"あの子"

 あの子と出会ったのは、国際神秘蒐集組織『パンドラ機関』の保有する保管施設の中。


 時期はぼくが第0セクターに連れていかれて暫く経った頃。


 ずっと側についていてくれたクロが消えてしまい、失意の中にあった時だった。


 外からきた何とかって博士が担当物の実験にぼくを使おうとしたんだけど、思った通りの成果が出なかったらしい。


 覚えているのは口汚くぼくを罵る博士の声、無機質に見つめてくる白衣の集団。


 心を閉ざして耐えている最中に身の毛もよだつような悲鳴が上がって、顔を上げたぼくが見たのは言葉にするのも憚られる惨劇。


 飛び散る赤いぬらぬらの物体を浴びた大きなくまのぬいぐるみ。


 鉄の匂いと共に転がってくる、少し前までいじわるな博士だったもの。


 逃げ惑う白衣の集団が真っ赤に染まっていく光景に、ぼくは耐え切れず意識を失った。


 この時はまだアンノウンってものをよく知らなかったし、他のアンノウンとの接触も控えられていた。


 それからぼくは、『くまのぬいぐるみ』が苦手になった。


 クロという支えがなくなったぼくを、あの子が守ろうとしてくれたことはわかっている。


 嫌いなわけじゃない。


 ただぬいぐるみを目にすると、あの時の光景がフラッシュバックして硬直してしまうのだ。


 そんな状態を察したのか、あの子だけは結局最後まで側に近づいてくることはなかった。


 時折遠くで遊ぶぼくたちを見る、寂しそうな姿だけが記憶に残っている。


 何の因果か新しい人生がはじまって、アンノウンたちが当たり前のように世間一般に認知されている世界だって知って、ようやくあの子と向き合える気がする。


 もしもこっちでまた出会えたら、勇気を出してぼくの方から声をかけたいって思っていた。


 「友だちになって欲しい」って。



 ラウンジで暫く待っていると、ハリード錬師がひとりで戻ってきた。


 ぼくは彼が対面に座るのを待ち、さっきまで考えていたことを伝える。


 全ての時期に共通して存在する7つの噂が関係しているのではないかと。


「以上のななつ、何かしら関連性があると思われる」

「そうですね、職員会議でも同意見でした」


 どうやら学院側でも七不思議を認識しているようだ。


「ここは建国期から存在してる建物ですし、精霊の目撃情報も多いですから」

「あぁ、一部は事実なんだ」


 昔から勤めている教師の中には、動くぬいぐるみを見た人間もそれなりにいるらしい。


「過去に神隠しにあった生徒もいます」


 単語の意味合いは微妙に違うけど、日本語に訳すなら神隠しって言葉が適切だろう。


 その生徒たちは『気付いたら変な場所にいた』、『ぬいぐるみが手を引っ張って学院に連れていってくれた』と証言している。


「……どうも妙」

「そうですね」


 精霊が連れて行ったのなら、わざわざ外まで送り出す必要はない。


 条件を満たすと別の空間に連れて行かれるという"何か"があって、精霊がそれによる被害のカバーをしていた……ってことなのかな。


「精霊が人間に好意的なのは異例中の異例ですから」

「……うん」


 ハリード錬師の言葉で、『妙』がややズレた意味で受け取られていることに気付いた。


 そうか、精霊は基本的に人間には厳しいんだ。


 "あの子"に対する感情があるから、ぼくの認識も少しズレてしまっている。


「精霊と失踪は別かも」

「それも同意見が主流です、精霊が行っているにしては助けるような動きをしていると。時折発生する神隠し事件について調査は行われているのですが、発見できたことはないそうです」


 調査は行われていて、でも何もわからなかったと。


「……ぼくも現地調査するか」

「ふむ、危険があるかもしれません。そうである以上、生徒を調査に同行させるのは不可能です。以上の正論をどう説き伏せますか?」

くそくらえふぁっくおふ


 お望み通りに説き伏せてみせると、ハリード錬師はわかりやすく苦笑した。


「それで説得できる教員は殆どいないでしょうね」

「そんな時間はない」


 悠長に論じて見せても納得する教員なんていないだろう。


 もし居たとしたら、そいつは教員としての資質が著しく欠けている。


「ではどうします?」

「放課後に学院内を生徒が勝手に歩いちゃダメって規則はない。戒厳令は出てない」


 ネットの話題でたくさん見てきた、こういう組織なら生徒の失踪なんて出来るだけ隠したいはずだ。


 生徒の行動制限をするためには事件を大々的に知らせる必要がある。


 その合間を縫えば、調査くらいはできるはずだ。


「いえ、先程出ました」

「……?」

「騎士団、魔術師ギルド、錬金術師ギルドにも応援を要請しています。学院内に残っている生徒はラウンジなど指定の場所で待機です」


 いや、速くない?


「学院の体面のために内部だけで解決するみたいなのは」

「生徒の安全が優先だそうです。元より王立学院はある程度の影響と干渉を外部から受けることを避けられません、ならば生徒たちのために使えるものは何でも使う方針ですよ」


 インターネットの人たちが言ってたことと違う。


 ハリード錬師の立ち位置がわからないけど、どうやら混乱の間を縫って動くというのは出来ないらしい。


 だったら仕方ない。


「……教師の目を盗んで勝手に動く」

「叱責は免れませんよ?」

「怒られるのは慣れてる」


 教員たちには悪いけど、言うこと聞かない"悪い子"でいく。


 調査協力は諦めて、勝手に単独調査だ。


「ハリード錬師はどうするの?」

「勿論お目付け役として同行しますよ」


 どうやら止めるつもりはないらしい、この人も"悪い大人"だ。


「これだから錬金術師はって言われそう」

「いつものことです」


 あえてルールを破るつもりはなかったけど、緊急事態なら仕方がない。


「んじゃいきますか」


 はなはだ不服ではあるけど、精霊関係ならぼくのほうが有利に立ち回れる。


 そうでない場合ならハリード錬師たちの出番だ。


 さて……鬼が出るか蛇が出るか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る