"凡百"のヴァンベルト

「あー、俺が試験官をやらせてもらうヴァンベルトだ。通り名は"凡百"、よろしくな」


 広めに作られた木造の訓練場、そこに居た中で試験官だと名乗り出てきたのは、何とも雰囲気の暗いおじさんだった。


 年齢は40半ばくらい、黒に近い髪の毛はぼさぼさで長く伸ばされ、やる気の無さそうな目の下にはクマがある。


 顔立ちは整っているけど無精髭まみれで清潔感はない、使い込まれた皮のコートを身に纏っていなければ酒瓶片手に道端で寝転んでそうな雰囲気すらある。


 だけど。


「…………」

「……ぅるるる」


 少し前まで暢気に笑っていたスフィとノーチェが、ヴァンベルトを見るなり表情を強張らせて腰の剣に手をかけた。


「ど、どうしたのふたりとも?」

「優秀なのが居るって聞いたが、想像以上だなこりゃあ」


 ふたりの反応は当然だ。


 この人強い、それも段違いに。


「な、なんでヴァンベルトさんが!?」

「なぁ、あのおっさん誰だ?」

「ばっ、お前知らないのかよ!」


 スフィたちの実力を見極めようと追いかけてきたギャラリーが、真ん中に立つヴァンベルトを見て驚愕している。


「どうしたのじゃ?」

「あのおじさん、相当強いから」


 佇まいから感じる威圧感に、静かで研ぎ澄まされた音。


 ぼくの感覚を信じるなら、フォーリンゲンにいたシスター……かつて盾の聖女と呼ばれていた、光神教会の騎士の中の最高峰と同格。


「知らねぇよあんなおっさん」


 小馬鹿にしたような声を出すのは、ぼくたちより少し上の男の子たち。


 勝ち気なのは結構だけど、敵の実力を読み取れる目が無いと冒険者としては苦労すると思う。


「あんなぼさぼさのおっさんがなのじゃ? なんじゃおぬしら、意外とビビリなのじゃな!」

「…………」


 一瞬隣の狐さんをどつこうか本気で悩んでしまった。


「おっさんを倒すのがFランクの昇格試験なのにゃ?」

「まさか、戦えるところを見せてもらえればいい」


 もしも倒せと言われたら、正気を疑う難易度だと思う。


「3人まとめてでもいいぞ」

「なめすぎにゃ、おっさん!」

「やる!」

「え、えっと……」


 ヴァンベルトの挑発に乗っかったノーチェとスフィが武器を構える中、フィリアだけが困惑したようにメイスを握りしめていた。


「フィリアー! そのひとちょう強いー!」

「ふえっ!?」


 見かねて声をかけたところで、耳をピンとさせながらぼくの方を見てしまった。


「フィリアだめ、前」


 違う違う、武器を構えた時点で……。


「武器構えた時点で戦闘ははじまってんだ、気ぃ抜くな」

「えっ……きゃあ!?」


 声をかけられたフィリアが前を向いた時には、ヴァンベルトはすぐ傍に接近していた。


 目の前で指を弾いた瞬間、衝撃でフィリアが吹き飛ばされる。


「フィリア! よくもやったにゃ!」

「ノーチェ! 合わせていくよ!」


 仕組み的には恐らく、凄まじい精度の練気で指先だけ強化して空気を弾いたってかんじか。


 "基礎技術も極めればここまで出来る"の好例を見せられた気分だ。


「複数人で挑むことへの躊躇のなさ、いいね」

「うるせぇにゃ!」


 抜剣したふたりが、左右に分かれながらヴァンベルトに迫る。


「「『スラッシュ』!」」


 交差するように放たれた剣閃を、当然のように身を捩って避けた。


 殆ど存在しない攻撃の隙間を縫うように、かすり傷すら負っていない。


「速いにゃ!」

「ちがう! このおじさんアリスみたいなことする!」

「にゃ!?」


 え。


「アリスはあんなに動けないにゃ!」

「んー! ちがうの! アリスはね、えっと……」


 まったく心当たりがない言葉に思わず首を傾げてしまう。


 スフィも何か理解したのかもしれないけど、言葉が足りなすぎて全く伝わらない。


「ほら、相談は戦闘が終わってからだ」

「ニャア!?」

「ひゃあ!」


 ふたりの間を割るように振り降ろされたのは、訓練用の木でできた槍。


 どちらも咄嗟に飛び退いて避けた……いや、当てる気はなかったのか。


「このままやられるのは気に食わにゃい!」

「スフィもおなじ!」


 翻弄されているようなものだけど、ふたりの闘志には火がついたようだ。


「たぶん当たらない! えっと、アリス!」

「なに?」


 急に声をかけられて、こっちに注目が集まってビクっとなる。


 ……前世で研究者の見世物にされていたのを思い出すから、観察される視線はちょっと慣れないんだよね。


「アリス! あれどうやるの?」

「あれ……?」

「あのおじさんがやってるみたいなの!」

「先読み? 誘導?」


 なぜぼくに聞くのかわからないけど、ぼくがスフィたちの攻撃を避けれる可能性があるとすればそのくらいだ。


 たまに訓練に混じった時、攻撃を捌く時は音から相手の動きを先読みして、攻撃地点を誘導することでなんとか捌いている。


 ぼくのほうは問答無用で組み付くという攻略法が確立されてるから、スフィたちにはもう通じない。


 あんな実力者がやると本当に厄介になる。


「さて……試験官としてはこの時点で十分合格だ。で、どうするお嬢ちゃんたち」

「はっ、消化不良もいいとこにゃ!」

「一撃当てる!」

「う、うぅ……わ、わたしも戦う!」

「上等だ」


 発破をかけられたところで、フィリアが何とか起き上がった。


「アリス、どうすればいいか教えて!」

「……ルール的にどうなの?」

「構わねぇよ」


 念の為確認してみたら、あっさりと許可が出てしまった。


 とはいえヴァンベルトの動きを読むのは簡単じゃない、こうしてゆっくり観察しているのに音が静かすぎて動きが読めない。


「アリスの指示を聞くにゃ、あたしらじゃまだ当てられる気がしにゃい」

「うん!」


 仕方ない。


 ゆっくり立ち上がって手を挙げる。


「作戦タイム」

「認める」


 認めちゃうんだ。


 油断するなとフィリアをふっとばしたのは何だったんだ。


 内心で突っ込みながらヴァンベルトを見れば、どこか面白そうにぼくを見ていた。


「……耳貸して」

「うん!」

「にゃ」

「どうするの?」


 3人にだけ聞こえるような小声で作戦を伝える。即席の思いつきだけど、一撃掠らせるくらいならいけるはず。


 概要だけ伝えたら、ささっとその場を退避して置物とかしているシャオの隣に座る。


 どうやらこの子も注目は苦手なようだ。


「もういいのか?」

「いいにゃ!」


 相手が気配を読んでこっちの先を行くなら、想定できないことをすればいい。


 視線やフェイントでこっちの動きを誘導してくるのなら、それに乗らなければいい。


「突貫!」

「おー!」


 低い姿勢から駆け出したノーチェが先陣を切る。


 ヴァンベルトの前に辿り着くなり、剣を上に放り投げた。


 相手の視線は……ノーチェ、スフィ、フィリアの3人から外れていない。


 当然こんなフェイントには引っかからない。


「うずまく風よ! いまこそ集いて! 吹きすさべ!」

「スパークフラッシュ!」


 スフィの詠唱に合わせて、ノーチェが手のひらから剣に向かって雷を放つ。


 磨かれた剣に向かって迸る光が、ほんの一瞬目をくらませる。


「『害為す暴風ハームウィンド』!」

「みんなを守って!」


 スフィの手から魔術が放たれると同時に、ノーチェたちを守るように光の盾が完成する。


「おぉ」


 風の音に混じって、感心したような声が聞こえた気がした。


「うわぁ!?」

「何だこの威力!」


 訓練場は屋内で台風でも発生したかのような暴風に見舞われていた。


 暫くして風が止み、眼を開けるとヴァンベルトがへし折れた槍を持ち上げて疲れた顔に笑みを浮かべた。


「合格、それも満点だ。パーティ単位ならすぐにでもDランクで戦えるくらいだな」


 訓練場一面についた暴風の痕には、ヴァンベルトを中心にして扇型の空白がある。


 そもそも避けるつもりもなさそうだったけど、完全に防がれてるなこれ。


「うー! いい線いったとおもったのに!」

「悔しいにゃ……」

「落ち込むな、全員連携の取れたいい動きだった」


 満足そうなヴァンベルトに対して、ノーチェたちは悔しそうだった。


 まぁたぶん、相手が悪い。


「あのおっさん、なんで無傷なんだよ」

「当たり前だろ、だってあの人は"凡百"のヴァンベルト」

「この大陸南東部じゃ知らぬ者の居ない、Aランク冒険者だぞ!」


 どう考えても、こんな子供の昇格試験を見るような人物じゃなかったのだから。

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