セント・ジョーズ号
霧の中に運び込まれたフーパー錬師の船は、幽霊船に隣接する形で動きを止めた。
「古い船だ、形式からしてゼルギア歴2200年代かな……やはり喰い裂きブルースの活動時代と一致する。この状態で何百年も洋上を彷徨っていたのか?」
そびえる幽霊船を見上げながら、フーパー錬師が検分を始めている。
「ゼルギア歴ってなんにゃ?」
「統一年号。ゼルギア帝国設立から何年経ったかで数える、今年はゼルギア歴2530年」
「ってことは……えーっと……」
「300年前の船ってこと?」
「あぁ、これはフラプース船と言って、手漕ぎと風力を組み合わせた船なんだ。300年ほど前はこの形式の船が主流でね、どの船乗りもこぞってこの船を使っていたんだ」
「ほへー」
フーパー錬師の講義がはじまった。スフィたちが夢中になっている間に船の舵を動かそうとしてみるけど……。
多少揺れる程度で動かない。
「……無理そうだね。何か使えそうなものがないか見てこよう、君たちは決して動かないようにね」
「はーい」
それを横目で見ていたフーパー錬師は仕方ないと首を振って、講義を切り上げて船室へと向かった。
残されたぼくたちは、甲板の上で円陣を組んだ。
「底に何か引っかかってるのかも?」
「……船の底見てみるにゃ?」
「およげるひとー!」
「ふははは、なんじゃ! おぬしら泳げぬのか! 情けないのう!」
スフィの掛け声に、シャオひとりだけが勢いよく手を挙げる。
生憎とぼくとスフィは全く泳げない、ノーチェも同じだ。
全員の視線がシャオに集まる。
「…………ぁ」
辺り一面白い霧に覆われた海は、薄暗くて水面のすぐ下も見れない。
すぐ傍には幽霊船、先程船を引っ張った"ナニカ"。
仮に泳げても、ぼくは見に行きたくない。
シャオはこんなんだけど、別に頭は悪くない。
すぐ状況に気づいて、みるみるうちに目尻に涙が溜まっていった。
「や、やじゃ、やじゃ、わしいきたくないのじゃ……」
「…………」
「怖いからなんか言ってほしいのじゃ! 罵ってもいいのじゃ!」
それはいいのだろうか。
さっきの沈黙は「大丈夫かこいつ」「ほんとにわかってんの?」的な意味合いが大きいから、本気で行こうとしてたら流石に止めてた。
「かわいそうだから話を変えよう」
「わしは可哀想じゃないのじゃ!」
いまはめんどくさいムーブやめて。
「いまぼくたちが考えなきゃいけないのは、どうやってこのくそったれなパーティの招待状を突き返すかだ」
「アリス、なんか口調おかしいよ?」
確かに無意識にたいちょーみたいな事言ってる。
「つーか、アリス関連だったりしないよにゃ?」
「……シラタマ、何かわかる?」
まさかと思いつつ肩のシラタマに確認すると、警戒音と同時に首を横に振られた。
今回の一件に精霊の類は関わっていないらしい。よし。
「根も葉もない濡れ衣はやめてほしい」
「自分だって不安そうだったじゃにゃいか」
そんなことないし。
そもそもアンノウンオブジェクトにしたって、意思を持つ者で純粋な味方と言っていいのは数える程度。
中でも人型は信用も安心もできない筆頭だった。
特に元が人間だったりするのは完全にダメだ、前世から今まで味方になってくれた試しがない。
「とにかく、どうやって戻るか考える?」
「船が動かないにゃら、泳いで――」
「――――あああああああああ」
オンボロ船の上部から人が落ちてきた。
赤く染まった冒険者っぽい革鎧を着た男だ。反応する間もなく水面に落ちて波を立てる。
「…………」
恐る恐る男が沈んでいったあたりを見ると、黒い海がなんとなく赤く染まっていた。
「……泳げそうにないにゃ」
もうなんなのこの船。
「お待たせ、一通り使えそうな魔道具を持ってきたが……何かあったのかい?」
「帰りたい」
船室から何かしら抱えて戻ってきたフーパー錬師に向かって、ぼくはそれしか言えなかった。
■
「この場所で籠城……というのは非現実的だね」
「水中の何かがしびれを切らして沈めにこようとしかねない、何よりいつまで続くかわからない状況で十分な食料もない」
食料云々は正直言って嘘だけど、404アパートはフーパー錬師の前では使えない。
「その通りだ、かといって脱出のために船の底を見に海に潜るのは……」
「ただの自殺」
迂遠なーとかじゃない、ストレートに命を放り投げてるだけだ。
「結局のところ、あの船をどうにかするしかないのだろうね」
「……やだぁ」
「アリスがこんなに駄々こねてるの、珍しいにゃ」
ほんとにヤなんだよ……!
「ならば、自分たちが戻るまで船室で待機していて貰えるかい?」
「それもやだ」
こういう状況でひとりになったら確実にヤられる、ぼくは知ってるんだ。
何人もそれでヤられた人たちを見てきた。
サメはそういう匂いに敏感なんだ。
「取り敢えず、甲板に上がってみよう。ちょうど良く先駆者がかけてくれたロープがある」
「……わかった」
「探検だね!」
結局こうなるのか……。
観念してスフィに背負ってもらい、ロープを伝ってオンボロ船の甲板へ向かう。
「うっわ」
先陣切って甲板にあがったノーチェが引きつった声を出した。
ぼくたちもたどり着いた所で、理由がわかる。
そこには真新しい戦闘の痕跡があった。
あちこちに飛び散った血糊があり、破損した武器と冒険者の遺体が無数に転がっていた。
勿論倒れているは冒険者だけじゃない。
武器を持った、足の生えた人間サイズのサメの死体もある。
やっぱりサメ案件だったか……。
「酷い匂いにゃ」
「くしゃい……」
スフィとノーチェは肝が据わっている、漂う血と生臭さが混じった悪臭にも鼻をつまんで嫌な顔をするだけだった。
「うええ……」
「おええええ」
一方でフィリアとシャオは船縁に張り付いて胃の中身を海へと帰していた。
こればっかりは責めることも馬鹿にすることもできない。
ぼくも最初の頃は吐いちゃってたし。
「ふたりとも平気?」
「まぁ、人間はともかく、魔獣とは戦ってるからにゃ」
「それより、アリスは大丈夫? 顔色わるいよ」
「大丈夫」
ぼくのはこういう状況にトラウマを刺激されただけだ。
「酷い匂いだ……
「何かわかった?」
気分を変えようと、手近なサメ人間の死体を調べていたフーパー錬師に声をかける。
「……まだ推論の域を出ないが。最近上がった冒険者の水死体に残された傷跡は、サメによる咬傷痕と酷似していたんだ。これの頭部と同じ種類のサメだよ」
「見る限り、全部似てるね……船首像と」
凶悪に見えるサメ人間の頭部は、全てが同じ種類と思わしきもの。
先程フーパー錬師は「頬が白い鮫」と呼んでいた。
「関連が無いと見るほうが不自然だろうね、ホホジロザメはキャプテン・シャークのシンボルだ」
「船ごとぶっ壊して沈めようか」
「歴史的価値だとか財宝だとか言うつもりはないが、何が起こるかわからない船での乱暴はおすすめしないな」
「だよね」
親玉を見つけて仕留めるのがスマートな方法だろう。
弾数に制限はあるけど、ビームライフルを使うしかないか。今回は脱出艇があるし人目も少ないから遠慮はいらない。
このままだと名前をつける前に弾切れになりそうだ。
「ノーチェ、仕方ないから探索しよう」
「お、望むところにゃ!」
「フーパー錬師、戦える?」
「自慢じゃないが戦闘はさっぱりだ、錬成もね!」
本当に自慢にならないことを胸を張って言われた。
頼りになるのはぼくの仲間たちだけらしい。
「あの、わし、着の身着のままできたんじゃけど、あの」
「それはスフィたちもだよ!」
「まー何とかなるにゃ」
「絶望なのじゃ……! ってなんでおまえらそんな気楽なのじゃ!?」
こっちには不思議ポケットも404アパートもあるからね。
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