├裏世界3

 ウィルバート・サウスゲートは聖王国王立学院1年時Dクラスの担任だ。


 生まれは南方の守護を務めるサウスゲート男爵家の3男坊で、12歳から騎士学校に入学する。


 15歳の成人とともに卒業し、騎士爵を授かった独立貴族でもある。


 幼い頃から勉学が好きで、領地の子どもたちに教師の真似事をしたこともある。


 成人してからは聖都で教育学校に通い直し、裕福な商人にマナーと勉強を教える家庭教師で糧を得ていた。


 一度騎士爵を授かって独立貴族になってから改めて学業に専念するのは、聖王国において腕に自信のない男爵以上の3男4男にはよくあるコースだ。


 ウィルバートはその中でも優秀で、かねてからの希望通り教員免許を取り王立学院で児童担当教師として就職。


 劣等クラスと揶揄されるDクラスの担任を任されたときには動揺こそしたが、蓋を開けてみれば問題児は居ても悪童はいなかった。


 ベテランのサポートも付き、何とかこなしながら1ヶ月。


 生徒の顔と名前を覚えつつあった頃、事件が起こった。



「うぃ、ウィルバート先生!」

「絶対に前に出るな! 私の後ろに!」


 ウィルバートは赤い世界で奮闘していた。


 偶然近くに居た自分のクラスの生徒を背中に、襲い来るトカゲの魔獣に立ち向かう。


「(無駄だとばかり思っていたが、騎士課程を取っていて良かった……!)」


 ウィルバートは引率として、不測の事態に備えて帯剣していた。


 他の教員たちからは学院内でと苦笑されていたが、騎士学校時代に叩き込まれた『常在戦場の心得』がまだ抜けきっていないからと押し通した。


 自分でも不要だとわかってはいたが、子どもを引率する立場となると安心が欲しかった。


 それが結果として不幸中の幸いとなるのだから、人生というのはわからない。


「ハァッ!」


 才能がないと言われていたウィルバートだったが、真面目な気性から剣術の基本は身についていた。


 気合一閃。振り下ろされた刃が魔獣の身体をすり抜け、両断された魔獣がその場に倒れる。


 切断面から真っ黒な泥がこぼれだし、亡骸は地面に染み込むように消えていく。


 幸いというべきか、トカゲの魔獣はウィルバートでも問題なく対処できる程度の相手だった。


「……奇妙な魔獣だ、もしかして魔物か?」


 世間一般では同一視されているが、魔獣と魔物は明確に違う。


 魔獣は生物だが、魔物は生物ではない。


 わかりやすい特徴は生物としての特徴を持っているかどうかだ。


 今回のように切断しようと血も内臓もなく、死体が消えるのは魔物の特徴のひとつでもある。


 この特徴から『魔物は精霊のなり損ない』という説もあり、ウィルバートはこの事態に精霊が関わっているのではないかという疑念が深まる。


「ル、ルイくん! やっちゃえ!」

「おーっほっほっほ! ぬるいですわ! 『波打つ光ウェイブレイ』!」


 ウィルバートたちにとって幸運だったもうひとつは、生徒の中に戦える児童が居たこと。


 流石に主戦力と数えることはしないが、いざという時に自分の身を守れるというのはありがたいことこの上ない。


 赤と青のツートンにした髪をなびかせ、自らの相棒である豚の人形を操るクリフォト。


 金色の髪を縦ロールの形に整えた、光魔術を放つ吊り目の美少女マリークレア。


 クリフォトは10歳にして一人前の魔術師であり、マリークレアも魔術科目で優れた成績を残している。


 Dクラスとはいえ、彼女たちは王立学院に入学できるだけの能力を有していた。


 彼女たちもトカゲ魔獣程度であれば何とか対処出来るのだ。


「あまり無茶はしないように!」

「先生! プレッツちゃんが転んじゃって!」


 普人の少女が、狸人の少女に肩を貸しながら声をあげる。


「……仕方ない、休める場所を探そう。みんなもう少し頑張ってくれ!」


 一瞬出そうになった苦い表情を噛み殺し、ウィルバートは努めて明るく声をだす。


「(迷い込んだのは私たちだけなのか、もしもそうでないなら他の子たちは……。くそ、せめて他の教員と合流出来ればいいんだが)」


 自分たちの現状を知るための情報は何もない。


 焦りを抑え、生徒たちを守るためにウィルバートは赤い世界を歩き続ける。



 拠点を探すスフィたちは、トカゲの魔獣が調査した建物の室内に出現しないことを確認してようやく一息つくことができた。


「空っぽにゃ」

「お水も出ないね……」

「不便なのじゃ」


 建物の使い方を知っていることは自分たちだけの秘密にしつつ、建物内の設備を見て回る。


 結果としては電気水道ガスその全てが使えないようだった。


「ちょっとは休めると思ったのにゃ……」


 露骨にがっかりしながら、ノーチェはソファに腰掛ける。


 詳しい仕組みを聞いていないノーチェたちにとって、このタイプの建物の設備は特殊な魔道具としか思っていなかった。


「でも魔獣は家の中にいないし、休憩は出来るよ」

「そうだにゃ……とりあえず交代で休むにゃ」

「うむ、そうじゃな」


 ノーチェは他の生徒たちに見張りを頼もうとして、ぐったりと座り込む様子を見てやめた。


 多少は異常事態に慣れている自分たちと違って、Aクラスの生徒は基本的には普通の子ども。


 異常な世界を命の危機にさらされながら歩くことは、思った以上に体力を奪っていた。


「すまない……安心したら立てない」

「仕方ないにゃ」


 11歳の貴族の男子生徒が悔しそうに言う。


 獣人と普人の体力差を考えても、年下の女子に守られるというのは心苦しいものがあるようだ。


「あたしらの方で見張りは交代にゃ、組み合わせはあたしとスフィ、フィリアとシャオ。最初に休むのはフィリアたちにゃ」

「えっ、私たち!?」


 フィリアが驚いたのは最初に休むという提案ではなく、シャオと組まされたことだった。


「で、でも、戦力的にね……!」

「そ、そうじゃ! 偏りすぎなのじゃ!」


 流石のシャオも素直に認めた。


 今までが崇められる立場で閉じ込められ、同時に姿で蔑まれるという複雑な生い立ちのせいで変にプライドが肥大化していたが、遠慮なく付き合える4人との旅で他者と距離感を学んでいっている。


 プライドが邪魔をして時々意地を張ったり自信過剰なことを行ったりしてしまうが、命がかかるとなるとそうも言っていられないのだ。


「フィリアなら何か近づいてもすぐ気づけるし、シャオは遠くからでも攻撃出来るにゃ」

「確かに……多少なら魔術も扱えるのじゃ」

「わたし、アリスちゃんみたいなのは無理だよ!?」

「そこまでは求めてないにゃ」


 シャオは自分の手を見下ろして頷き、フィリアはとんでもないことを求められてないかと焦ってなだめられた。


 魔力不足で自分は使えないが知識はあるアリスに習って、シャオも簡単な魔術を使えるようになっている。


 トカゲ魔獣の足止めくらいなら出来る自信があった。


「せめて弓があればのう……」

「それはあたしらも一緒にゃ」


 とにもかくにも、武器がない。


 ため息をついたところで、ふとクラスメイトのひとりが顔をあげて不思議そうに室内を見回した。


「あれ、スフィちゃんは?」

「……あれ、どこいったにゃ?」


 言われて気づいたノーチェが周囲を見回すが、スフィの姿は影も形もなかった。


 どこか別の部屋にいるのかと耳を澄ませば、ドタドタと階段を下りてくる音がする。


「ノーチェ! フィリア!」

「……わしは?」


 警戒の視線を受けながら現れたのはスフィだった。


 凄い勢いで階段を駆け下り、しっぽを揺らして急停止する。


 勢いでカーペットが少しズレた。


「どこいってたにゃ」

「2階のベランダからね、外見てたの! そしたらね、あったの!」

「あったって、何がにゃ」

「知ってる建物! 夢で見たことあるの、でっかくて四角くて白いやつ! きて!」

「お、おう!?」


 腕を引っ張られて2階へ連れて行かれるノーチェを、フィリアとシャオが慌てて追いかける。


 階段を昇った先にある一室には外が見渡せるベランダがあり、窓に近づいたスフィが街並みの遠くを指差した。


 立ち並ぶ2階から3階建ての家屋の向こう側に、高くて平たい長方形の建物があった。


「あれね、たぶんアリスと仲の良い精霊さんがいっぱいいたところ」

「……じゃあ、あそこに行けば何かわかるかもしれないにゃ?」

「でも、アリスちゃんが居ないのに行っても大丈夫かな?」

「何の話なのじゃ」

「つまりにゃ――手がかりを見つけたってことにゃ」


 スフィの判断が正しいのなら、手がかりがある可能性が高い。


 更に他に遭難者もいれば、家屋の中で一際目立つあの建物に集まるかもしれない。


 ノーチェはアリスを頼りにしながらも、自力での解決を諦めるつもりはなかった。

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