曇りの日

 自転車の制作そのものはうまくいった。


 シャオもすっかり乗りこなせるようになり、学園までの通学路もすいすいだ。


 ただひとつ、大きな誤算があった。


「ぶーぶー!」

「あたしらも自転車バイク使うにゃ!」

「壊れました」


 うちのフィジカルツートップである。


 まぁなんというか、たった数日でベルトチェーンを引きちぎってくれた。


 原因は金属疲労、要するに"全力で漕ぎ過ぎ"だ。


 洗練された自転車メーカーの技術者でもなし、所詮は素人の試行錯誤。


 獣人の麒麟児たちの全力に耐えられるものは作れなかった。


 ノーチェのは部品が外れて弾けたって感じだけど、スフィのは特に酷い。


 力任せに引きちぎったって感じで破損していた。


「加減してよ」

「アリスのなら大丈夫だっておもったんだもん」


 信頼は嬉しいけど、ぼくはそんな万能チートじゃない。


「おぬしらものう、わしみたいに物を大事にせねばならんぞ!」

「シャオも壊してたにゃ」


 あっちは慣れないのに対抗して加速した結果、転んだ拍子にフレームが破断しただけだ。


 この程度の事故で壊れるのはぼくの方のミスだったので反省しなきゃいけない。


 それはそれとして。


「下手なせいで事故って"壊れた"のと、使用限界を超えて"壊した"のじゃ訳がちがう。ふたりは当分使用禁止で」

「えー!」

「えぇー!」

「ふふん……む? いまわしディスられなかったのじゃ?」

「そんな事ない、かなぁ?」


 何かに気付きかけたシャオの相手をフィリアに任せて、ぼくは文句を言うスフィとノーチェに禁止を通達する。


 ちがうのよ。


 今ぼくってスライムカーボン、炭素繊維強化プラスチック、自転車の量産化、エナジードリンクのローカライズと4つくらい研究抱えてるんだよ。


 更には建築学科、造船学科、工学科、冶金学科、薬学科あたりに目をつけられている。


 1個1個は大した負担量じゃないんだけど、見なきゃいけないものも作らなきゃいけないものも多い。


 必要なものならまだしも、遊びのためのものに全力を費やす余裕がない。


 悲しい。


「アリス錬師、試作品持ってきたぞ」

「マクス、よくないところに」


 今にも雨が降りそうな曇り空の下、ぶーたれるスフィたちの要求をピシャリと拒否したところで、治療院からマクスがやってきた。


 手にしているのはエナジードリンクの試作缶。


 そう、とうとうこっちにも奴らが上陸してしまったのだ。


 ぼくたちがパナディアを旅立ってから暫くして、エナジードリンクは大きく普及した。


 今までは目覚まし、気付けのようなものって完全な薬品の領域。


 凄く効いて疲労が飛ぶって品物はあるけど、使うには相応のリスクを覚悟しなければいけない。


 そこに現れたジュース感覚で飲める目覚まし飲料。


 仕事前に、徹夜のお供に、研究の友として。


 錬金術師を中心に売れていき、冒険者や旅商人や船乗りにも広まりアルヴェリアにもやってきた。


 到着までが速すぎるのは、製造開発を任せているパナディア支部のマリナ錬師が色々気遣って資料やら現物やらを送ってくれたからのようだ。


 生活資金が必要だろうと思ってやってくれたみたいだけど、結果的に仕事が増えてしまった。


 こっちでも気に入った一部の若手錬金術師にせっつかれてアヴァロン版の開発が進められている。


「中まで運んで」

「あのアリス錬師、俺一応貴族……」

「運んで」

「くそぉ……正会員になったら覚えてろよ……!」


 玄関前で箱を置いて休憩してるマクスに指示を出して、ぼくはふぅとため息を付いた。


 彼はつい先日、正会員である第1階梯への昇格試験に挑み見事に敗北していた。


「はやく第1階梯試験に合格して?」

「……ぐぬぬぬ」

「あれ、兄ちゃんって受かったんじゃないにゃ?」

「しーっ、落ちちゃったんだって」

「実技はギリギリ合格ラインだったけど、そっちに注力しすぎて筆記で落ちた」


 外7での彼の指導役にあたるモルド錬師が苦笑してたわ。


「情けない」

「筆記に関してはアリス錬師に言われたくないんだけど!?」

「そのぶん実技でゴリ押したので」

「おのれ技師派め!」


 薬学部志望なんだから君も技師派にくるんでしょうが。


 因みに薬学部は技師派だけど、医学部は学士派だ。


 物創りするのが技師派、それ以外が学士派ってものすごくざっくり分類されているらしい。


「雨降る前に中に運んで」

「いっつも思うけどなんでそんな偉そうなんだ!」

「モルド錬師から扱き使ってやってくれって言われてるから」

「モルド錬師ぃ……!」


 出来る範囲で努力するくらいの社交性はあるし、世話をされるのは慣れている。


「試作品ってなあに? バイク?」

「エナジードリンク、パナディアで作ってたやつ。こっちでも売ってくれって」


 残念ながら手作業のため、まだ安定した供給は出来てない。


 輸送の問題もあるからパナディアからこちらまで運ぶことは無理で、現地バージョンを作ることになったのだ。


 権利的には開発者がぼくで、各支部での製造担当者を決める感じになる。


 届いたロイヤリティの額からしてマリナ錬師も相当儲けているみたいだ。


 そのせいか話が出始めてからちょくちょく関係者が"ご挨拶"しようとしてきて鬱陶しい。


 マクスがリビングに缶入りのエナジードリンクを運び終えて、試飲会がはじまる。


 小さめのコップに少しずつ取り分けて、みんなで飲むのだ。


「スフィね、りんごが好きだよ」

「知ってる」


 エナジードリンクと聞いたスフィがそろそろとぼくに近づいてきた。


 残念ながらリンゴはまだない、育ててる領地はあるみたいだけど出回るのは冬だそうだ。


「オレンジとレモンと……トマト?」

「自信作だとさ」


 全部に手なんてまわらないので、薬効成分の基本レシピだけ渡して製造は担当者に任せる形態を取っている。


 自分じゃ絶対に出て来ない発想のフレーバーも見れるので、それ自体は結構楽しい。


「……あたしはちょっと、すっぱいにゃ」

「すっぱい、にがい」

「う~ん……」

「うえ……ダメなのじゃ」


 柑橘系は獣人には不評だ。


 みかんをイメージしちゃったのもあるけど、たぶん使っているフルーツそのものの酸味が強い。


 まずいわけじゃないけど、ちょっと喉がぴりぴりする。


「飲みやすいなこれ」


 一方で若い成人男性かつアルヴェリア人のマクスには好評みたいだ。


「つぎはトマトだけど……」


 最後に出てきたイロモノであるトマトフレーバーは、意外な方向に舵を切ってきた。


 濃厚なトマトに混じって舌の上に広がる深い旨味は海貝特有のもの、恐らく貝類で取ったフォンをベースにしている。


 薬草が少しきつめのアクセントになって、おしゃれな薬膳トマトスープと化している。


「こっちはうまいにゃ!」

「おいしい、スープみたい!」

「美味しいのが悔しい」


 地球にもクラマトっていうハマグリエキスを入れたトマトジュースがあった。


 方向性としては完全にそっちに近い、だけどそれなら……。


「これでやるなら薬効の調整が必要」


 気合を入れる時に飲むものじゃなくて、完全に朝や夜の一杯だ。


 いっそ二日酔いに効く方向に舵を切ってもいいかも。


 早速感想と一緒に改良案をしたためる。


「……逐一調べなくても書けるんだな」

「うん」

「普段の論文や学業でそれが出来れば優等生なんじゃ」

「フカヒレ」

「シャアー……」


 マクスを少し静かにさせようとしたら、フカヒレに拒否されてしまった。


 噛まれると思ってとっさに身構えていたマクスが恐る恐る警戒を解く。


「危なかった」

「集中してるから、次はシラタマ」

「それは洒落にならないっ!」

「キュピピ」


 いつでも殺れるぜとウィービングしているシラタマから逃げたマクスを一瞬ちらりと見た後、メモ書きに集中する。


 えーっと……柑橘系は子どもには不評、レモンは大人向けにいっそ風味豊かにして、オレンジを調整して甘みを強く。


 トマトは味付けとバッティングしている薬草を指摘して、似たような効能で馴染みそうなものを案として並べる。


 効能をがらっと変えた別パターンも出して……っと。


 雨がぽつぽつと降り始める中、順調に作業は進んだ。


 こういうのなら、いくらでも出来るんだけどなぁ。



「救護室を覗く影、図書館のぬいぐるみ、あとはそうだなぁ……」

「何の話?」


 作業が終わったところで、マクスがみんなと談笑していた。


 兄弟が多い彼はなんだかんだで接しやすくて、子どもからも親しみを持たれる。


「マクスお兄ちゃんからね、学院七不思議について聞いてたの」

「クラスのやつらが噂してたにゃ、アリスは聞いたことないにゃ?」

「本では知ってる」


 そういえばそんなのもあったなぁ。


「一番有名なのは『精霊の館』だな、学院の地下には精霊神の住む館があるっていうやつ。学院のどこかにそこへの入り口があって、時々生徒が行方不明になるんだ」

「えぇー」

「それほんとにゃ?」


 本当なら生徒が消えるのは大事だし、絶対騒ぎになってると思う。


「俺が生徒だった頃もあったな。違うクラスに不気味な館の中に迷い込んだ子が居たって話だ、気を引くための嘘かもしれないがな」

「今度探してみるにゃ?」

「上等なのじゃ!」

「あ、あぶないよ……」


 探検に行こうとするノーチェとシャオを、フィリアがおろおろしながら止めている。


「精霊の館……精霊さん……」


 そしてスフィは何か呟きながら、怪訝そうにぼくを見ていた。


 精霊の話題になるとすぐ関連付けようとする。


 そういうのよくないと思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る