王立学院の劣等生?

 試験から3日後、予測したとおりに雨が降った。


 今は入学に向けて制服と教材が届くのを待っている。


「アリス、わかる?」

「……うん」


 ぼくたちはといえば、雨の日は机に向かって勉強だ。


 内容がわからないわけじゃない、本の内容は覚えているからやろうと思えば引き出せる。


 ただ……仕方なくやっているという感覚があるせいか、少しでも気を抜くと別のことに意識が持っていかれる。


「厄介な性分だにゃ」

「抜本的な対策が必要」


 成績は置いといても、流石に授業の妨害になってしまうのは困る。


「それにしても、おぬしはまったく怒られぬな……普通はめちゃくちゃ怒られるとおもうのじゃが」


 鶏肉を使ったサンドイッチをかじりつつ、シャオが呆れたように言う。


 今日はみんなシャツと短パンというラフな格好で、少しだらけ気味だ。


「錬金術師のじいちゃんから怒られたことってないにゃ?」

「あるよ」

「あるー」


 スフィとぼくの返事が重なる。


「怪我しそうなこととかね、危ないところにいこうとしちゃったり、約束をやぶったり」

「だいたいそんな感じで怒られてたね」

「まぁ基本的なことだにゃ」


 それ以外では、たしかに怒られたことないかもしれない。


 それで言うなら真っ先に目上の人間への言葉遣いとか態度を怒られそうなものだけど、今のところ誰からも注意されない。


「俺なら死ぬほど叱られてる成績だな……」


 一方でテーブルの端では勉強を見てくれているマクスが、ぼくの試験結果の考査を見て愕然としていた。


 さっきから頑なにこっちを見ようとしないけど、たぶんシャオが脚広げてるせいでパンツ見えてるからだな。


 シャオは引きこもり生活が長いせいか、こういった部分が無防備なのだ。


 ぼくもたびたびスフィに注意されてるので、ちょっぴり親近感を覚える。


「ハリード錬師やモルド錬師はなんて言ってるんだ?」

「"入学試験での成績なんてどうでもいい"って言われた」


 マクスは確認すべき相手を間違えてると思う。


 人のこと言えないけど、錬金術師は世間一般で言う"普通の人"と価値観がぜんぜん違う人が多い。


 いやね、一応いい成績じゃなくてごめんねくらいは言いに行ったんだよ。


『無事入学できたのだろう、ならば入学試験での成績なんてどうでもいい。学院生活を楽しみなさい。それよりスライムカーボンと例の強化プラスチックの研究資材が欲しいのだが』


 その結果がこれだ。


 怒られるかもなとは思っていたんだけど、練習で作った途中経過やらを渡して終わりだった。


 プラスチックの取り扱いに慣れたアルヴェリアには、スライムカーボンの共同研究と共に投げ込まれた炭素繊維強化プラスチックという概念は中々に衝撃だったらしい。


「どうでもいいって、そこだけ聞くとすんごい酷い言葉に聞こえるにゃ」

「たしかに」


 普通なら単純に見放してるようにしか聞こえない。


「ハリード錬師からは『入学試験が問題なくこなせるなら、そもそも貴女を学院に推薦する理由そのものが存在しません』って」


 わざわざグランドマスターが推薦人として名前を貸してきたことに疑問はあった。


 それは政治的争いを回避する以外にも、ぼくの成績ドベを予測してゴリ押すためでもあったのだ。


 結果的に読まれていた通りの結果になったのだから、ぐうの音も出ない。


 そう言いながら、庭に現れた気配に顔を向ける。


「わざわざ王立学院でやることか? 普通の学校じゃダメだったのかよ……」

「いくらアヴァロンとはいえ、普通の学校の教員と生徒がこの子に対応できると思いますか?」

「うわっ!?」

「にゃ! いつの間に庭に!」


 ハリード錬師が庭から窓越しに声をかけてきて、マクスとノーチェが悲鳴をあげた。


 この人はお茶目なのか、たまにこういう神出鬼没な現れ方をする。


「雨の中どうしたの?」

「いえ、可能ならもっと研究材料を貰ってこいと使い走りをさせられまして」

「大変だね、あがって少し休んでいったら?」

「ご厚意に感謝します」


 玄関に回ってきたハリード錬師が水を落としてリビングに上がってくる。


「シャオリン嬢、レディがはしたない座り方をしてはいけませんよ」


 入ってくるなり、お叱りを飛ばしてスマートに視線をそらす。


「む?」

「……あ! シャオちゃん下着! 見えてる!」

「のじゃ!?」


 慌てて脚を閉じるシャオに、マクスがほっとした顔をした。


 彼は指摘するには気づいたタイミングと位置が悪かった。


 席についてから気付くまで暫く時間が経っていたし、そのあいだ子どもの下着をジロジロ見ていたことになってしまう。


 別に意識してる訳じゃないだろうけど、少し対応に困っていたのは間違いない。


 …………あれ、ぼくが指摘すればよかったのでは?


「なんかアリス錬師に甘くないですか」

「甘い? どこがですか?」


 自問自答している間に、フィリアがお茶を出してくれていた。


 視線でフィリアにありがとうと伝えて、ペンを動かすのを止めて身体をのばす。


「いえ、錬金術師ギルドから推薦受けてこの結果なら……自分なら強く叱責を受けるだろうなと」

「当然でしょう」


 バッサリと切り捨てられて、マクスの頬が引きつった。


「求められている物が違うんですよ。あなたが推薦を受けるとするならばですが……求められるのは学院で良好な成績を出し、有望な錬金術師になりうると示すことでしょう。一方でアリス錬師に求められているのは錬金術師ギルドに革新的な技術や研究をもたらすことです」

「は、はぁ……」


 いつの間にか、全員が手を止めてハリード錬師に視線を向けていた。


「アリス錬師が叱責を受けるとすれば、成人するまでに錬金術師ギルドに複数の大きな成果を示せていない場合でしょう。それについては放って置いても何かしらやらかすだろうというのが上層部の共通見解です、スライムカーボンで既にひとつは形にしていますから期待度は凄いですよ」

「……あの新素材の出元ってアリス錬師だったんですか」

「おや、知らなかったんですか?」

「冶金学部や工学部が騒いでいたのは知っていましたが、情報の出元は薬学部までは回ってこなくて」

「緘口令はないはずですが、随分と口が堅いですね」


 安定した製法や使用法を研究するために色んなところから錬金術師を集めてるとは聞いたけど、随分とまぁ。


「とはいえ、アリス錬師も問題がないとは言えません。それを学ぶために学院を推薦された訳ですから、改善する努力はしてくださいね」

「わかってる」

「えぇ、ですがあの手口は努力と呼ぶには少々姑息が過ぎます。みんな笑っていましたよ」

「何のことにゃ?」


 ぎくりと視線をそらしたところで、ノーチェが疑問を呈す。


「あれだよー、アリスが作ってたやつ」


 作ってる最中に怒りもせず呆れるだけだったから、おそらく裏の理由まで察していたスフィがそれに答える。


「姑息?」

「勉強が嫌で逃避のために新素材の活用サンプルを作ったのでしょう。試験で思うような結果が出せない可能性を考慮して誤魔化すために。わざわざ会場に持ってきた理由がそれ以外にありません」


 そう、炭素繊維強化プラスチックのことだ。


「そんな理由で新素材を……」

「努力の方向性がおかしいにゃ」

「……もしかしたらちょっとは誤魔化せるかなって」

「誤魔化せてはいませんね。実技については想定内で、座学は想定している下限ギリギリでしたが許容範囲だっただけです」


 下限ギリギリだったのか、危なかった。


「先生とかは怒ってないの? その、模擬試験の時の先生とか」


 次におそるおそる手を上げたのはフィリアだ。


 前回の女性教員の勢いを見ているせいか、先生に怒られるのが怖いらしい。


「彼女なら『試験終わりまで大人しくしてくれていた』と短期間での目覚ましい成長に感涙していましたよ」

「成長でいいのじゃ?」

「えぇ、立派な成長です。年配の教員も最初は心配していたそうですが、試験や授業中に静かに座っていられるなら十分だと」

「……それでいいんですか」


 マクスがどこか納得いってなさそうに尋ねる。


「模擬試験のことがありますから、流石にそれをやられてしまうと前代未聞の落第になっていたと思います」

「……危なかった」


 素のぼくならやらかしてた。というかおじいちゃんに勉強教えて貰ってる時に普通にやってた。


 それをよぉぉぉく知ってるスフィが何とも言えない穏やかな表情でぼくを見ている。


 視線が痛い。


「おじいちゃんにお勉強教えてもらってるときね、気付いたらね、アリスがいなくなってて慌てて探しにいってたの」


 スフィが遠い目で空を覆う雨雲を見つめた。


 あの時はなんでだっけ。


 確か授業に集中しようとしてたら視界に入った床の染みの形状が気になって、そこから木目を追いかけるようになって……。


 あぁ、似た木目から同じ木から取られた壁や床を探してるうちに廊下で行き倒れたんだっけ。


「……あったね」


 思い出すと我ながら酷いな、ていうか似たようなこと模擬試験でやったな。


「……ほんとに大丈夫なのにゃ? 学校とか行って」

「疲れてなければ制御できる、多少は」

「治療院や錬金術師ギルドの業務は問題なくこなしていましたから、そこは信用されていますよ」

「それにゃ!」


 ハリード錬師のフォローに、突然ノーチェが立ち上がる。


「なんで治療院とかの仕事は普通にこなせるにゃ?」

「たぶん、仕事内容が好きだから」


 好きなことや得意なことへの集中力は普通に持続するのだ。


 言語化すると酷いな。


「なんというか……」


 みんなの視線がなんとなく冷たくなってきた。


「そういった性質を生まれ持った子は普通にいますよ、身体機能の得手不得手のようなものです。通常だとハンディキャップとなるだけなのですが、稀に突出した才能を見せることもあるんです。……まぁ、ここまで突き抜ける事はまずありませんが」

「あ……」


 居心地が少し悪くなったところで、ハリード錬師がフォローしてくれる。


 ノーチェたちは納得したように生暖かい眼になった。


 マクスには何か思うところがあったのか、ハッとしたあと何故か恥ずかしそうに顔を伏せた。


 スフィはずっと生暖かい眼だ、おじいちゃんを思い出す。


「副担任に対応に慣れている教員が選出されると思います、Dクラスはそういった子の受け皿という側面もありますので」

「あ、劣等生クラスじゃないんだ」

「なんでちょっと残念そうなのじゃ」


 劣等生クラスだとばかり思ってたらそうでもないらしい。


「いえ、上位クラスの生徒とごく一部の教員からは劣等クラスと見られていますよ。入学時に基準は越えていてもギリギリか、何らかの問題ありと判断される子が集められますから」

「ふむ」


 かと思いきや実は劣等生クラスでもあるらしい。


「今年は当たり年ですので同期の中では絡んでくる子も居るでしょうが……アリス錬師ならば大丈夫でしょう?」


 ハリード錬師の言葉には、"その程度"は自力でどうにかできて当然というニュアンスが含まれている。


「大丈夫、学外の権力を持ち出してきたらローエングリン老師に泣きつくから」


 推薦人なんだから、頼る先はそこで合ってるはずだ。


 堂々としたぼくの返事に、ハリード錬師以外がずっこける。


「アリス……」

「そこでそれは情けないにゃ!」


 いや、普通に考えてそうでしょうよ。


「いいえ、正解です。権力に実力で対抗しようとすれば待っているのは泥沼の殲滅戦ですよ。そこで自力で解決すると言い出すほうが要指導ですね」

「自分に自信があるのなら、実力と実績を担保に根回しして権力を借りるべき」

「……聞いてると無茶苦茶やった挙げ句にグランドマスターの権力頼りになりそうな感じだけど、そっちのほうが大丈夫なのか?」


 確かにちょっと気になる。


 ぼくとしてもわざと問題を起こすつもりはないけど、結果的に迷惑をかけることにはなりそうだし。


「いえ、大丈夫だと思いますよ」


 ハリード錬師は一派ってわけではなさそうだけど、恐らくローエングリン老師とも繋がっている。


 そんな彼は、実にさらりと何でもなさそうに言い放つ。


「あの方は『この腐った学院をぶっ潰す』とか言い出して手勢のゴーレムを引き連れて職員室占拠したり、試験中に飲酒して試験官と喧嘩した挙げ句、試験会場破壊をやらかした元祖ですから」

「…………」


 流石はグランドマスター、問題行動のレベルが違った。


「当時の上層部が謝罪行脚をして事を治めたそうです。最上級に至るような錬金術師の中には何かしらの問題児伝説を持ってる方がそれなりにいますから、慣れているのでしょう。一応は恥なので敢えて語ることはないでしょうが」


 あんまりな情報開示に誰も何も言えない。


 もしや錬金術師ギルドの上層部って、問題児の巣窟なのでは……?

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