格安の傭兵拳闘士

「フーパー錬師、生きてる?」

「……縁起でもないことを言わないでほしいな」


 船長室の前でマスクを外して扉を開けると、机に本を積み上げていたフーパー錬師がぎょっとした様子で振り向いた。


 腰にあるワンドのようなものを手にしている、注ぎ込んだ魔力に応じた威力の火球を放つ魔道具だ。


 当然ながら、ぼくには使えない。


「外は中々やばい空間だった」

「あぁ、自分も少し見て単独での調査は諦めたよ。空を飛べるのは羨ましいね」


 さしもの海洋生物学者も、変異しかけの死体漂う得体のしれない赤い水に近づく気は起きなかったらしい。


 結局使わなかった魔道具入りの袋を返して、船長室へ入る。


「目的の物は見つかったのかい?」

「うん、そっちはわかったことある?」

「この船の船長は読書家で努力家だったことと、部下思いだったことかな」

「日誌全部読んだの?」

「あぁ、興味深かった。南方国家の海洋史では、副船長は逃げ損ねて捕らえられたと伝わっていたからね。大海賊の副船長にしては随分とねちっこい恨み言を残すものだと、何かあるなと疑問に思っていたよ」


 どうやら副船長は捕らえられ家族もろとも公開処刑されたらしい。


 そんな顛末まで伝わっているなんて、よっぽど有名な海賊だったみたいだ。


「あくまで推測でしかないが、未踏破領域が核となる存在の心によって生まれるのだとしたら。我々が船に……そしてこの部屋に"招かれた"理由は」

「……人間が齧ったみたいな跡があった、武器庫に繋がる扉に」


 ぼくのズレた返答に、フーパー錬師の視線が破り捨てられた錬金術の本へ向かう。


「錬金術師が居れば、少なくとも水を確保することが出来た、か」

「ん、船を直せたかもしれない、飢えないくらい魚を捕るための道具も作れたかもしれない」

「彼は求めていたのかな、仲間を解放するための手段を」


 考えついたことは同じだ。


 海の中での孤独に支配されたキャプテン・シャークは謎の泥を飲んで怪物になった。


 怪物が核となって、この未踏破領域アンノウンが誕生した。


 あの無限に続くような廊下は、霧の海を彷徨い続けた絶望のメタファー。


 財宝を餌に人を集めるのは長きにわたる孤独から。


 錬金術を使った瞬間この部屋に落とされたのは、ぼくたちが錬金術師だったから。


「彼は助けを求めていたのだろうか、孤独に耐えかねて」

「……少し、違うと思う」


 結論だけは、少し違った。


「武器庫があった、この最深部に」


 食べられもしない、使えもしない武器がたくさん残されていた。


 他の場所ならいざしらず、中心にもっとも近い場所にだ。


「日誌には、海賊の最後なら戦いの中で死にたいって書いてあった」


 強い男ってのは、死ぬ時にはカッコつけたい生き物だってたいちょーが言っていた。


 助けて欲しいとか、止めて欲しいとか、きっとそんな女々しい理由じゃない。


「錬金術師ならどうにかしてみせろ、俺を倒してみせろ――そう言ってんだろ?」

「アリス錬師?」


 床が揺れた。


 閉めたはずの扉がギィと音を立てて開いていく。


 遠くの方で、霧を押しのけるように水面が盛り上がり、巨大なヒレが姿を現した。


「な、なんだあれは!? そこらの船より巨大な……」

「初っ端から顔出す割に、随分ちゃちいサメだなって思ってた」


 挑発するような物言いに、徐々にサメの頭部が顕になっていく。


 左目が刀傷で潰れたホホジロザメが、とうとう凶悪な人相を水上に覗かせた。


 まるでクジラみたいなサイズ、可愛げの欠片もない。


「どうのこうの言う割に、随分悠長だなダメ船長」

「何を挑発してるんだアリス錬師! 先程までと性格が違ってないか!?」


 あぁうん、追い詰められるとね。


 一杯一杯になってたいちょーの真似に走ってしまう、似たような状況でいつもこういうこと言ってたからあの人。


「悪いけど付き合う気はないんだよ、デートの誘いなら花でも持って出直し……」


 突然巨大サメが身を翻し、シラタマが翼をはためかせる。


 凍らされた赤い水に混じって飛んできた"モノ"が、すぐ近くの船にぶつかって真っ赤な花を咲かせた。


「……花言葉は『次はお前だ』かな」


 思ったよりも気が利くサメだ、侮れない。


「言ってる場合かい!? 早く逃げるよ!」

「賛成」

「キュピ!」


 背中にしがみつくと同時にシラタマが飛び上がる。


 あっと思ったがフーパー錬師は咄嗟にシラタマの足に掴まっていた、なかなかいい反応。


「ヂュリリリ!」

「いたっ! 痛いっ!? な、何かぐえっ! 怒らせるようなことぐおっ!?」

「ごめんねシラタマ、ちょっとだけ我慢して」

「ヂュリリ!」


 フーパー錬師を蹴り落とそうとするシラタマを宥めながら、何とか上を目指してもらう。


 今落ちたらたぶん死んじゃうから……。


 結構力があるから重量的には余裕みたいなんだけど、これはしばらく機嫌が悪くなりそうだ。


 シラタマの背中から巨大サメを見下ろす。


 ヒレが船を押し退けながら、円を描くように動いている。


 その光景も、やがて濃霧の下へと隠れていった。



「ぐはっ!」

「フーパー錬師、無事?」

「な、なん……とか」


 穴から出るなり、振り落とされたフーパー錬師が床に叩きつけられた。


「……ごめんね」

「い、いや、精霊に触ってこの程度で済んだ、のは、幸運……だ」

「ヂュリリ!」


 割と怒り狂っているシラタマを撫でながら、フーパー錬師に頭を下げる。


 スフィはもちろん、ノーチェたちへの対応も大分マイルドになってきていたけど、シラタマの人間嫌いは筋金入りだ。


 今回は咄嗟だったけど、牽引用のロープとかも必要かもしれない。


「ひとまず、出られてよかった、自分ひとりでは厳しかったな」

「結構高かったもんね」


 実際に出るまでにかなりの距離を飛んだ。


 なんらかの飛行手段がないと、スムーズな脱走は厳しかっただろう。


「ふむ、ここは……」

「……船の中?」


 船の中心をくりぬいたホールって感じだ。


 真ん中の吹き抜けから見上げれば、何層にもなっている壁のない船室が見える。


 ここが最下層みたいで、吹き抜けになってしまっている空間の底部には水が溜まり、水底に積もった金貨を守るように頭部に火傷痕がある巨大なサメが留まっている。


 あれを見た後だと、可愛いサイズに思えてくるから不思議だ。


「戦闘痕がある」

「本当だね」


 漂う血の匂いを辿れば、甲板にもあったサメ人間の死体が水の中に浮かんでいた。


 鋭利な刃物でスッパリ両断されている、相当な腕の剣士でもいたのかな。


 向こう側には水着姿の女性の下半分が転がっている。


 もしかしなくても、しばらく前に落ちてきた人の半分だろうか。


――カタリ


「アイシクル……」

「ま、てっ」


 突然聞こえた物音に振り返り、シラタマに氷の刃を作って貰う。


 耳を澄ませないと聞こえないくらい掠れた声がした。


 部屋の隅に隠れていた何者かの影が動く。


「誰」

「キュピ」

「ッ!」


 機嫌の悪いシラタマが問答無用で影に向かって刃を放つ。


 やばいと思ったが止められなかった。


 とうとう殺ってしまったかと覚悟を決めた矢先、何者かは氷の刃を横に回避しながら殴り砕いた。


「か、ふっ、ま、っ」


 喉が張り付いたような掠れた声をさせて影が姿を見せた。


「…………誘拐騒ぎの、格闘家」

「てっ……き、する、気は、ねぇ」


 随分ボロボロになってやつれているけれど、そいつは間違いなく、誘拐事件で出会った拳闘士だった。


 喉を押さえながら手のひらをこちらに向ける拳闘士の男。


 って呆けてる場合じゃない。


「シラタマストップ」

「キュピ」

「ッ!」


 ぼくの合図を受けてシラタマが再び氷の刃を放つ。


 違うそうじゃない。


「ステイ、ヴァーテ待てハルト止まれ、おねがい」

「チュリリ……」


 両手を広げて眼前に立ちはだかれば、不満と不承不承を絵に描いたような反応を見せながら止まってくれた。


 これだから精霊アンノウンは……! 信頼できるシラタマですら油断ならない。


「ぜぇ、ぜぇ、た、の」

「はぁ」


 相手に敵意がないのもわかっている。雇い主を失った傭兵に過剰に警戒しても仕方ない。


 悠長な事してられないので、小さな竹製の水筒を投げ渡した。


 中身は普通の水道水だ。


 カルキ臭いのを我慢すれば、この世界の街で買えるどの水よりも綺麗で安全な代物。


「っ、ぐ、げほっ、ごっ……」


 男は震える手で水筒の栓を抜くと、咽ながら中身を喉へと流し込んでいった。


「大丈夫かい?」


 フーパー錬師が心配そうにしてるけど、ノーチェに怪我させた相手だ。


 どの程度水を飲んでないのか知らないけど、ぼくはそこまで優しくなれない。


「げほっ……プハァ、うめぇ、こりゃ甘露だ」


 何よりも、こいつはその程度でどうにかなるほどヤワな人間じゃないって確信があった。


 水筒を飲み終えた拳闘士の男はやつれた顔を拭いながら、尻餅をつくように座り込んだ。


「げほっ、ごほっ……この船に迷い込んで数ヶ月、天の助けたぁこのことだな」

「何があったのか手短に」

「……あの後すぐに責任追求されてなぁ。報酬取り上げとか言い出すもんで、やってらんねーから船奪って逃げたんだよ。そこまでは良かったんだが、嵐に巻き込まれて陸地を見失ってな……」


 まぁまぁ予想通りというか、拳闘士の男は敗北を咎められて小舟を奪い脱走。


 しかし別の陸地に逃げる前に嵐に呑まれ、困り果てたところに幽霊船を見付けて乗り込んでしまったらしい。


「外にゃ出れねぇし、食料も水もなくなってご覧の有様だ」

「よく生きてたね……木でも食べてたの?」

「……知りてぇか?」


 男が隠れていた奥の部屋、その片隅に転がる何かの生き物の残骸から目をそらしながら、首を左右に振る。


「はは……なぁ嬢ちゃんよ、物は相談なんだが俺を雇わねぇか?」

「わかった」


 大体そんなことだろうとは思っていた。よっぽど困窮しているようだ。


「確かに敵対してた関係ではあるけどよ、俺はあくまでも傭兵の仕事として……あん?」

「報酬は水と食料、一応パナディアでは犯罪者だから金銭での取引はしない」

「……いいのかよ?」

「面倒は省く、ノーチェを傷つけたことは許してないけど、傭兵がそういう仕事なのも理解してる。約束した報酬は払うけど、駒として優先順位が低いことは自覚しといて」


 傭兵に対して約束した報酬をケチったり、逃げようとしたりするのはダメ。完全に命を狙われる。


 だけどこいつの優先順位は低い、仲間のために捨て駒として扱わせて貰う。


 そこが落としどころだ。


「はぁ、敵わねぇな」

「契約成立でいいなら、手付け金」


 肩をすくめる拳闘士の男に、服の中から取り出したと見せかけて、紙に包まれたサンドイッチと水筒をもう1本投げ渡す。


 お昼に食べようと思って入れておいたぼくの分の弁当だ。


「おぉ、ありがてぇ!」


 器用にキャッチした男は紙をむしり取ってがっつくように食べ始める。


「……事情はわからないが、彼は信用出来るのかい?」

「傭兵としては、そこそこ」


 腕も立つし信用も出来ると思う。


 あの状況で折り合いをつけながら、逃げ出さずに雇い主側についていた。


 不利になったからって、即座に鞍替えしないのはポイントが高いと思う。


「んぐっ、ぐっ……ふぅ。っと、そういや自己紹介がまだだったな」


 男はサンドイッチを詰め込み、水筒の水で流し込む。食事はあっという間に終わった、食べるのが早いのもそこそこポイントが高い。


 気を取り直したのか、軽く服を叩き、髪の毛を調えて無精髭まみれの顔でニッと笑顔を作る。


「俺はゲンテツ、竜宮式飛拳術の元師範代。今はしがない傭兵だ、一応それなりには戦える……よろしくな」

「ぼくはアリス、評価は働きを見てからにする」

「あ、あぁ、自分はフーパー。海洋生物学を専門とする錬金術師だ、よろしくね」


 ぼくの言葉に拳闘士の男、ゲンテツは頬を引きつらせ、フーパー錬師が苦笑いしながら割って入る。


 おじさんとして匂いに言及されないだけありがたく思って欲しい、ぼくですら離れた位置からハッキリ嗅ぎ取れるレベルでヤバいのだから。


 ……ま、なにはともあれ。


 昨日の敵は今日の友とばかりに、意外な所で格安の高戦力をゲット出来たのだった。

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