霧の中の幽霊船
少し遅れて飛び出してきたフーパー錬師が、謎のオンボロ船を見て「なんと」と驚愕の声を出した。
「船首像にホホジロザメ……記録にあるセント・ジョーズ号の絵と似ている? まさか本当にキャプテン・シャークの船か!?」
「帰ろう」
今すぐに帰ってあったかい布団に包まろう。
「ほ、ほんものにゃ?」
「じゃあ、お宝たっくさん?」
「帰ろう」
腕によりをかけてごちそう作るから。
「おねえちゃん!」
「アリス、お宝だって!」
「
ダメだ、目がキラキラしてやがる。
「みんな、幽霊船だよ、幽霊だよ」
ついでに邪悪な感じの霧もついてるよ、幽霊船に霧とか嫌な予感しかないよ。
「でも……お宝ざくざくにゃ」
「お金いっぱいあったらアリスが大変じゃなくなるもん、怖くてもがんばる!」
「……フィリア」
最後の砦、フィリアへ視線を向ける。
今回は最上位の褒め言葉として使うけど、"臆病"なフィリアならきっとわかってくれるはずだ。
「う……だ、大丈夫。私も怖いけど、みんなと一緒なら」
そんなバカな……。
甲板の上に膝をついて、所在なく視線を彷徨わせる。
みんな普段はもっと慎重なのに、どうして今回に限ってこんな無鉄砲な感じに。
これじゃまるで地球でよくあるB級ホラーの登場人物……。
「あぁぁぁ!」
「わっ、どうしたのアリス?」
しまった……ぼくとしたことが。
パンドラ機関が蒐集しているUOアンノウンオブジェクトの中にあった、不自然に意識に干渉したり常識を書き換えてしまう現象。
機関ではミーム汚染現象とも呼ばれていた。
ミームっていうのは簡単に言ってしまえば文化、情報、概念とかの事。原語はもっと複雑な意味を持つけど、この場合に使用されるミームは文化、慣習の意味合いで使われる事が多かった。
例えば一般的な教育課程を受けた日本人は星という漢字を「ほし」、もしくは「セイ」と読む。
ぼくは学校こそ通っていなかったけど、与えられる漫画やゲームでも知識の吸収はできた。このあたりの常識は一般的日本人とそこまで変わらないと思う。
だけど、見るだけで「星」を「あっぷる」と読むようになってしまうリンゴがあった。
視界から外して数時間すれば元に戻るけど、視界に入れている間は「あっぷる」としか読めなくなってしまう。
これがミーム汚染現象を引き起こすアンノウンオブジェクトの効力だ。
一時的に認識を歪ませる程度の物もあれば、一生残る物もある。
どの程度対抗できるかは対象の精神力次第。
意外かもしれないけど、長期に渡って認識を大きく歪ませるような、強力なものほど抵抗しやすいってデータがあった。
逆に効力が一時的かつささやかな物ほど抵抗しにくいらしい。
研究者曰く。
『自己認識とは自分自身そのものでもある。己を歪ませられることに、無意識に抵抗しているのかもしれない。逆に注意や意識を逸らされる程度であれば、普通の人間はそこまで警戒しない。これはアンノウンオブジェクトが引き起こすミーム汚染現象に限らないだろう』
……とまぁ、ぼくが何が言いたいかって言うと。
「凄いぞ、まさかこのような場所で見付けられるとは!」
「フーパー錬師、ひとまず船から降り……」
「あぁ! 霧の中に戻ってくにゃ!」
「いかん! すぐに追い掛けねば」
完全に"してやられた"ってことだ。
■
「フーパー錬師、ダメ」
「しかし、見逃せば次いつ見つけられるか!」
「早くしないと霧の中に戻っていっちゃうにゃ!」
「逃げちゃうよー!」
「なんで帆船がバックしてんの……」
みんな本来はここまで警戒心が薄くはないはずだ。
スフィもノーチェも修羅場を経験しているし、ぼくの意見を尊重してくれてる。
フィリアは臆病で、こういう状況ならぼくに同調する。
なのに全員が"財宝を積んだ幽霊船"に夢中で、完全に冷静さを欠いている。
警戒心を著しく薄れさせる、もしくは恐怖や警戒から意識を逸らせる力が働いているのは明白だった。
「とにかくぼくが許可しない、従わないならこの船ぶっこわす」
「一隻作るのに大金貨800枚以上かかったんだよ、勘弁してくれ!?」
知ったことか、かくなるうえはエンジンをぶっ壊しててでも止めてやる。
「アリス、何してるの!」
「そんなにビビってるにゃ?」
「そうだよ!」
呆れたような声を無視してフーパー錬師と舵輪を奪い合う。
せめてあの制御キーを抜ければ……!
「アリスがそんなに嫌なら、スフィは諦めようかな……」
船を動かせないように必死になっていると、スフィがそう言い出した。
「う、うぅむ……自分も船を壊されるのは困るし、冷静に考えれば嫌がる幼子を連れて船を出すのもな」
「……にゃんか、ちょっと熱くなってたにゃ」
次第に熱狂していた空気が覚めていく。
どうやら必死さが伝わってくれたらしい、あの船が霧の中に戻っていったことで影響を脱したのかも知れない。
「あああああ! 見付けたのじゃ!」
ほっと胸をなでおろした所で叫び声がきた。
何事かと波止場の上を見れば、シャオが巫女服の裾をまくりあげながらこっちに走ってくるところだった。
……なんか久しぶりな気がする。
「酷いのじゃ! 治療院にいったら退院したって言うし! 探してもみつからないじぃっ!」
「……誰も教えてなかったの?」
「スフィはノーチェが教えてるとおもいました」
「あたしはフィリアが言ってたと思ったにゃ」
「え!? て、てっきりアリスちゃんが自分で話してると……」
これが責任の押しつけあいって奴か。
「……どんまい?」
「ふざけるなのじゃ!!」
首を傾げてみせると、耳としっぽの毛を逆立たせたシャオが波止場から船へ飛び移ってきた。
「うわっ」
「あっ!」
衝撃で船が揺れて、バランスを崩して倒れそうになる。
スフィが抱きとめる前に大きな手が伸びてきて、倒れかけた身体を支えた。
「大丈夫かい? 君! 突然船に飛び乗るなんて失礼だし危ないだろう。気持ちはわかるが落ち着いて行動したまえ」
近くに居たフーパー錬師が助けてくれたみたいだ。
「うぐ、わ、悪かったのじゃ、じゃがのう! そやつらが!」
「あーあー、あたしらも悪かったから、泣くにゃ」
「ぐしゅっ、泣いておらん! はなみずじゃ!」
「……眼からはなみず出すくらいなら泣いてるほうがマシでは」
シャオは女子としてそれでいいのだろうか。
何はともあれ、空気が完全に変わったのは僥倖だった。
おかげで皆の意識が完全に幽霊船から離れた、このまま港から遠ざかれば……。
「とにかく一旦船から降りようよ」
「うん……あれ?」
「おや?」
ぎゃーぎゃー騒いでるシャオたちを宥めようとした途端、スフィが不思議そうに首を傾げて離れていく波止場を見た。
……あの、波止場がどんどん離れていってるんですけど?
「チュリリリ!」
次の瞬間、服の中に隠れていたシラタマが警戒音を発しながら飛び出した。
「シラタマ?」
空中でホバリングするなり羽を動かし、氷の礫を水中……丁度船の底にあたる部分に向かって打ち込んでいる。
そうか、水中に何か居るのか。流石に相手が完全な水中じゃ匂いも音も感じ取れない。
「どうしたにゃ!?」
「ふ、船勝手に動いてるよ?」
「ロープが……切られている!?」
「なんじゃ、何が起こっておるのじゃ!」
流石に分が悪いのか、空中から水の中を攻撃しているシラタマが遠ざかっていく。
「シラタマ! 戻って!」
雪になって崩れたシラタマが、数秒後にぼくの肩に出現する。
「精霊か? 興味深い」
「そんなことより、船!」
「……先程から試しているが、舵が効かない」
「ど、どうするにゃ!」
「どうしよう!」
「ふ、ふええ……」
「わし、もしかして巻き込まれたのじゃ!?」
どうやらあの幽霊船は、ぼくたちを何としてもご招待したいらしい。
だからサメは嫌いなんだ……!
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