祝・退院

 誘拐騒動を切っ掛けに放り込まれ、治療師にキレられつつ緊急入院をさせられた。


 伸びに伸びて2ヶ月近くもベッドの上の住人となった治療院生活。


 それもとうとう終わりとなると、なんだかちょっとさみしい。


 窓からは機嫌良さそうにしっぽを揺らし、洗濯物を干すスフィの背中が見える。


 明日で退院だから、ここからの後姿も今日で見納め。


 なんて平和な光景だろう。


「いいですねアリス錬師、あなたは本来絶対に無理をしてはならない身体です。普通なら家事すらままならない……」

「うん」


 真隣でイヴァン錬師が説教を行っていなければ、もっと良かったのに。


「……聞いてませんね?」

「うん」

「事情はわかっています、私の言葉なんてあなたにとってはくだらない綺麗事でしかないことも」

「……」


 窓から目を離し、悲しそうな顔をしているイヴァン錬師に視線を送る。


「それでも私は治療師として言わないといけないんです、アリス錬師もお姉さんを悲しませたくはないのでしょう?」

「……わかってる」


 耳に痛いから無視しているんだろうと言われたら、否定はできない。


「もう無理をするなとは言いません、ただ自分を大切にしてください」

「……うん」


 皆して同じことを言う。流石にもうわかったってば。


 もう少し信用して欲しい。



 退院の日が来た。


「よ……っとと」


 自分の足でベッドから降り立つ。


 床を踏みしめて立つ感触は久しぶりだ、ふとももがちょっと震える。


「ほっ! ふっ、ふっ!」

「アリス」


 ストレッチのように上半身をひねり、反復横跳びのように軽く左右にステップを踏む。


「っと……」

「アリス、むりしないの!」


 立ちくらみを起こしてスフィに支えられるけど、今までみたいに倒れ込むほどじゃない。


 ずっと身体を苛んでいた倦怠感や熱っぽさ。


 最近になってかなり改善されているのは感じていたけど、実際に動いてみて感動するほど体調が良かった。


 おじいちゃんと一緒に暮らしていた頃みたいだ。


「アリスちゃんが……」

「普通に動いてるにゃ」


 生きていて"普通に動いている事"を驚かれる日が来るとは思わなんだ。


 実際、村を出て雨に打たれながら野宿して出会った時点で体調悪化。


 その頃はまだ多少自力で動けはしたけど、以後は悪化の一途をたどって最近だと歩くことすらままならない状態だった。


 だけど、いくらなんでも最初からそうだった訳じゃない。


 村に居た頃は家のお手伝いをしたり、"歩いて"スフィと外に遊びに行くことだって出来てたんだ。


 記憶が蘇ったタイミングがちょうど体調悪化の時期だったせいで、ぼくも忘れかけていたけど。


「いまのぼくは全盛期にちかい」

「全盛期ってどのくらいにゃ」

「えっとねー、治療院の中庭をね、ひとりでぐるぅーっと歩いて大丈夫なくらい……?」


 スフィが客観的な視点から補足してくれる。


 もちろん車椅子じゃなく徒歩での話だ、我ながらなんという大進歩か。


「でもよかった、ほんとに」

「スフィ……」


 嬉しそうに涙ぐむスフィにかける言葉が見付からなかった。


 確かに回復はしたけど、別に体質が変わったわけじゃない。


 無理を控えて旅を続けるなら、頼らなきゃいけないことは今までよりずっと多くなる。


「スフィ、まだまだ沢山頼らなきゃいけない……いい?」

「うん! おねえちゃんに任せて!」


 ぎゅっと抱きしめられたスフィに頬をくっつけられる。


 ……そういえばここ最近、スフィから聞こえていた少し不穏な音がかなり和らいでいる気がする。


 やっぱり心配させてたんだろうな、そりゃそうだ。


「まー、安心したにゃ」

「うん、ずっと心配してたから」

「ふたりも、ありがとう」


 ノーチェとフィリアが一緒に来てくれてなければ、どうなっていたかもわからない。


 ぼくとスフィだけじゃこんなペースで旅なんて出来なかっただろう。


 ここ数ヶ月で、信頼できる仲間の大切さを嫌というほど思い知った。


「気にすんにゃ、おまえのおかげであたしも気楽に旅できてるにゃ」


 言うほど楽な旅のわけがない、気を使ってくれてるのはわかってる。


 でも、そんな風に笑ってくれることが嬉しかった。


 感傷に耽りながら荷物をまとめて、フィリアに預ける。


「じゃあ、イヴァン先生に挨拶して帰ろうね」


 準備ができた所で、スフィはぼくの前に膝をついて背中を向けた。


 ……まぁ、うん、はい。


 普通におんぶですよね。



「世話になった」

「イヴァン先生! 妹のこと、ありがとうございました!」

「はい……みなさんがアルヴェリアまで無事に到着できる事を祈っています、お元気で」


 イヴァン錬師にお世話になったお礼を済ませたら、受付で支払いだ。


 膨れ上がったり割引されたり色々あったけど、しめて銀貨43枚。


 一括で払ったけど、積み上がる銀貨の山にノーチェとフィリアの口元が引きつっていた。


 保険制度なんてないし、治療っていうのはどうしてもお金がかかるのだ。


 ……教会併設の病院だともっとかかっただろうし。


 そんなこんなでスフィの背中に揺られ、一路錬金術師ギルドの寮へ。


 目的はもちろん寮の部屋……じゃない。


 お腹に貼り付けた不思議ポケットから扉を取り出し、フィリアに補助してもらいながら壁に設置する。


 お久しぶりな404アパートだ。


「久しぶりにゃ!」

「わ……」


 扉を開いて我先に飛び込んでいくノーチェたち。


 やっぱり部屋は快適な方がいいよね。


「ふぎゃああああ!?」

「さむっ、さむいっ!」

「……?」


 しかし、すぐに悲鳴が聞こえてきた。


 スフィと顔を見合わせて中に踏み込むと、確かに寒い。


 裸足で廊下にあがると、物凄く冷えている。


 何事かとリビングから外を見たら、外は結構な勢いで雨が降っていた。


 えーっと……あぁそうか、地球は時期的にもう12月も終わりに近い頃。


 気温も一気に冷え込んだようで、常夏のパナディアと比べればもはや冷蔵庫のように感じる。


「こ、氷の穴のときは! あたたかったのに!」

「ううぅ、長袖きるんだったぁ!」

「見事に逆転したね」


 ソファの上で抱き合って震えるノーチェとフィリアを横目で眺める。


 ふたりとも今日は冒険者服じゃなく普段着。パナディアの子供がよく着ているノースリーブシャツと半ズボンだ。


 素材は南国の植物から取れるもので、とても通気性に優れている。


「わわ、すずしぃー!」

「扉開けとけばクーラーいらず」


 スフィはふたりと同じ格好。ぼくは半ズボンの上に長いワンピースのような民族衣装。


 このワンピースみたいな装束、実は男の子物なんだけどまだ気付かれていない。


「アリスはわかる、スフィはなんで平気にゃ!」

「パナディアがあつすぎるの!」


 ノーチェの抗議に対して、スフィはんべっと長い舌を垂らす。


 こっちが寒いんじゃなくてパナディアが暑いんだっていう主張らしい。


 銀狼は北方出身だから寒いほうが得意なんだよね。


 ぶっちゃけこのくらいが一番過ごしやすいまである。


「ごはんにしよ!」

「久しぶりに作るかー」


 たまにはスフィと一緒に夕飯作りも悪くない。


 入院生活長かったし……って、先に冷蔵庫整理しないとまずいな。


「スフィ、冷蔵庫整理するから手伝って」

「……あ!」


 入れたまま放置している食材が多数ある事に気づいたのか、スフィの耳がピーンと立った。


 すごくもったいないけど、廃棄する物がたくさん出そうだ。


「あたしら寮で待ってるにゃ!」

「アリスちゃんごめんね、着替えてくる……!」

「今日はあっちで休んでて」


 よほど寒かったのか、抱き合ったままギルド寮側へ戻っていくふたりを見送り、ぼくはスフィと共に冷蔵庫に挑む。


 当然ながら、実は大丈夫でしたなんて都合が良い話はあるはずもなく。


 最終的には中身の半分近くを捨てることになってしまったのだった。


 もったいない……。

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