├招聘
アリスの退院が間近に迫った頃、シーラングから来た船から1人の男が港へ降り立った。
「……パナディアは久しぶりだ、バザールは元気かな」
人の流れを離れてカバンを置き、タオルで汗を拭く。
見た目年齢は中年に差し掛かっている、伸び放題の髭面に透明度の高い眼鏡。
暑さに負けて脱いでいたコートの襟元には、銀色の羽がついたフラスコが光っている。
男の名前はフーパー。シーラングの海洋生物学部に籍を置く、第4階梯『フィロソファ』の錬金術師だ。
パナディア支部長のバザールとは、若かりし頃にゼルギアエイの生態についての共同研究をした間柄。
その後バザールは専門分野を造船に定め、フーパーは海洋生物学を専門にしたことで道は分かれてしまったが。
「間違いがあれば失礼、もしや貴殿がフーパー殿か?」
感慨に耽るフーパーに、湾岸騎士の装束に身を包んだ女が声をかける。
西方では珍しい女性騎士に驚きながら、フーパーは汗を拭くのをやめて居住まいを正した。
「そうだが。君は?」
「自分は湾岸騎士隊所属のミリアム・クイント准騎士、お迎えにあがりました」
「あぁ、これはどうも。自分は錬金術師のフーパーだ」
彼、フーパーはパナディア代官の招聘を受けてやってきた海洋生物学の権威。
船を破壊した海の魔獣と不審な水死体、それらに関係があるのかないのか。
もしくは現状で港の安全が確保できているのかを調べるために呼ばれた。
「あちらはフーパー殿の船か?」
「海洋調査船だよ、最新の錬金術船だ」
挨拶を交わしたミリアムが気になったのは、船着き場の片隅に繋がれた見慣れぬ船。
丸みを帯びたデザインは既存の船とは大きく違い、港育ちの彼女をしても一見すれば船とはわからない。
「帝国で開発された魔導エンジンに、水中ソナーや海中探査ゴーレムなどを搭載している! 他にない特注の最新船だ」
「は、はぁ」
玩具を自慢する子供のようなフーパーの眼に気圧されて、ミリアムは一歩下がる。
「他にもハウマスキューブによる運転システムも実装していてね、どれも実験段階ではあるのだが……」
ハウマスキューブは『火の守り』や『海人の石』にも使われている術式圧縮技術を進歩させたもの。
板状の石や水晶に魔術式を刻む際、特殊な加工を施すことで立体的な積層魔法陣を作りだす立方体だ。
膨大な記述スペースが必要になる複雑な付与術を、手のひらサイズで実現出来るようにした画期的な技術。
技術の基礎を築いたワーゼル・ハウマスに敬意を評し、それらの技術の結晶はハウマスキューブと名付けられている。
当時は錬成による加工には超絶技巧が必要であり、再現できる者はほとんどいなかった。
しかし技術が研究され続けたことで簡易化され、再現できる加工技術となったことで一般にも流通している。
「素晴らしいだろう、あのサイズの船に海洋調査に必要な最低限の機能が詰め込まれているんだ。かの御仁が表舞台を去ることなく"賢者の石"を完成させていたらと思うと、本当に悔やまれる! もしかすれば、自分が生きているうちに深海にすら手が届いていたかもしれない!」
「そ、そうか、ですか、ひとまず代官様の館まで案内したいのだが、よろしいか?」
「おっとすまない、悪い癖がでてしまった。もちろん案内してほしい」
ヒートアップしていたフーパーが、引き気味のミリアムに気づいて冷静さを取り戻す。
自分の話題に夢中になるのは錬金術師なら珍しいことではない。
先が思いやられながら、ミリアムは代官の待つ館へと向かうのだった。
■
同時刻、錬金術師ギルドのラウンジでは支部長のバザールが頭を抱えていた。
原因はわかりやすい、アリスの論文の出来だ。
錬金術師と一口に言っても、画一的な評価基準が存在するわけではない。
例えば技術、例えば開発力、例えば知識、例えばギルドへの貢献度。
あらゆる錬金術師の中で最も評価しづらい存在が、錬金術師ギルドを騒がせているアリスという少女だった。
「意外な弱点と言うべきか、さもありなんと言うべきか」
論文の出来は一言で表すならばお粗末なもの。文法の間違い、感覚だよりの記述、話の脱線エトセトラ。
まるで子供の作文のようなもの。
「……こればかりは錬金術師ギルドの認定制度の問題でもあるが」
技師派にありがちな実技偏重評価の結果だ。
ワーゼル・ハウマスの直弟子ということもあって、小論文を含めた錬金術に直接関わらない基礎学は全て飛ばされて錬金術師として認められた。
それ自体は別に問題ではない。
アリスの錬成の技量や錬金術師としての能力は、正規ライセンスを与えられる基準を大幅に超過している。
ここで特例を適用しないならば、わざわざ錬金術師が試験をする意味がない。
問題は、見習いである第0階梯から第1階梯に上がるまでに学ぶ基礎学等が飛ばされていること。
通常は子供のうちに弟子入りして基礎学を学び、錬金術を理解して錬成を使いこなせるようになって第1階梯。
そこから研修生や補佐として様々な研究を体験しながら技術を磨き、専門分野を決めて第2階梯へ。
所属する学部で研究に邁進し続けて、能力を認められてようやく第3階梯というのが普通の流れ。
論文の書き方なんてものは、その過程で自然と学んでいくものだ。
「もう少しゆっくり育ててやればよかったろうに……というのは、酷に過ぎるか」
死病を延命しながら面倒を見ていたとはフィリップからの紹介状で知っている。
この才能を野に放り出してしまう事がどれだけ口惜しかっただろう。
バザールは亡き大錬金術師を思い、溜息をついた。
「でも、妙だよな」
「何がよ」
となりのテーブルで薬学部のカートが口を開き、同じ薬学部のマリナが怪訝そうな顔を浮かべる。
「なんでハウマス老師は放り出すようなことしたんだ? 人脈たどれば保護者や後任くらい見つけられたんじゃないのか?」
「そういえばそうよね、ふたりとも粗雑に扱われているって感じでもないし」
カートの疑問は尤もだった。
ワーゼル・ハウマスの人脈は引退してなお枯れてはいない。方々に手紙を送れば傭兵団のひとつやふたつ、簡単に呼ぶことが出来ただろう。
錬金術師ギルドに依頼を出せば、腕の立つ戦闘錬金術師を呼び寄せることだって不可能ではない。
「……何か事情があったのだろう」
「それでも、あんな小さな子たちを放り出すなんて……錬金術師ギルドから護衛とか出してあげられないんですか? 専用の飛行船とか……」
「飛行船は門閥ごとの所有だ、あの子がどこかの門閥に入るのを嫌がっている時点で難しい。護衛といっても今のあの子はただの第3階梯の一般的な錬金術師でしか無い」
どれほど将来性があっても、現状のアリスはあくまで"非常に歩みの早い子供"でしかないのが現実だ。
今までの便宜もフィリップやバザールが個人の裁量で出来る範囲で融通を利かせただけのこと。
エナジードリンクはともかく、スライムカーボンに関しては新機軸の発見だ。
何らかのインスピレーションはあったようだが、高熱による炭化現象を利用して素材の性質を変える発想は面白い。
冶金学を専攻にするならば、論文さえ完成すれば確実に第4階梯にあがるだろう。
担当範囲は"炉を使うもの全般"なので問題ない。
そうなればギルドとして利かせられる融通の範囲も一気に広がる。
「誰かが論文の書き方を教えてやれればいいんだが……」
「私はエナジードリンクで手一杯ですね」
治療師たちからおすそ分けされたエナジードリンクは着実にファンを増やしていた。
マリナも製造に関わっている錬金術師として周囲からの圧を感じ、材料面からのコストダウンを図っている。
需要の拡大と同時に在庫が尽きたことで圧が強まり、ここのところ毎日のように冶金学部の密閉缶担当と打ち合わせしている。
時間的余裕は全くなかった。
「バザール錬師、俺、俺は?」
「マイク錬師も、今はちょっとな」
「何かあったんですか?」
子供の相手が務まりそうな錬金術師で思い浮かぶのは、第2階梯のマイク錬金術師。
そろそろ中年に差し掛かる年齢だが、アリスと同年代の娘が居ることもあって小さな子に妙なことをする心配はない。
「マイク錬師は無理っしょ、奥さんが若い旅商人と浮気したとかで揉めまくりだし」
「え、何それ!?」
完全に想定外の情報にマリナの驚愕の声がラウンジに響き渡る。
「夢を語る若者にやられちゃったらしいよ?」
「信じられない……」
「自分のことで手一杯だろう、少なくとも暫くの間は」
「……居ないもんですねぇ」
他にこの件に関わっていてサポートできそうなのは冶金学部の面々。
しかしバザールの選択肢には上がらない。
目の前でサンプルを作る過程を見せられて、酒瓶片手に机の下に顔を突っ込んで叫んだり、その場で不貞寝をはじめるような連中だ。
自分たちに意味不明な行動を誘発させるような幼子相手に、まともな教育が出来るとは思えなかった。
「俺、ここに俺が」
「幸い着実に良くはなってきている、本人の努力に期待しよう」
「私も報告ついでにアドバイスくらいなら」
最終的に結論を出したバザールが、すっかり冷めた茶を飲み干して席を立つ。
「カート錬師はまず自分が先だろう、何度目の中級ポーション考査だ?」
「い、いやぁ……」
カートとマリナは共に第1階梯の錬金術師。
正規ライセンスを持っているが、立場で言えば上位の錬金術師から講義を受ける側だ。
高価な素材も多数扱うことになる製造系の学部では、素材を扱うに足る技術があるのか確かめる必要があった。
中級に属するポーション類や、上級に属するポーション類も製作に携わるための技術考査がある。
食っていくだけならば下級ポーション類を作れれば十分に事足りるが、上の階梯を目指すならば専攻学部における考査の突破は必須条件だ。
勉強熱心なマリナは第2階梯までもう少し、カートは大きく差をつけられつつあった。
「マリナ錬師は確か午後にアリス錬師の見舞いだったか?」
「はい、コストダウンの目処がついたので」
「ではこれを渡しておいてくれ……やり直しだと」
「……スフィちゃんに睨まれるの、結構辛いんですけど」
マリナの憮然とした表情から、バザールは逃げるように目を逸らす。
論文を突き返すたびにアリスがダメージを受けることで、スフィの錬金術師に対する態度が冷たくなる一方だ。
仲良く並んで手をつなぎ、尻尾を揺らす双子の後ろ姿から癒やしを得ていたマリナには辛いものがある。
「仕方ないだろう、支部長がこの程度のことで都度足を運ぶほうが問題だ」
「確かにそうですけど……!」
憎まれ役になりたくないのは、合理主義者の多い錬金術師でも変わらない。
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