フーパーの依頼

「論文は書かない」


 バザール錬師に呼ばれて錬金術師ギルドへやってきた。


 支部長室へ入るなり、キレ気味にぶちかます。


「今日は別件だよ」


 しかし早とちりだったみたいで、別のおじさんがぼくを興味深そうに見ていた。


 ひげでもじゃもじゃ、高そうな眼鏡をかけた錬金術師だ。


「この子が例の、なるほど確かに可愛らしい子狼だ」

「…………」

「妹にちかづかないで!」


 微妙に気持ち悪い言い方に一歩距離を取ると、唸りながら牙をむき出したスフィが間に入ってくれた。


 今は漁師関連の仕事もないから、ぼくのボディガードを買って出てくれた。


「おっと失礼、自分は海洋生物学者のフーパーだ、一応第4階梯」

「……ぼくはアリス。第3階梯、専攻はまだ決めてない」

「うんうん、今は色々試してみる時期だろうね」


 わかってるようで微妙にわかってない様子のフーパー錬師に困惑しながら、バザール錬師を見る。


「用事は?」

「彼は最近港で起きている海洋生物による事故死事件の調査員として呼ばれたんだ。しかし使っている船がかなり特殊なようでね」

「整備、保守してくれる錬金術師を紹介してくれって頼んだんだよ。何しろゲルマニア帝国の魔導エンジンと最新鋭システムを搭載していてね! そしたらかのハウマス老師のお弟子だって言うじゃないか」

「それでぼくか」


 なるほどと納得する。


「でも、ぼくで弄れるかはわからない」

「ちなみに術式システムはこれで構築されているんだが」


 そう言いながらフーパー錬師が出してきたのは透明な水晶の立方体。


「……だいじょうぶ、はいアリス」

「うん」


 受け取ったスフィが匂いを嗅いで安全を確認してからぼくに手渡してくれる。


 ……そこまでしなくても大丈夫だと思う。


「積層型魔術式、おじいちゃんの理論のやつ?」


 光に透かしてみれば、内部に複雑な文様が刻み込まれているのがわかる。


 この作り方は見覚えがあった。


 おじいちゃんが研究してた、薄板に書いた術式を縦横に組み合わせて立体的な魔術式を作るという複雑怪奇な技術。


 透明な素材で作ったのは視認性をあげるためだろう、こうして見るだけである程度は読み取れる。


 システム化出来るなら相当な数が作られているんだろう、まさかこれを量産する猛者が居るとは……。


「その通りだ、どうかな」

「……整備くらいなら問題ないとおもうけど、これなんで術式重複させてるの?」

「ん?」


 『解析』で見た感じこれが船の制御キー兼コントローラーだと思われる。


 なんだけど、いくつかの術式を内部で重複させてる理由がわからない。


「これ制御キー? ベクトル操作系の術式が3つくらい重なってる、右に舵を切る時にいきすぎるでしょ。あとなんで送風と断熱の術式が入ってるの?」


 ……操作にそよ風が必要な船なの?


 なのに空気の流れを遮断する断熱効果のせいで送風の術式が相殺されてる。


 そもそもベクトル操作、つまり念力みたいに引っ張るような力で向きを変える為の術式が組み込まれてるのに、一体どこにこの2つの術式が関わってるんだ。


 何かしらの意味があるんだろうけど……ダメだ、見るだけじゃ読み取れない。


 魔道具方面に注力してるとは聞いてたけど、帝国錬金術は思っていたより奥深い。


「ふしぎ……」

「……君はアルヴェリアを目指しているそうだが、帝国には近づかないほうがいいかもね」


 興味深い立方体を眺めていたら、突然フーパー錬師がそんなことを言い出した。


 寄り道するつもりはなかったけど、何故か表情は真剣だ。


「あそこは獣人には少々住み辛い国だ、おすすめしないよ」

「……? 覚えとく」


 一通り確認し終えた立方体をフーパー錬師に返す。


 全部同じ仕組みだとすると整備や保守くらいなら問題ない、


 中身の調整や増設は術式の理由を理解できてないからちょっと無理かな。


「みんなあっさり信じるよにゃ、アリスの言うこと」


 話が一段落したところで、離れた位置で見守っていたノーチェが不思議そうにつぶやいた。


「ノーチェ?」

「睨むにゃ、疑ってるとかじゃないにゃ。錬金術師のおっちゃんたちが、アリスの言うできるー、できないーをすぐ信じるのが不思議だにゃって」


 スフィに軽く睨まれて肩をすくめるノーチェの返答に、バザール錬師が「あぁ」と納得したような声を出した。


「その自己申告を信用されるかどうかの境目が、第2階梯と第3階梯の間にあるのだよ」

「アリス錬師は第3階梯、中級錬金術師だからね。立派な"専門家"なのさ、まだ専攻は決めてないらしいがね」

「論文はかかない」

「もう無理強いはしないから、機嫌を直してくれ」

「かかない」

「アリス、どうどう」


 スフィが頭を撫でながら宥めてくる。


 それでもスライムカーボンの論文は書かないからな。もう知ったことか。


「強敵だな、バザール」

「頭が痛い」

「ぐるるる……」


 弱い身体引きずってアルヴェリアを目指してがんばってるんだよこっちは!


 そんなめんどくさいことに時間かけてられるか、仮にやるとしても腰を落ち着けてからだばかやろう!


「話を戻そう、フーパーの依頼だが受けてくれるか?」

「ひとまず5日間の保守費用として金貨3枚だ、こちら側の都合で修理などが発生した場合は別途だね」

「……受ける」


 難しい依頼とはいえ、保守だけの金額としては相場より随分高い。


 何より現在進行系で港の利用が制限されている事件の調査への協力だ、惜しむ理由はなかった。


 差し出された契約書をチェックしても不審な項目はなし、と。


 名前を書き込んだ契約書をバザール錬師がチェックして、自分の名前を書き込んでからギルド印を押した。


「成立だ、アリス錬師はくれぐれも身体に気をつけるように」

「わかってる……よろしく、フーパー錬師」

「よろしく頼むよ、アリス錬師」



 意外とゴツゴツしている手と握手を交わして、早速フーパー錬師の案内のもと船へ向かうことになった。



 フーパー錬師の船は円形に近い形状で、定員数名といった感じの小型船だ。


 それでもコーティングされているし、常に防御系の術式が展開されている。


 以前見た海賊の船よりよほどガードが硬い、これはぼくでも強引に干渉するのは難しいな。


「じゃあ一旦術式を切ろう」

「うん」

「おねえちゃんにつかまっててね」

「足元気をつけるにゃ」


 フーパー錬師に続き、スフィに支えられて船へ乗り込む。


 操舵室の舵輪の中心にある窪みに制御キーが差し込まれると、立方体の表面に幾何学的な光の文様が浮かび上がる。


 暫くして常に展開されていた空気の清浄化と結界の術式が解除されたようだ。


「どうかな?」

「……少し摩耗してる、エンジンを見ても?」

「こちらだ」


 案内されて船室の床の扉から底部へむかう。


 エンジンルームには大量の立方体が嵌め込まれた、不思議な構造体が鎮座していた。


 ……なるほど、こういう形で術式を連結させてプログラムを組んでるのか。


「魔石を燃料にしている、魔力封入薬液はどうにも使い勝手が悪くてね」

「ふむー」


 魔力封入薬液っていうのは、以前フィリップ錬師の依頼で修理した結界魔道具の燃料にもなるポーションだ。


 制作過程で大量の魔力を封入した薬液で、燃料としても使われると聞いた。


 だけど、肉体から離れた魔力は大気中のエーテルと反応して無色エーテルになってしまう。


 魔力が"揮発"しやすく、また封入できる魔力量も決して多くないという欠点がある。


 何よりも封入は人力。そういった"コスパの悪さ"があって、あまり普及はしていない。


 魔石の方は内部に滞留する濃度の高い魔力も、揮発しない特性も確認されてはいた。


 ただ、持続して安定的に中の魔力を引き出す方法がなかった。


 帝国の錬金術師はそれを発見したんだろう、開発者に秘匿する意思がなければ近々発表されるかもしれない。


「……ちょっと歪んでる」

「波のせいかな、魔獣の多い地帯を抜けるために少し無理をしたからね」


 概ね問題はなさそうだけど、わずかな歪みがある。


 カンテラの火を灯し、影で手袋を作る。


 『原初の光ルクス・オリジニス』そのものを隠すとそれはそれで不便になるので、出来ることの方をカモフラージュすることにした。


 具体的には、応用性と遠隔錬金術。


 バレないように使う分には"ただ浮かんでるだけのカンテラ"だ。


「『錬成フォージング』」


 他の錬金術師がそうするように、握ったカード状の板を押し付けながら錬成を行う。


 もちろんこのカードもただのカモフラージュだ。


 歪みにくい金属製の板に刻印する、もっとも簡易的な錬金陣の道具を真似した。


 便利だけど、頑丈に作るし厚みもあるから複数持つと重いんだよね。


「……すり合わせ、終わった」

「凄まじく早いね」


 とりあえず一通りの歪みは直した。


「歪みをちょっとなおしただけ。大きな破損はなし、立方体も問題なかった」

「ハウマスキューブと呼ばれてるよ」

「把握した」


 おじいちゃんが直接作ったわけでもないのに、名前がついてる。


 不思議な気分だけど、悪くはない。


「数時間は必要だと思っていたが、まさか1分も必要ないとはね」

「この程度なら」

「……ははは」


 フーパー錬師からなんだか妙に硬い笑いが飛び出た、喉でも乾いているんだろうか。


「さて、時間も余ってしまった。少し早いが自分は騎士団と打ち合わせに……」

「きゃあああああああ!」


 会話を引き裂くようにフィリアの悲鳴が聞こえてきた。


 一瞬スフィと目を見合わせたノーチェが凄まじい速度でハシゴを上がっていく。


「アリスつかまって!」

「うん」

「何事だい!?」


 慌てるフーパー錬師をエンジンルームに置いて、スフィの背中にしがみつく。


 振り落とされないように必死につかまっているうちにスフィはぐんぐんとはしごを登りきり、船室を飛び出た。


 フィリアは……良かった無事だ、甲板で尻もちをついているけど血の匂いもしない。


 ノーチェは背中にフィリアを庇うようにしながら、海の向こうを睨んでいる。


「あ、あれ! あれ!」


 ふたりの視線の先で、人間の手らしきものが海中に引きずり込まれる瞬間が見えた。


 遠目でもわかるくらい海が赤く染まり、暫くして黒い三角形のヒレみたいなものが海面に飛び出す。


 赤く染まった部分を囲むように回遊するヒレの、その遥か先では海上を埋め尽くす勢いで霧が発生している。


 突然起きた怪奇現象を呆然と見守っていると、霧の中からゆっくりと、今にも沈みそうなボロボロの船が姿を現した。


 ……どうやら、思った以上に大きなトラブルが発生したようだ。

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