船出前
「そっかぁ……そろそろお別れかぁ。名残惜しいなぁ」
久々の薬学部で、船の往来が再開次第旅立つことを伝えると、マリナ錬師がため息を吐いた。
「もうどのくらいになるんだっけ」
「2ヶ月……3ヶ月?」
「なんだかあっという間だったね」
ぼくとしても、こんなに長く滞在するとは思わなかった。
薬学部のメンバーともすっかり顔見知りだ。
「エナジードリンクの方は任せといて、出発の時はちゃんと見送りに行くからね」
「お願い」
エナジードリンクの件について、ぼくが倒れている間にマリナ錬師が色々動いてくれていた。
冶金学部に話をつけて専用缶を作り、他の学部とも共同で大量仕入れから処理のラインを確立し……。
気づけば製造原価を銅貨3枚前後まで落とすことに成功。
現在は錬金術師や騎士、冒険者なんかを中心にサンプルを渡してリサーチの最中らしい。
随分と話が大きくなってしまって、少しびっくりしている。
「なんだか任せっきりでごめん」
「いいんだって、私にも得のある話だったし。今のところ評判もすごくいいから」
炭酸飲料に抵抗はあるみたいだけど、総合的な評判はかなり上々。
特にデスクワークをする人からは、頭がスッキリすると好意的だ。
「男性ばっかりだから、甘すぎるって意見も多いけどね」
「できれば最初はスタンダードを広めたい」
ベースとなるフレーバーはパナディア特産の熱帯フルーツだから、ジュース慣れしていない大人にはちょっと甘すぎたみたいだ。
でも最初はスタンダードを広めるって方針に変わりはない。
「悪い評価ってほどでもないから、それでいいと思う」
「ならよかった……ところで」
そこで話を切り替えて、ぼくはさっきから気になっていた机の一角へと目を向けた。
「マイク錬師とカート錬師はどうしたの?」
「カートのバカは中級製薬の認定に落ちただけよ、マイク錬師は……」
机に突伏するカート錬師、隣では虚ろな表情のマイク錬師が黙々と下級の治癒ポーションを作っている。
その一帯だけなんだか凄く空気が……重い。
「家庭で色々あって、気にしないであげて」
「……わかった」
何かがあったらしい、マリナ錬師がものすごく哀れそうに視線を逸らした。
「そ、それより。アルヴェリアの星竜祭には私も行くから、またアルヴェリアで会えるかもね」
「マリナ錬師も来るの?」
「錬金術師にとってもお祭りだもの! 成果を認められれば竜の素材を貰えるかもしれないし!」
「そういえば、武人や職人にとってのお祭りだっけ」
職人には錬金術師も含まれる、当たり前か。
どうやらマリナ錬師も星竜祭に参加するらしい。
「お祭りの時期っていつ頃なの?」
「年末よ、今が春先だから半年以上先ね」
「今、春だったんだ」
冬真っ只中な日本と、常夏のパナディアばかりなのでどうにも季節感が狂う。
「ここからだと片道2ヶ月くらいかしら、夏には出発するつもりよ」
「意外と近い」
細かい計算はしていなかったけど、パナディアからアルヴェリアまで2ヶ月なのか。
「最近シーラングにも飛竜船の空港ができたのよ、船旅と空港までで1ヶ月半くらいね」
「空港は初耳」
シーラングはパナディアと海を挟んだ向こう側にある国。知っている情報だとそこに空港はなくて、更に隣国まで足を運ばないといけなかったはずだ。
「一昨年だし、知らなくても無理はないわね。少しは行き来しやすくなってるのよ」
「そうなんだ……」
東大陸での長旅を覚悟していたけど、思ったより随分と短縮出来そうだ。
「ちょっと安心したかも」
「そ、なら良かった」
安心してるはずなのに、旅が終わりが近づくことに寂しい気持ちもある。
なんとも不思議な感覚だった。
■
「酒だ、酒もってこい!」
「ちょっと! 子供たちの送別会なのよ!?」
場所は変わって浜焼き屋。この街に来た時に食べて以来、ちょくちょく遊びに来ていたお店。
シャオと初めて出会ったのもここだった。
市場にこじんまりと佇むお店には、今は人がひしめいている。
「冶金学部の方は花火で暫くなんとかなりそうだ、火と鉄関連には目がないからな」
「あれは見事だったからねぇ、商人や貴族が正体を探っていたよ」
「餌になってよかった」
焼き網を囲み、マリナ錬師だけでなく錬金術師が集まって飲めや食えや騒いでいる。おじさんには悪いけど貸し切り状態だ。
送別会の名目で、薬学部の面々だけじゃなくバザール錬師とフーパー錬師まで来ている。
「結局、前の海賊船の難破もサメのせいだったの?」
「いや、見たことがない歯型が残っていた。噛み砕かれたように見えるだけで実はぜんぜん違うのかもね」
フーパー錬師の本来の仕事は海獣被害の調査。サメ被害だけでなく難破した誘拐騒ぎの海賊船を調べることも含まれていたらしい。
幽霊船騒ぎの後は被害も収まり、船の出港制限は明日解除される見込みだ。
かなり性急な気はするけど、一刻でも早く船の運航を再開したい人たちが居たんだろう。
「ところで、その……サメっぽい何かは?」
「シャー?」
少し顔が赤らんだフーパー錬師が、ぼくの膝の上で魚を齧っているフカヒレに視線を向ける。
「船の中からついてきた、サメの精霊」
事情を説明するとめんどくさいことになるので、基本はこれで通すことになっている。
「サメの精霊……?」
「たぶんサメ、シャークって鳴くし」
「シャーク」
ぼくの声に合わせて、大きな魚を骨ごとゴリゴリ齧っているフカヒレが鳴いた。
「……サメは鳴かないよ? 体の構造からグゥやキュウみたいな音を出すことはあるが」
「……?」
え、こっちのサメも幽霊船の時とか普通に鳴いてなかった?
地球のサメは普通にグオオオとかギャースとかシャアアとか鳴くんだけど……。
うーん、言われてみればサメ人間は鳴き声を出してなかった気もする。
「シャー?」
「食べてていいよ」
体をそらして見上げてくるフカヒレにそう言ってざらざらの頭を撫でる。
「まぁ、精霊は人間の願望や幻想から力を得るという説もある。そういったイメージから生まれたのかもしれないね」
どうやら異世界のサメは地球のものとは違って基本的には鳴かないらしい。
本当に不思議な生き物だ。
「キュピ」
因みにシラタマは皿に乗せられた焼いた果物を突っついている。
「アリス錬師、食べてる!?」
「うん」
なし崩し的に始まった送別会で、マリナ錬師は進行役のようなことをやりはじめた。
大半が酒を飲んでるおじさんなんだから、適当にやらせておけばいいのに。
「アリス! こっち焼けたよ! はい!」
「ありがと」
漁師のおじさんたちと話していたスフィが、あちら側の網で焼かれていた貝料理を持ってきてくれた。
幸いというか当然というか、この集まりに病弱な子供から食べ物を奪うダメな大人はいない。
それどころか「これ美味いぞ」「もっと食え」と次々焼き上がった食べ物が運ばれてくる始末だ。
正直食べ切れる気がしないので、フカヒレとシラタマに頼っている。
「それでフィリアとシャオの危機にあたしたちが駆けつけて、バッサリとにゃ!」
「すげぇな! 流石は未来の大冒険者様だ!」
酔っぱらいに囲まれて、ノーチェの冒険語りが始まってる。
フォーリンゲンでは逃げるように出発したから、こんな盛大に送別会をやることになったのは想定外。
だけど、うん。こういうのもいいなって思う。
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