話し合っている間を抜けて、シャオがガラス扉の前に立つ。
ガガッと擦れるような音を立てながら扉が左右に開いた。
「お、なんか開いたのじゃ!」
「おい!」
「何してるにゃ!」
勝手な行動に思わず総ツッコミが入り、シャオが耳をぺたんと寝かせながら怯えて後退る。
「な、なんじゃ! わしは扉の前に立っただけなのじゃ!」
「本当か!? また何かやったんじゃないだろうな?」
「ひどいのじゃ! それじゃわしがいつも何かやってるみたいなのじゃ!」
「この間も、ドアを逆方向に開けようとして怒られてたような……」
「見事なまでに信用がないにゃ」
少々考えが浅いシャオはたまに突拍子もない行動を取ることがある。
アリスで慣れているノーチェたちは気に留めていないが、クラスメイトたちには変な子と見られるのも無理はなかった。
「でもさ、ぬいぐるみがいるならここがミカロル様の館なんじゃ」
「館って……感じか?」
「建物ではありそうにゃ」
開かれた扉の中を恐る恐る覗き込む子どもたちだったが、見えるのは薄暗い室内と通路だけ。
入ってみないことには中の様子がわからない。
しかし異常事態の中、見知らぬ建物に入る勇気はなかなか出てこない。
「きゃああああ!」
甲高い悲鳴が中から聞こえてきたのは、ちょうどその時だった。
「今のって」
「他に誰か来てる子がいるのかも! 行ってみよ!」
「お、おい!」
金属棒片手にスフィが走り出す、誰も止める暇もない素早い行動だった。
「仕方にゃい、お前ら離れるにゃよ」
「で、でも」
「こんだけ目立つ建物なら他のやつらも集まってるかもしれないにゃ!」
「あ、そうか」
阻止しようとする男子生徒が、ノーチェの言葉に納得した様子を見せる。
それを確認してからノーチェはスフィを追いかけて走りはじめた。
勿論周囲への警戒は続けている。
天井だけが明るい通路に入ると、向こう側に制服を着た少女と襲いかかろうとしているトカゲの魔獣が見えた。
「たぁー!」
一気に踏み込んで加速したスフィが、手がとどく前にトカゲ魔獣を殴り飛ばす。
「無事にゃ!?」
「うん!」
すぐに追いついたノーチェが手にした金属棒に雷を纏わせながら、少女を庇うように並び立つ。
一撃で仕留めたのか、トカゲ魔獣は再び動くことはなく消えていく。
安全を確保してからふたりはようやく武器を降ろした。
「え、あ……」
「だいじょーぶ?」
助けられた犬人の少女は、振り向いたスフィの顔を見て目を丸くする。
「え、アリスちゃん!?」
「んゅ?」
唐突に呼びかけられた妹の名前に、思わずスフィは首を傾げる。
「アリスのこと知ってるの?」
「ってことはもしかしてDクラスの生徒にゃ?」
「う、うん……アリスちゃんにそっくり」
「アリスは妹だよ、双子なの」
スフィの返答に少女は納得したような顔をして、ふらつきながら立ち上がった。
「そうなんだ……あ、私ポキアっていうの、Dクラスの1年生。助けてくれてありがとう」
「どういたしまして! スフィはね、スフィだよ!」
「あたしはノーチェにゃ、あたしらはAクラスだけど……Dクラスも巻き込まれてたにゃ?」
Aクラスと聞いて少女……ポキアは驚きの表情を浮かべていた。
彼女は獣人自治区にある犬人の村で生まれ、獣人きっての天才ではないかと持て囃されて故郷から送り出されていた。
入学費用と生活費は村の人々が少しずつ出し合って集めてくれて、意気揚々と王立学院の門を叩いた彼女を待ち受けていたのは厳しい現実。
難しい試験問題を半泣きになりながら解き、何とかDクラスに滑り込めはした。
しかしその"劣等クラス"でも自分より賢い子なんていくらでもいた、自分と同じように故郷では天才と信じられていた子も知っているだけで数人いる。
王立学院に入学できるだけでもちろん凄いことなのだが、ポキアの中にあった『自分は天才なのだ』という自信は既にポッキリと折られていた。
そこに現れた、雲上の世界であるAクラスに入った自分と背丈の変わらない黒い猫人の少女に、明らかに年下の狼人の少女。
しかも劣等クラスの中でも随一の問題児であり、成績という考えを放り出しているアリスの双子の姉だという。
犬系の獣人なら誰しも抱いている『狼人という存在への憧れ』、それを粉砕した少女の姉は、憧れるに相応しい狼人だった。
「あ、ありがとう……」
憧れ、嫉妬、感謝、劣等感、複雑に波立つ感情でざわつく胸を抑えながらポキアが立ち上がる。
「他にもきてるやつがいるなら、合流するにゃ」
「みんなもすぐ来るよ、たぶん!」
「私はブラッド君……えっと、犬人の男の子がリーダーの班で、迷ってるうちにこの建物についたんだけど、中で休もうとしたらトカゲのお化けが出てきて……逃げてるところにふたりが」
「そういうことだったにゃ、だったら他の連中もここに……」
事情を話すポキアの背後の壁が歪んでいく。
まるで何かに引き寄せられるかのように、異形が姿を現しはじめた。
最初に気付いたのは、未踏破領域に多少なり慣れているノーチェだった。
「離れるにゃ!」
「こっち!」
「え、きゃあ!?」
咄嗟に手を引かれたポキアが倒れ込むのを横目に、ふたりは金属棒を壁に向ける。
「■■■、■■■」
壁から現れたのは、不可思議な鳴き声を発する歪んだカエルのような顔の異形。
「■■■■、■■■■、■■■■」
まるで言葉のように紡がれるおぞましい音色に、ノーチェとスフィの背中が粟立つ。
「あっちいけ!」
「消えるにゃ!」
咄嗟に放たれたふたりの攻撃が、壁にあたって甲高い音を立てる。
カエルの異形は壁の中に潜り込み、ふたりの攻撃を躱していた。
衝撃で手を抑えているうちに、カエルの異形は壁の中を移動するように別の場所から姿を現してポキアに手招きをする。
「■■■」
「ひっ……」
怯えた声をあげるポキアにカエルの異形の異様に長い手が迫る。
あわや魔の手が少女の足首を掴まんとするその時、ノーチェとスフィが割って入るよりも早く、小柄な影がポキアの前に飛び込む。
「にゃ!?」
「えっ」
それは片腕の取れた兵隊の木人形だった、肩のあたりに犬が噛みついたような傷跡のある子供用の玩具。
突然の事態に驚く3人の眼前で、木の人形は手にした棒を振り回してカエルの異形を牽制する。
それ以外にも、通路の向こう側から様々な壊れかけの玩具たちが続々と集まってきた。
玩具たちは子どもたちを守ろうとするかのようにカエルの異形に挑みかかり、時には傷をつけ時には振り払われて壁にぶつかって壊れていく。
攻防は暫く続き、やがて根負けしたかのようにカエルの異形が壁に潜って気配を消す。
あとに残されたのは呆然とする少女たちと、壊れた玩具の残骸だけ。
「何だったにゃ……」
「玩具さんたち、助けてくれた……のかな?」
事態を飲み込みきれていないスフィたちの横で、ポキアは手を伸ばしかけた姿勢のまま呆然としている。
その視線は、異形によって破壊されてしまった木人形に固定されていた。
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