束の間の

「寒いのじゃっ!? なんなのじゃこここは!?」

「えーっと、異界の部屋を使える扉のアーティファクト」


 404アパートのリビングを見るなり、シャオは目を丸くしながら叫び声をあげた。


「異界……確かに窓の外は見たこともない世界なのじゃ、そして寒いのじゃ」

「今は冬だからね」

「キュピッ、キュピッ」


 部屋に入るなり、カンテラから飛び出してきたシラタマが窓から外を眺めて身体を揺らし始めている。


 このご機嫌加減だと今日は雪が降るかもしれない。


「子供だけで旅など結構無茶じゃと覚悟しておったのじゃが、余裕なわけじゃな」


 シャオは良いとこの家の子なので、アーティファクトに触れたこともあるようだ。


 異空間の部屋につながるアーティファクトで、その部屋を自由に使えるという説明で納得してくれた。


 同時に隠していた理由も察したようで、やっぱり地頭の良さを感じる。


 パーティ内での頭の良さでは、ぼくが一番順位低いのではという疑惑が強まったけど。


「これは確かに人に言えぬのじゃ」

「仲間はずれだったって泣くかと」

「わしとて言えぬこともあるくらい、わきまえておるわ!」


 おっしゃるとおりで。


「それにしても奇妙な町並みなのじゃ、空になんぞ飛んでおるし、あれは竜なのじゃ?」

「人を運ぶための魔道具みたいなもの」

「なんと……」


 目敏く飛行機を見付けたシャオが、窓ガラスに触れないギリギリで空を見上げた。


「それより、せっかくだからシャオもお風呂入ってきたら?」

「何? 風呂があるのじゃ!?」


 耳をぴくぴく動かして振り返ったシャオの瞳が輝く。


「温かいお湯を満たした湯殿もあるのじゃ? ラオフェンを出てからもう大分入っておらぬ!」


 道理で出会った時からちょっと獣臭いなと思った。


 直接言うと泣きそうだから口には出さないけど、肉食種族の子はこまめに洗わないと尻尾や耳の付け根が獣臭くなるのだ。


 こればっかりは水洗いだけじゃどうにもならない、汚れそのものは水でも十分落ちるんだけどね。


「あるけど、流石に今はシャワー……お湯を浴びるだけになると思う」


 浴室から聞こえるのは、皆がはしゃぐ声と水の流れる音だけ。


 はしゃいでいるのにお湯を叩く音がしないし、そもそもお湯を貯める時間はなかった。


「うぬぅ、しかし湯浴びはしたいのじゃ! 使わせてもらうのじゃ!」

「うん」


 尻尾をふりふりするシャオを浴室に案内して、簡単に使い方を教える。


 それから浴室の中に声をかけた。


「シャオに見つかった、シャワー使いたいらしいから入れてあげて」

「わかったにゃー!」

「いいよー!」


 ガチャリと音を出して鍵が開くと、体中泡まみれのスフィが顔を覗かせた。


 ……いや、なんでそんな泡だらけなの。


「なんじゃこの匂い?」

「石鹸の匂い」


 扉が開くなり漂うボディソープの匂いは、獣人でも不快に感じないタイプのもの。


 補給品のケア用品は、香りの強くない物が大多数で助かった。


 パンドラ機関のエージェントが使うための物だし、香りが少ないもののほうが都合が良かったんだと思う。


「入っちゃって」

「あったかくて気持ちいいよー!」

「う、うむ」


 わたわたしながら服を脱いだシャオの背中をぐいっと押すと、シャオが恐る恐る浴室内に足を踏み入れる。


 と、同時に足を滑らせた。


「のじゃあっ!?」

「うにゃ!? あぶねぇ!」


 一瞬背筋がひやっとなった、二の腕に鳥肌が浮かぶ。


 まさか床まで泡だらけにしてるのか。


「泡立てすぎは気をつけて、さすがに危ない」

「うん、お湯で流しちゃう」


 こんなんで大怪我とか笑えない。


「そういえば、アリスは入らないの?」

「さすがに満員でしょ」


 いくら小さな子供とはいえ、4人も入れば浴室はパンパンだ。


 5人になればギュウギュウ詰めになりかねない。


「あとでお湯入れてのんびり入る」

「あ、いいなぁ」

「わしもあとでそれやりたいのじゃ!」

「あとでね」


 何より、宿にはユテラがいる。


 アルヴェリアまで一蓮托生なシャオならまだしも、流石にバレるわけにはいかない。


 軽く言葉をかわしてから浴室を後にして、リビングにシラタマを迎えに行く。


「…………?」


 リビングに入った瞬間、ベランダから視線を感じた気がした。


 すぐに目を向けたけど既に何もいない。


「シラタマ、いまベランダに何か居た?」

「……キュピ」


 ずっと窓から外を見ていたシラタマに聞いてみるものの、返答が要領を得ない。


 曇り空からちらちらと振り始めた雪を見ながら、なぜか呆れたように首を振っていた。



 暫く警戒していたけど、何事も起こらなった。


 シラタマも何か警告するようなこともなく、ベランダの外でのんびり羽繕いをしている。


「フカヒレは何か知ってる?」

「シャー?」


 ソファに座ってフカヒレを抱き上げて聞いてみるけれど、首をかしげるだけだ。


 危険があれば教えてくれるだろうし、シラタマの態度からして心配がいらないことはわかる。


 だけど、ねぇ。正体がわからないとやっぱり不安はある。


「少しくらい教えてくれても罰はあたらないのにね」

「シャー」


 そんな愚痴を言った所でどうしようもないんだけど。


「あれ、アリスはこっち?」

「スフィ?」


 宿側の音を聞き取るため、リビングの扉を開けっ放しにしてフカヒレとじゃれていると、スフィがひょこっと顔を覗かせた。


 南国仕様の薄着だ、流石に真冬の東京の気温だと風邪を引く。


「ノーチェたちは寒いからシーラングの方に行っちゃったよ」

「うん」


 つい先程、シャワーを終えたノーチェたちがぞろぞろと宿に向かう音を聞いていた。


 てっきりスフィも宿側に戻ると思っていたけど。


「アリスは?」

「涼しいし、シラタマも機嫌いいからもう少しこっちにいる」

「そっか……雪って、なんか久々に見た気かも」

「数カ月ぶり」


 永久氷穴の影響範囲内に居た時に散々見ていたけど、なんだか随分と昔に感じる。


 実際にはほんの少し前のことなのに。


「アルヴェリアまで、あとちょっとだね」

「うん」


 隣に座ったスフィに、ひざ掛け代わりにしていた毛布を半分明け渡す。


「ここまでこれたね」

「思ったより、ずっと早くね」


 まだ旅立って1年経っていないのに、もう半分。


 本来なら数年がかりになるような旅路。急ぎはしたけど、こんなに早くここまで来ることが出来るとは思わなかった。


 信頼できる仲間が出来て、一気に動ける範囲が広がった。


 一時はどうなることかと思ったけど、永久氷穴ではシラタマと出会えて簡単に雪原を抜けられた。


 こんなにハイペースで進むことが出来たのは、間違いなくノーチェとフィリアのおかげだ。


「シーラングに空港ができていたのも、大きかった」


 当初の予定だとシーラングに入ってからは、国境を越えて北部にあるテサロニアに行き、そこの首都で空港に乗るはずだった。


 途中にある湿地帯を避けるなら大きく迂回しなきゃいけないから、子供の足で数ヶ月の旅路になる。


 そのうえ近隣の国を経由しつつ乗り換えもしなければいけないので、どうしたって時間がかかる計算になっていた。


 でもシーラング首都空港なら半月も必要ない、しかも空路の関係でアルヴェリアまで経由する空港も少なくて済む。


 嬉しい誤算だった。


「……おとーさんとおかーさん、いるのかな」

「さぁ?」


 スフィには申し訳ないけれど、ぼくは親という存在に幻想を抱けない。


 前世の記憶なんて余計なもののせいで、どうしたって素直に信じることができないんだ。


 見たこともない父親に、暴力と罵倒ばかりだった母親。


 当時はそれが当たり前だと思っていたけれど、それが世間一般で言う虐待にあたるってことを理解したのはいつだったっけ。


 家族という形に憧れを抱いたときと同じくらいだった気もする。


「会えるかなぁ……」

「どうだろう」


 おじいちゃんに拾われたあの森にぼくたちが居たことに、どんな理由があるのかわからない。


 良い方悪い方どっちにころんだ所で、ただごとじゃない事情があるはずだ。騒動に巻き込まれることは避けられないだろう。


「会えるといいね」

「……そうだね」


 それでも……スフィの思いが叶ってほしい。そう願って止まない。

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