├子兎なりの意地

 キントナーと一緒に行動していたふたりの女の片割れ。


 短剣使いの女はひどく憔悴した様子で、涙を浮かべるシャオにナイフを突きつける。


「ひっ、や、やめるのじゃ!」

「うるさいわね! 大人しくしろよ!」

「……貴様、どういうつもりだ」


 剣を構えて静かに腰を落とすクイントに対し、女は追い詰められた表情を見せる。


「折角お宝も出口も見付けたのに! あんなバケモノがいるんじゃ逃げられないのよ、だから奴の気を引く餌が欲しくてさ、ほんとすぐ見付けられてラッキーって感じ」

「え、えしゃ!?」

「シャオちゃんを離して!」

「うるさいって言ってんでしょ! キントナーともはぐれちゃったしほんとサイアク! あんたたち動くんじゃないよ! サメの餌にすんのに生きてる必要ないし!」

「ひゅ、ひゅいい! たしゅ、たしゅけてなのじゃぁ!」


 一体何を見たのか、女からは錯乱している様子が見て取れた。


 クイントは迂闊に刺激しないように細心の注意を払って隙を伺う。


「まずは落ち着け。私は湾岸騎士だ、何があったのか事情を聞かせてくれないか?」

「騎士ぃ!? お高く留まりやがって! あんたみたいな女大っ嫌いよ! 武器を捨てて! 早く捨てるの! あーしのナイフがこの半獣の毛皮剥ぎ取る前にさぁ!」

「……わかった、だからその子を離すんだ」

「そっちのガキも! 早く!」

「う、うん……だからシャオちゃんを離して」


 クイントは慎重に間合いを測りながらカットラスを床に置き、フィリアは慌てた様子でメイスを投げ捨てる。


「しゃ、シャオちゃんっ」


 睨み合う女とクイントをよそに、フィリアは視線でシャオに『なぜシャルラートに攻撃させないのか』を問いかける。


 フィリアの視線の先。シャオの胸元に潜んでいるはずの強力な水の精霊は、指示を待っているのか動きを見せない。


「だ、だめじゃ、人に向けるのは」


 小さく唇が動く、フィリアだけに聞こえる声量で呟かれた内容は、納得せざるを得ないものだった。


 サメ人間を一瞬で両断するような威力を人間に向ければどうなるか、考えるまでもない。


 よほどの手練れでもなければ、為すすべもなく死に至るだろう。


 それを恐れているのか恐れられているのか、シャオは人間に対する攻撃を命じる事はできないようだった。


「絶対生きて帰ってやるし、あーしはこんな所で死なない、財宝手に入れて成功者になっから……! おめぇら追ってくんなよ! マジで!」

「あっ」

「待てッ!」


 にらみ合いにシビレを切らしたのか、女はシャオを抱えたまま走り出す。


 咄嗟に追いかけようとするクイントとフィリアの前に、まるで立ちはだかるようにサメ人間が姿を現す。


「くそ、こんな時に! 待て!」

「シャオちゃんっ!」


 伊達に冒険者をやっていないのか、女の足は早かった。


 サメ人間に阻まれている間にもどんどん遠ざかっていく。


 助けを求め泣きじゃくるシャオの声も、遠くなる。


「みんなが、みんなが居てくれたら……」


 ぽつりと自分の口から漏れた言葉の、あまりの情けなさにフィリアは泣きそうになる。


 故郷を追われた時、母を失った時、ようやく見付けた居場所と友人を失いそうになった時、友人が危機に陥った時。


 自分は一体何をしていただろう、何が出来ただろう。


 スフィとノーチェは命をかけて戦った、アリスだって全く劣らない覚悟を見せた。


 自分は置いてけぼりにされたくなくて、口先だけで覚悟を騙っただけだ。


 心のどこかで、仲間がどうにかしてくれるという甘えがあった。


 周りが守ってくれる大人だらけなら、自分の味方ばかりならそれで良かっただろう。


 しかし、現実はそうもいかない。


 手助けしてくれる大人は居ても、本当の意味で信じて頼れるのはパーティメンバーだけだった。


 そんな状況で、一番年上の自分は何をしているんだろう。


「……ちがう」


 氷穴の奥底で見た夢の中。


 今は亡き両親に伝えた意思は、仲間を頼って何もしないことじゃない。


 仲間と助け合えるくらい強くなって帰ると、そう決めたからじゃなかったのか。


「わ、わたし、追い掛けなきゃ!」

「待て! ひとりでは……新手!?」


 フィリアは突き動かされるように、放り捨てたメイスを拾って走り出す。


 幸いサメ人間の動きは鈍く、フィリアでもすり抜けることが出来た。


「待て、危険だ! 戻れ!」


 背後ではクイントがサメ人間を斬り倒しつつ声をかけている。


 しかし気が逸るフィリアの耳には届かない。


 シャオリンは友達だ、付き合いは浅いがそれを言うなら全員出会って1年未満。


 誤差みたいなものだろう。だから、間違いなく友達だ。


 そして、ここで友達シャオを守れないようじゃ、もうノーチェたちと一緒に居る資格はない。


 強い覚悟を自分に課して、フィリアは必死にボロボロの床を走り抜ける。


 どこか遠くで、地鳴りのような音が聞こえた気がした。



「ひ、ひょえええ! なんじゃアレはぁ!」

「ちっ、やっぱりまだいたし、キントナーたち死んでないよね?」


 シャオを連れ去った女はどんどん奥へ進み、ついさっきまでの廊下地獄が嘘のように目的の場所へとたどり着いた。


 そこは中央部分が吹き抜けのように大きくくり抜かれた、船の中層部と思わしき部屋の立ち並ぶ空間だった。


 壁だけくり抜かれたように、生活の痕跡が見受けられる船室が見えている。


 吹き抜けの下部、異様に広い船底には水が溜まっていて、水底には煌めく金貨の山が見えた。


 まるでそれを守護するように水面に浮かぶのが、額に火傷のような傷がある超巨大なサメ。


 不思議と同じ箇所に留まっていて動く気配はないが、見ているだけでも威圧感が凄まじい。


 吹き抜けの反対側には、霧に包まれる甲板へ通じる道が見えた。


「これからあんたには餌になってもらう、あたしらの幸せのためだから、恨まないでよね」

「む、むりじゃ、無理なのじゃ、たすけてほしいのじゃ」

「うるさいってば、半獣は人間様に尽くすのが当たり前だし、まぁ命の有効活用ってやつよね」


 あまりにも身勝手な言葉に、シャオは声を出さずに泣いた。


「……ホント惜しいけど、命あってこそだよね。これで我慢しちゃうか」


 シャオは身分を示すように、それなりに高価な装身具を身に着けている。


 しかし一見すれば価値がわかりにくく、女もセンスの良いアクセサリー程度の感覚でシャオの腕から金細工のブレスレットを抜き取った。


「あっ、そ、それはわしの!」

「はぁ? 半獣の分際で生意気なんだけど。何逆らってんだよ!」

「えぐっ!」


 取り返そうとするシャオを地面に蹴り転がして、ウェストポーチの中にしまい込む。


「か、かえしてほしいのじゃ、それは祖母ばば様からもらった……」

「豚にソーセージだし、半獣には勿体ないからあたしが貰ってあげる。どうせ死ぬんだからいいっしょ、あんたより綺麗なあーしが使ってあげるんだから喜べっての」


 思わぬ副収入に希望が見えたのか、余裕が戻ってきた様子の女が満足そうにシャオを見下ろして背中を踏みつけた。


「バーバラ! 無事だったのかよ!」

「やだバーバラじゃん、生きてたんだ心配してたじゃん!」

「あぁ、キントナー! ロゼ! よかったぁ、無事だったんだ!」


 騒ぎを聞きつけたのか、物陰に隠れていたキントナーたちが姿を現す。


 女の顔に喜びが広がり、足に力が入ってシャオが呻いた。


「キントナーたちはどうしてたん?」

「あの後おまえを探してたらここに辿り着いて、あいつの隙を伺ってたんだよ!」

「でも全然ダメ、向こう側の扉に近づくと変なサメがでてくるしサイアクじゃん」

「それなら丁度よかった、こいつさー捕まえたんだけど。餌に使えね?」

「ひっ……」


 邪悪な視線が3つ集まり、怯えるシャオリン。


 幼い少女が怯える姿も意に介さず、キントナーは笑顔を浮かべる。


「お前マジいいアイデアじゃん、天才じゃね!」

「でしょ、あーし超できる女っていうか」

「さっすがバーバラ、ただじゃ転ばねー!」


 盛り上がる3人組に、シャオリンの心は絶望で染まっていく。


「んで、こいつが食われてる間に逃げるのか? 宝はどうすんだ?」

「諦めるしかなくねー?」

「もったいないんですけど」

「だ、だれか、たすけ……」


 キントナーたちのシャオリンに対する反応は、もはや捕らえた獣に対する扱いと大差ない。


「正直いくらオレ様でもあれは手に負えねぇ、ここで死んだら世界の損失だぜマジで」

「そうそう、命は大事にすべきっしょ」

「まー、いっか。それなりに収穫はあったもんね?」


 逃げることも出来ず、震えている間に話は進む。


 結論は変わらなかった。


「お、おねがいじゃ、たすけ、ころしゃないで……」

「んじゃ早速放り込みますか、できるだけ長く元気に食われててくれよな」

「あ、まってまって、まだそいつのアクセ全部剥ぎ取ってな……」


 キントナーの荒れた手がシャオリンの髪の毛を鷲掴みにしたところで、とうとう恐怖が限界に達した。


「しゃ、シャルラートぉぉぉぉぉ!!」


 シャオリンの叫びに、待ってましたとばかりに小さな身体の下で水が弾けた。


 人間へ向けることができず、自らの下に穴を開けて逃げ場を作ることにしたのだ。


「何っ!?」

「ちょっ!」


 床が砕けて、キントナーと女ふたりは素早くその場を飛んで回避する。


 穴の下では無防備に落下しそうになったシャオリンの服の裾が、いい具合に折れた木材に引っかかっていた。


 唐突な出来事に呆けていた3人だったが、真っ先に逃げられそうな事に気づいた短剣使いの女が慌てて穴へ駆け寄った。


「ちょ、ふざけんなドロボー狐! あーしのアクセ!」


 もちろんシャオリンの身につけている装身具は彼女の物ではない。


 女は穴の下、木材に引っかかっているシャオリンへと手をのばす。


「ひぃ!? や、やめるのじゃ! わしのなのじゃ!」

「ふざけんな! あーしのアクセ返せ! この――」


 後少しで届くところまで伸ばされた手に、木材を破りながら飛び出してきた一体のサメ人間が食いついた。


「あえ?」

「の……」


 何が起きたかわからない様子で目を見開いた女を引きずり下ろし、サメ人間はすぐ下の床の穴へと飛び込んでいく。


「ぎぃっ!」


 床に勢いよく叩きつけられた衝撃で、ただでさえ崩れかけていた木材が倒れ込み、女の下半身に伸し掛かった。


 引きずり込むのに失敗したことに業を煮やしたのか、穴の中から同じサメ人間が姿を現し、今度は肩口に食らいついて穴の底へと引っ張りはじめる。


「バーバラ! 畜生とどかねぇ! マール!」

「き、キントナ! ロ、ゼ! たす、たずげてっ! だずげでええええ! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」


 助けを求める声が聞こえた数秒後、無慈悲に命が引き裂かれる音が響き渡った。


 泡立つように濁った悲鳴が、穴の底へと消えていく。


「いやあああああああああ!」

「バーバラぁぁぁ! ちくしょう! なんだってんだよクソが! あいつがっ、こんな死に方するような悪いことしたってのかよ!」


 絹を裂くような女の絶叫、怒りと悲しみを湛える男の慟哭。


「のじゃあ……ひっく、ひぐっ、ぐす、うえっ、うえええ」


 鼻腔に感じる匂いから真下で起きた惨劇を直視することが出来ないシャオリンは、まっすぐ前を見ながら大粒の涙を零して、濡れたスカートを挟み込むように股を閉じる。


 あと少しズレていたら自分だったのだ、幼い狐少女の粗相を責めるのは酷というものだろう。

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