問題児

 模擬試験の後、トイレを済ませた帰り道でスフィの背中に揺られながら聞いてみる。


「ね、スフィ」

「んゅ?」

「……みんなで学校、行ってみようか」

「うん、頑張れば通えそうだもんね」


 移動に関しても、目立つの覚悟でシラタマに乗せてもらえばかなりカバーできる。


 ノーチェたちも模擬試験は楽しそうで、特に実技では活躍したと話してるのを聞いた。


 説教中に。


「アリスはいいの?」

「……通えるなら通いたいって気持ちはあった」


 色々理由をつけてたけど、怖かっただけだ。


 あの人間がたくさんいる空間に馴染めるのか、学校という場でうまくやっていけるのか。


 正直自信はないし、自分に適性があるとも考えてない。


 それでも勧められて、通えるかもって思うと嬉しい気持ちがあった。


「ついたよ、降りれる?」

「うん」


 救護室にたどり着いて扉を開けると、コメカミに血管を浮かべた女性教師と、少し呼吸が乱れているハリード錬師が待っていた。


「おかえりなさい、落ち着きましたか? 続きをして大丈夫ですか? ねぇ!?」

「ただいま、ハリード錬師」

「はい、どうしましたか?」


 女性教員に帰還の挨拶を済ませ、色々面倒を見てくれたハリード錬師を見上げる。


 ハリード錬師がぼくたちの知り合いってことで、今回駆り出されたことくらいはわかってる。


 きっとこっちの意思を色々と言っておけば必要なところに伝えてくれるだろう、彼はそのくらい気が利く人間だ。


「勧められてから色々考えてた、学院の中を見て回ってさっきひとりになった時に考えた……学院の推薦、受けてみたい。ぼくはこの後しばらくダウンするから、伝えておいてもらえる?」

「はい、学部長とギルド本部にもしっかりと伝えておきましょう」

「ありがとう、自信はないけど、試験とかもがんばってみる」

「えぇ、アリス錬師ならきっと大丈夫ですよ」


 いつかのように口元だけでほほえみを浮かべ、ハリード錬師は激励の言葉をくれた。


「――私は大丈夫じゃなさそうです」


 かすれた言葉に視線を向けると、ついさっきまで元気に説教していた女性教員が救護室のベッドに上半身を突っ込んで唸っていた。


 さっきから怒ったり萎れたり情緒が安定してないけど、この先生は悩みでもあるんだろうか。


「あの先生、大丈夫なの?」


 こっそりハリード錬師に聞いてみる。


「今日は見学者が多いので、少々疲れが出たのでしょう」

「じゃあそっとしといたほうがいいね」

「そうですね」


 疲れてるなら邪魔しちゃ可哀想だし、また部屋の隅で固まってるスフィたちの元へ向かう。


 少し休んでトイレも行って回復したし、体調もさっきよりは良い。


「そういう訳で、みんなも学校の試験受ける方向でいい?」


 嫌なら無理強いはできない、立場的にぼくだけ外れる事はできないけど、ぼく以外なら選択権がある。


 そう思って最終判断を聞こうとしたんだけど、ノーチェとフィリアとシャオが3人揃って何か恐ろしいものを見るような眼をぼくに向けた。


「ま、前からちょっと片鱗はあったけど……」

「こうしてみると……なのじゃ」

「おまえ、すげぇにゃ」


 ……どういうこと?


「あのねアリス、おねえちゃんね?」

「うん」


 困惑していると、困った顔のスフィが口を開いた。


「さすがにちょっとね、フォローできないの」


 どういうことなの。



「王立学院には優秀な学生が集まりますから、時に振り回されることもあるでしょう」

「限度ってありますよね! 初っ端から投げっぱなしのフルスイングなんて誰が想定するんですか!」


 ハリード錬師になだめられながら、女性教員が枕を殴っている。


 少し落ち着いたところで聞いてみると、どうやら女性教員に対するぼくの態度がよほどひどかったらしい。


 ……そこまで言われるような対応したっけ。


「アリスね、ちょっとおつかれだから……」

「疲労によって思考が鈍ることはあります。今にして思えばアリス錬師の体力で学院を見学して回り、模擬試験までやるのは辛かったでしょうし」

「それにしたって授業態度に不安しかありませんよ! 錬金術師ギルドの紹介だそうですが大丈夫なんですかこの子!」

「むしろそういった部分を学ばせてやってほしい、そうです」

「18で教員として就職して12年間子どもたちを見てきた私が言いますけど! たぶんそういうの正面から殴り倒していくタイプの子ですよ! 見た目に騙されちゃいけません!」

「錬金術師ギルドでは教員とアリス錬師どっちが先に折れるかでトトカルチョが始まってますから。見た目で騙されているわけではないので大丈夫ですよ」

「不安しかありませんよ!?」


 自覚はないけど、大変な思いをさせたなら謝らないといけない。


 ……っと、床に隠し通路のたぐいはないか。


「アリスは何をやっておるのじゃ?」


 床を触って隠し通路か、入り口のスイッチみたいなのがないかと探っているとシャオが不思議そうにしゃがみこんできた。


 パンツ丸見えだからその座り方やめたほうがいい。


「救護室に秘密の地下室があって夜な夜な人体実験が行われてるって書いてあったから」


 学院の7不思議のひとつだ。


 事実かどうかはわからないけど、噂が立つだけの何かがある……あったんだろう。


「いや、この状況でやることなのじゃ?」

「だって……」


 何かしら話そうにもハリード錬師と会話してるし、待ち時間が手持ち無沙汰で勿体ない。


「うーん……スフィ、アリス熱あるんじゃにゃいか?」

「さっき触ったときはなかったよー」

「アリス錬師」


 さっきまで女性教員と話していたハリード錬師がじっとぼくを見る。


「まさかとは思いますが、皮膚周辺の空気に錬成をかけて伝わる温度を弄っていたりしませんよね?」

「…………」


 ぼくに視線が集まる。


 視線をそらすと、救護室の端に居た治療師がおそるおそる手を上げるのが見えた。


「ハリード錬師、そんな繊細な大気の錬成など机上の空論では……」

「若かりし頃のローエングリン老師が仮病のために熱をあげようと挑戦して、1度だけ成功したことがあると酒の肴に聞きました。上げすぎて逆に火傷したそうですが」


 無言でずかずか近づいてくるスフィが、ぼくの額に手を当てる。


「何もしないで、シラタマちゃんも!」

「キュピ」


 流石はスフィ、わかってらっしゃる。


 普段は命令なんて聞かないシラタマも、やれやれと羽をすくめて何もする気はないようだ。


 手札を封じられたぼくは大人しく熱を測られるしかなくなってしまった。


 暫く手をあてていたスフィの眦がどんどんつり上がっていく。


「ちょっとあるじゃん! いつから!?」

「……お昼食べたあと、みんな楽しそうだったから、邪魔したくなくて」

「いくらアリスちゃんでも、試験のはちょっとおかしいなと思ったら……」

「だんだん手口が巧妙になっていきやがるにゃ」


 言ってもそこまで酷い熱じゃない、微熱くらいだ。


 うまくごまかせると思ったのに。


「み、御業のごとき絶技をそんなことに……」

「やはり体調が主原因のようです。疲れていなければもう少しマシだと思いますよ、周囲の観察力は非常に鋭い子ですから」

「だといいんですけどね……!」


 ハリード錬師が女性教員とやり取りしている傍ら、ぼくはスフィの背中に強制的にくくりつけられていた。


「見学中止! かえります!」

「まぁ見れるところ一通り見たからにゃ、今日は世話になったにゃ」

「あ、あの! ありがとうございました! アリスちゃんがごめんなさい!」

「わしに免じて許してやってほしいのじゃ、こいつはダメなやつなのひゃあああ!?」


 シラタマに作ってもらった雪の塊をシャオの襟首から背中に放り込みつつ、ハリード錬師と女性教員に手を振る。


「今日はごめん、色々ありがと。ハリード錬師と……えっと、先生」

「一番最初に自己紹介しましたよね!?」

「聞いてなかった」


 基礎教養めんどくさいなって窓の外眺めてたから、完全に耳から耳へ通り抜けてた。


 そしたら外に見たこと無いチョウが飛んでたんだよね。


 窓の外ではさっきまでチョウと格闘していた錬金術師たちが小さな籠を囲んでしげしげと観察している。


 結局捕まえることが出来たらしい。


 たまたま学院に来ていた昆虫学の学士たちが次々に集まってきたんだよなぁ。


 いまも何か話しているようで、耳をすませるとあーでもないこうでもないとチョウの種類について話をしている。


「頭部はアルヴノートパプルに似ているが、翅の色と形が違う」

「腹部の線の数も違うぞ。触覚の先端も特徴的だ、大陸東方では南北に渡って見たことがない」

「少なくとも近隣に生息している種ではないな」

「ウヒヒヒ、綺麗な翅だぁぁ。いま外3支部に西方諸国の鱗翅目図鑑取ってきてもらってますけど結構かかりますよぉぉぉ、どうしますぅぅぅ?」

「飼育環境もわからないうちに生体を研究室に持ち帰るのもな、絵心のある者はいないか?」

「放すなら花の咲いている明るいうちにぃぃぃ! 生息域や食性も確認しておきたいぃぃぃぃ!」


 同定作業に入るための話し合い中っぽい、捕まえて標本にするかと思いきやデータを取ったら解放するみたいだ。


 似たような生物の例がないか、あちこち調べなきゃいけなくて生物学者も大変だなぁ。


 蝶は無事に解放されるみたいで安心したので、窓の外の音を拾うのをやめる。


「――です、聞いてますか?」


 集中を解くなり女性教員の声が耳に入ってきた。


 なんだろう。


「ごめん、聞いてなかった」

「でしょうね!!」


 あー、意識が別の場所に向いていて耳にすらはいってなかった。


 これで女性教員が完全にへそを曲げてしまったことは、流石に考えなくてもわかる。


 ……人付き合いって、難しい。

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