├事件
港ではここ数日、流れ着く水死体の数が増えていた。
「犠牲者は冒険者ばかり……か」
湾岸騎士隊の第4分隊。その隊長を務める騎士ランナル・ルウェは顎をさすりながら面長の顔に険しい表情を浮かべる。
本来海とは危険なもの、ましてやゼルギア大陸周辺の海には魔獣がひしめいている。
海上を行くのは危険と隣り合わせなこともあり、潮の流れが辿り着くパナディア港に無惨な水死体があがることは珍しくもない。
「この時期にか」
港で暗躍していたゼノバの海賊から誘拐された子供を取り戻したのはつい先日の事。
子供たちは全員無事だったものの、海賊を1人も捕えることが出来なかったというランナルをして忘れがたい事件だ。
結果的には仲間の海賊が難破して証言をしたことで、敵の大将であるウィゲルと裏で協力していたカラノールの商会長を断罪することが出来た。
それでも作戦に参加した騎士たちには一時"痛み分けにされた"という苦い記憶が残る。
短い期間ながら鍛え直した騎士たちが、海賊船を襲った謎の魔獣の調査を行い、近海の安全を確認した矢先にこれだ。
「呪いでも降り掛かっているのか?」
柄にもなくそんな冗談を口にする程度には、ランナルは追い詰められていた。
「戻りました」
湾岸騎士隊の区画詰め所、事務用の机が立ち並ぶ部屋にひとりの騎士が入室する。
時間は正午、昼休みに出ていた騎士の最後のひとりだ。
足早に自分の席へと向い、書類と格闘する同僚をちらりと見て椅子に腰掛けた。
「おつかれ、どうだった?」
「まだ面会謝絶だってよ」
「……あの狼人の子か?」
騎士達の会話にランナルが口をはさむ。
「あ、はい! 何でもまだ体調が芳しくないようで」
彼等が気にしているのは、拐われた獣人のひとり。
錬金術師に連れられてやってきた幼い獣人少女達の身内らしいその子は、ランナルの記憶にも強烈に残っている。
見て取れるほど顔色が悪く、立ち上がることすら覚束ない少女だった。
それがランナルのわかる限り高度な錬金術を使って、騎士たちが束になっても敵わなかった、あの恐ろしく強い拳闘士をたったひとりで抑えて見せた。
察することが出来ないほど鈍ければ、騎士隊長など務まらない。
錬金術師ギルドの面々も代官もはぐらかしていたが、それだけで彼女が錬金術師ギルドの秘蔵っ子であることは理解できた。
軽く探って孤児だとわかった時点で、ランナルは狼人の双子に関する情報を封鎖することを決める。
身寄りのない天才錬金術師の子供などトラブルの種にしかならない。
少し前に教会の恩恵が薄い地域を治める男爵の次男が薬学錬金術師を志し、20手前で正規ライセンスを取得した。
ランナルは当時、その父親にあたる男爵がパーティに次男を連れてきて自慢して回り、当の次男を赤面させるという微笑ましい一幕を見たことがある。
"普通の"錬金術師ですら相当な難関であり、周囲の反応はこうなる。
更には獣人と言えどあの見た目。
我が子に、我が子の妻に、自分の妻に。情報が広まった結果どうなるかなど目に見えている。
可能ならば誰にも気付かれないうちに街を出て欲しい。
ランナルの考えは代官と完全に一致していた。
ルウェ家は代々続く騎士爵の家である。
世襲されるのは準男爵からというのは、貴族制を敷く国々では共通の項目だ。
本来騎士爵というのは何らかの功績を残す、あるいは実力を示すことで一代限り名乗ることを許される称号。家ではなく本人につけられるもの。
とはいえ、多少のお目溢しはある。
後継者にあたる男子が騎士爵相応の実力があると見なされれば、特例的に継承を許されるケースもあった。
ランナルの産まれたルウェ家は戦いで名を挙げてパナディア騎士の地位を授かり、以後は子供たちの中で最も優れた者に騎士爵を継承させることで家を維持してきた。
ルウェ家の悲願は準男爵への成り上がり。
30を過ぎるまで問題なく、真面目に騎士を勤め上げて来たランナルは代官や上層部の評価も高い。長く維持したことでパイプも出来つつあって、上手く行けば自分か息子の代で準男爵の地位を得られるだろう。
ランナルは「街を守護する騎士ならば実直たれ」と育てられたルウェ家の堅実な男である。先祖伝来の悲願を目前にして、ハイリスクメガリターンな賭けに手を出すつもりは欠片もない。
『社会的地位の薄弱な獣人孤児の幼女』かつ『ギルド秘蔵の天才錬金術師』なんて存在は視界に入れたくもなかった。
出来ることなら騎士たちにも関わりを持ってほしくはないくらいだ。
しかし孤児にして可憐で病弱、薄幸の少女という属性。
見るからに庇護欲を誘う見た目が騎士たちの琴線を刺激して止まないようで。
当時作戦に参加し、その後も護衛をしていた騎士の一部が彼女を気にして今も見舞いに行っている。
「実際体調が芳しくないのであろう、大の男が押しかけるものではない」
「はい……」
「露店で客が押し寄せてたし、それで疲れたのかもな」
「あの年でもう自分で稼ぐなんて……立派だよなぁ」
騎士たちに釘を差したランナルが、続く会話を聞き流しながら視線を手元の報告書に戻す。
難破した海賊の一部が保身のためにおかしな証言をしたせいで、危険だと警告しても海に出る冒険者が増えている。
「キャプテン・シャークの幽霊船か」
子供を寝かしつけるために使われる、くだらないおとぎ話だ。
だが事実に基づいた話でもある。
数百年前にゼルギア南部海を騒がせた大海賊『喰い裂きブルース』。
どんなに離れたところからでも獲物の匂いを嗅ぎ付け、船の横腹を喰い裂いて積荷を掻っ攫っていく。
関わった者達が「獰猛な鮫のような男だ」と評する彼は恐ろしく強く、数々の伝説を遺した。
たったひとりでシーラングの軍艦の横腹に風穴を開けて沈めたという、バルノバ沖の決戦を知らない湾岸騎士は居ない。
数々の戦いの果にブルースは捕まることなく、嵐の海の向こうへ消えていったという。
「やれやれ、また騒がしくなりそうだ」
数百年も海を彷徨う幽霊船にどんな宝が残されているかはわからないが、願わくば何事もなく過ぎ去って欲しい。
嫌な予感に苛まれながら、ランナルは次の書類を手にとった。
■
港から少し離れた海岸沿い、地元民だけが知る岩場に囲まれた大きな入り江があった。
普段は人の立ち寄らない漁場のひとつであり、沖に漁に出れない時などに使われている。
ノーチェたちは潜って海や魚を獲っている漁師たちを眺めつつ岩場の近くで待機していた。
海中に作った生簀を狙ってくる弱い魔獣を追い払うのが、今回の見習い冒険者の仕事だ。
「おーい、そろそろ交代だ」
「おー、わかったにゃ、エロガッパ」
「お前らその呼び方そろそろやめろよ!?」
見張りと言っても炎天下、ずっと張り付いている訳ではない。
この岩場を使う際は漁師個人ではなく、漁業組合に雇われる形になる。それぞれのチームが割り当てられた時間順番で見張りをするのが通例。
ノーチェたちのもとに引き継ぎに現れたのは、漁師のひとりの息子であり冒険者に憧れる。よくあるタイプの少年だ。
「水浴び覗いたのをその程度で許してやってるんだから、感謝すべきだと思うにゃ」
「あーもう、悪かったって言ってるだろ!?」
エロガッパという呼称はゼルギア大陸でも通じる蔑称だ、エロいことしか頭にない人間を指して呼ぶ。
少年は噂の美少女の水浴びを覗いた男として、周囲からの圧倒的な蔑みと少しの嫉妬、それから微かな称賛を浴びている。その結果としての『エロガッパ』呼びだった。
言うまでもなく、ノーチェたち一行は人間の基準でも美少女揃い。
ノーチェもフィリアも最初にアリスたちと出会った時のような、薄汚れて陰鬱な顔をしていた頃とはまるで違う。
骨が浮き出ていた身体は今は肉がついて、自信と活力に満ちた生意気そうな美少女になりつつある。
発育の良いフィリアも背が伸びてきて、大人になりかけの雰囲気を纏いつつある。
幼いながら3人の中で最も顔立ちが整っているスフィも、アリスがしっかりと入院療養をすることで体調がよくなったのもあって、今は天真爛漫な愛らしさを振りまいている。
街ではあまり見ない美少女たちに、年頃の近いませた少年が興味を抱いてしまうのも無理からぬことだった。
「ま、運が良いほうにゃ」
「ぐぐう」
ノーチェたちはその幼さと育った環境もあって、見られたことは不快であれど怒り狂ってまではいない。
当時も思い切り蹴り倒してから、保護者に突き出して終わらせた。
後ほど顔の形が変わった彼が父親と一緒に頭を下げたことで多少溜飲を下げている。
少年が本気で反省するまではエロガッパと呼び続けるだろうが、反省していない方が悪い。
「……もしアリスまで居たら、命はなかったかもしれないしにゃ」
普段の様子から無頓着なアリスならば、自分が見られても大して気にしないだろう。
しかし、スフィが溺愛する妹の水浴びを覗いた男を"あの程度"で済ませるとは到底思えなかった。
ついでにアリスの方も態度にはあまり出さないがシスコンだ、姉への狼藉にどんな反応するかは全く読めない。
もしかすれば、彼は今ごろ海の藻屑となっていたかもしれない。
「今日はあいつはいないのかよ」
「妹が大変だからにゃ」
滞納していた年貢を強制徴収されたアリスは、大人しく病院に収監されている。
スフィは看守役に専念し、動けない妹を甲斐甲斐しく世話していた。
当人は観念したのか従順らしく、体調も良くなってきているのかスフィの機嫌も良い。
「……そうかよ」
「無駄だと思うけどがんばれにゃ」
「うっせー!」
ひとつ年下のスフィを気にする様子を見せる少年。
目ざとく気づいてからかうノーチェに、少年は頬を引きつらせる。
「おいエロガッパ、いつまでも女と話してないで手伝えよエロ」
「そうだエロ、サボってんじゃねエロ」
「語尾みたいになってんじゃねーよ!」
仲間の男児たちにからかわれ、肩をいからせながら生簀へ近づく少年。
入れ替わるように荷物をまとめたノーチェは、フィリアと連れ立って岩場を離れる。
「昼飯にすっかにゃ」
「うん、今日のおべんとうはね……」
フィリアがシラタマ製の溶けにくい氷を使った保冷剤入りのバスケットを抱え上げたその時。
「――ぎゃあああああああああ!?」
沖合の方から耳をつんざくような、男の悲鳴があがった。
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