├被害

「海からなんか来るぞ!」

「水から上がれ、早く!」


 沖から聞こえた叫び声に漁師たちが騒ぎ始める。


 ノーチェには人を乗せた小舟が一隻、入り江に向かってくるのが見えた。


「……にゃんだ?」

「でっかい、ヒレ? みたいなのが」


 小舟には人間がふたり乗っていて、必死にオールを漕いでいる。


 その背後では、海中から出た黒い三角形のヒレが小舟を追い掛けていた。


「なんだデカいぞ、サメか?」

「怪我してるやつは急げ! ガキもだ! 急いで海から離れろ!」


 慌てた様子の漁師たちに触発されて、砂浜へと避難してくる見習いの子供たちとすれ違いつつ、ノーチェは腰につけたサイドポーチから黒い手袋を取り出した。


 アリスが作ったスライムカーボン繊維の手袋、すべすべとした質感の布地は掌にあたる部分にだけ滑り止め加工されている。


 通電性の高いことが判明したこの素材は、手をしっかりと保護しつつノーチェの迅雷の加護を阻害しない。


 手袋をつけた拳に翠緑の光をスパークさせながら、ノーチェは腰に佩いた剣を引き抜いた。


 間に合せでアリスが用意したショートソードだ。


 失くしてしまった剣からは大きく質が落ちるものの、子供が持つには過ぎた品であることに変わりはない。


 陽光を浴びてギラリと光る刀身を、周辺の見習いたちが羨ましそうに見つめていた。


「……ぶっ壊していいとは言われてるけど、にゃ」


 アリスは自分の制作物にあまり執着がないようで、身を守るためなら別に壊しても構わないと言っている。


 適当かつ粗末に扱った結果失くしたのであれば、流石に怒りはするだろうが。


「気が引けるよにゃあ」


 スラムを渡り歩き、とある街のスラムで暮らしていたノーチェは武器の大切さを知っている。


 "ちゃんとした武器"は最低でも銀貨1枚から、使い古された粗悪品ですら大銅貨3枚を下回ることはない。


 見習いなら布を巻いた廃材の棍棒や、見栄を張る者は銅貨で買えるボロボロの中古品。


 駆け出しなら街の武器屋で売っているような、"それなりにちゃんとした物"を揃え始める。


 冒険者ギルドに通っていれば立場に応じた武器のラインは見えてくるし、何よりも少し前に露店を手伝って実感した。


 ノーチェの手にもつ剣は、一端の冒険者が銀貨を両手の指より多く出してでも欲しがる代物。


 そんなものを粗略に扱えるほど、ノーチェは金銭感覚が破綻してはいなかった。


「結局前の剣は見つからなかったしにゃ」


 事件が落ち着いて外出規制が解かれてからは、仕事の帰りに失くした付近を探したりはしていた。


 しかし、誰かに持ち去られてしまったのか見付けることは出来ないままだった。


「ま、ぼやいてても仕方ないにゃ」


 思考を切り替え、剣を片手にノーチェは海を睨む。


「助けてくれ! 助けてくれぇ!」


 小舟に乗った冒険者らしき格好の男2人が、岩場に侵入を阻まれて海の上で叫んでいた。


「……誰か騎士か、冒険者を呼べ!」

「今エドが走ってる!」

「頼む! 助けてくれ、仲間が……」


 小舟の真後ろに迫った黒いヒレが海中に消える。


「うわあああああ!」

「ぎゃああああ!」


 次の瞬間、水面が爆ぜて小舟がひっくり返った。


 投げ出された男のひとりが悲鳴をあげながら水中に引きずり込まれる。


 唖然と見守る人々の前で、遠目からでもわかるほど水面が赤く染まっていく。


「ひいいい! ちくしょう! サメの化け物め!」


 喉から引き絞るような悲鳴を上げたのは残された男。


 少しでも早く陸地に近づこうと水面をかく。


 しかし、服を着たまま素早く泳ぐことは到底不可能なようで。


 赤い水面から再び姿を現したヒレが逃げる冒険者を追い掛け始める。


「急げ! 急げ!」

「ちくしょう! ちくしょおぉ!」


 基本的には平和な港町。目の前で起きた想定外の惨劇に誰もがパニックになりかけていた。


「……はぁ、やれるだけやってみるかにゃ」

「ノーチェちゃん?」


 深呼吸したノーチェの右手に光が浮かび、しばらくして剣が翠緑の光を放つ。


 加護に起動句は必要ないが、ひとつの技としてイメージした方が制御しやすいというのは覚醒してからの訓練で学んだことだ。


 アリスとシラタマが連携技に名前をつけているのと同様、ノーチェも新しい必殺技の開発に勤しんでいた。


「いくにゃ! ヴォルトライナー!」


 そのうちのひとつが飛ぶ雷撃。消費はそれなりに大きいが、離れた位置に雷の槍を打ち込む大技だ。


 まだ"本物"ほどではないが、まともに食らえば大人でも気を失うまさしく必殺技。


 緑色の雷が枝分かれするように空気を裂いて走り、冒険者と謎の黒いヒレの中間へと着弾した。


「うおお!?」

「うぎゃあああああ!?」

「あ、ごめんにゃー!」


 水が爆ぜて冒険者の男が悲鳴をあげる。


 もちろんだが雷の特性上、精密射撃なんて出来るはずもない。


 『もし味方が射線上に居る時にそれ打とうとしたら殴る』という、聞き流していたアリスの言葉を思い出してノーチェは冷や汗をかいた。


「ノーチェ! あぶねぇ真似すんじゃねぇ!」

「今の黒猫の嬢ちゃんか! あぶねぇだろ!」

「ノーチェちゃん、あぶないよ!?」

「ごめんにゃ! 練習だとちゃんとうまくいってたのにゃ……!」


 危うく巻き込まれかけた面々から飛び交う非難の声にノーチェの耳が倒れる。


 アリスは空気がどうの、イオンがなんの、誘電性がどうのと言っていたが、はしゃいでいたノーチェの頭には入っていない。


 しかし黒いヒレはもがくように海中に沈んでいき、調子を取り戻した冒険者は遅々としながらもギリギリ岩場にたどり着くことが出来た。


「いってぇ、身体が言うこときかねぇ! 誰だちくしょう!」

「おい兄ちゃん無事か、何があった!?」


 身体が痺れながらも泳ぎ切るという快挙をなした冒険者の男を、漁師たちがかついで砂浜へと引き上げた。


 人間、命がかかればある程度なら奇跡を起こせるようだった。


「ば、化け物のサメに襲われて、仲間が! ちくしょう! みんな死んじまった!」

「化け物? サメ?」


 パニックに陥っている男の声を聞いて、怪訝そうな顔をする漁師たち。


 ノーチェとフィリアは静かに黒いヒレが沈んでいった場所を睨んでいた。


「……いなくなったにゃ」


 しかしどれだけ待っても海面にヒレが姿を現すことはなく、沈んでいったもうひとりが浮かんでくることもなかった。


「何があった!?」

「魔獣はどこだ!」


 しばらくしてターバンのようなものを身に着けた湾岸騎士が到着し、被害者と思わしき冒険者を連れて行く。


 調べている間も謎の黒いヒレは姿を現すことはなく、事態は落ち着きを見せる。


「……また漁場が」

「情けねぇ声出すな」


 調査のために入り江を封鎖するという騎士たちに追い出される最中、思わずぼやいた漁師を咎める者は誰もいなかった。



 簡単な聴取を終えたノーチェとフィリアが一度ギルド寮に寄り、それから治療院についたのは夕暮れ前。


「……うぅ……うー……ぐるるる……」


 面会時間ギリギリに滑り込んだ病室の中、ベッドの上でアリスが呻いているのを目撃する。


 体調が悪そうにしていることは数あれど、ここまで明確に苦しんでいるのはふたりも初めて見る。


「アリス、何があったにゃ?」

「提出したろんぶんがね、ぜんぜんだめだったんだって」


 今朝方、必死の思いで完成させた論文が突き返されてきたのは昼過ぎのこと。


 ほぼ全面的な書き直し判定を受け、さしものアリスもかなりのダメージを受けたようだ。


「じゃあ余裕はなさそうだにゃ」

「なにかあったの?」

「やー、入り江で変なのが出て、攻撃したら剣がにゃ」


 寮で剣の手入れをしようとしてヒビが入っていることに気づいたノーチェは、治療院への道すがら冷や汗を流しながら必死に言い訳を考えていた。


 剣を渡されたばかりで、病床の上で唸るアリスに新しい剣をよこせと言うのも憚られる。


 ノーチェは仕方なく要望を飲み込み、今日は見舞いに徹した。


「変なのって?」

「なんか黒いヒレに追われてる冒険者がいてにゃー、必殺のヴォルトライナーをぶちこんだのにゃ」

「むぅ、ノーチェばっかり新しい必殺技つかえてずるい」

「にゃはは、才能の差にゃ!」

「だったらもうちょっと安全な使い方してよー」


 ゼルギア大陸では命をかけた争いがあちこちで起こっている。


 魔獣は当然、人同士の争いもあって死は身近なものだ。


 孤児として誰にも頼らず生きてきたノーチェも、修羅場をくぐっているフィリアも、ある程度はドライな考え方が出来る。


 親しい人間ならまだしも、冒険者はあくまで自己責任で命をかける仕事。


 巻き込まれたのが冒険者ならば、目の前の修羅場を引きずらないくらいの切り替えは出来ていた。


「スフィだってあたらしい必殺技っ」

「おねえちゃん」

「んゅ? アリス、どうしたの?」

「おねえちゃん……」


 のんきな会話の最中に差し込まれた、精神的に大分追い詰められているらしいアリスの声。


 即座に反応して手を伸ばし、妹の頭を撫でるスフィを見てノーチェとフィリアは苦笑する。


「なんか珍しいにゃあ、その状態」

「普段は"あれ"だけど、こういう時のアリスちゃんってなんだかすごくかわいいよね」


 よしよしと妹を抱きしめるスフィを見てほんわかするフィリア。


 さりげに毒を含んだ『普段は"あれ"』という評価に突っ込むべきか同意するべきか悩みながら、ノーチェは窓から見える夕暮れに視線を向けるのだった。

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