├冒険者の噂話

 パナディア港の漁師通り、その一角にぽつんと佇む"良い雰囲気の酒場"がある。


 宿も近く、夕暮れにもなれば仕事終わりの漁師や職人、冒険者などが集まってくる。


 賑やかな喧騒で満ちる店内の一角、落ち着いた深い色合いのチークのテーブルに腰掛けて一組の冒険者パーティが杯を傾けていた。


「どうしたのよジェイド、辛気臭い顔して」

「……どうしてだろうなぁ、なぁシシリ?」

「報酬が入ったらちゃんと返すって言ってるでしょ!」


 恨みがましい目で椰子酒を飲む森人エルフの少女を睨んでいるのは剣士らしき青年ジェイド。


 エルフの弓使いシシリテウルと、普人の錬金術師エレンと共に『風の轍』というパーティを組んで活動しているCランク冒険者だ。


 彼は先ほど冒険者ギルドの銀行機構に貯めていた金を下ろした直後、それをまるごとシシリテウルに奪われたばかりだった。


 露店通りで掘り出し物を探すのを楽しみにしていただけに、その悲しみは計り知れない。


「子供のおもちゃみたいな弓を買うために……俺の銀貨20枚……」

「仕方ないでしょ、ほんとに凄いものだったんだから」

「銀貨20枚って何買ったの? ちょっと見せてよ」


 茶色の髪の毛を首の後で三編みにした少女、エレンが酒を片手に興味深そうに言った。


「銀貨30枚よ、弓は直しにだしちゃった。狙いはこっち」


 シシリテウルは軽く答えてから、カバンに入れていた弓弦をエレンに手渡す。


 町の外で拾ってきた装備品を旅人が露店で売っている光景は珍しくも何とも無い。


 大体は野垂れ死んだ冒険者や商人の遺留品で、中にはとんでもない掘り出し物が見つかることもある。


 最初こそ彼女も冷やかし程度に商品を見るつもりで、まずめずらしい弓の造りに目を引かれた。


 まるで子供用に誂えられたかのような短弓は、ジェイドの言うように一見すれば子供のおもちゃ。


 しかし力がなく体格の小さな者が使いやすい工夫があちこちに見られる代物だった。小人族の職人が作ったのかもしれない。


 造り自体はしっかりしている、合成弓と呼ばれるもので値付けも適正。


 小さな女の子たちと侮って安く買えるかと思いきや、意外としっかり商売していて驚かされた。


「これって、弦? 麻じゃないわよね、合成繊維? 触った感触はスライムに似てるけど……」

「拾ったものらしくてわからなかったわ。張られている状態だと石みたいに硬いのに、引ききると軽くなるの。弓匠のところで試しに射ってみたら、威力ありすぎてぶつかった木矢が砕けちゃった」


 若くして第2階梯に認定されているエレンでも、謎の弦の正体はすぐには掴めない。


 エレンは暫く弓弦を指先で弄んでから、懐から錬金陣が刻まれたガラスの板が嵌め込まれた板を取り出した。


 陣の上に弦を乗せ、つぶやく。


「『解析アナリシス』……はあ?」


 干渉はせずに組成だけ読み取る錬金術を使ったエレンが、普段は出さないような素っ頓狂な声をあげた。


「どうしたの?」

「……自然物じゃないわ。明らかに人の……錬金術師の手が入った代物よ」


 真剣な表情で弦を見つめて、エレンは続ける。


「スライムと……何かの燃えカスかしら。超高温で焼かれた魔物の死体なんかでよく見る構成物と感触が似てるわ」

「素材がわかったの?」

「組み合わせの発想は感心するけど素材自体はそこまで珍しいものじゃないわ。それよりも構成よ、砂をひと粒ずつ色別に整列させて並べ替えるみたいな作業している。長時間かけて作ったなら正気じゃない、短時間で作ったなら文句なしの化け物ね」


 エレンはお手上げと言わんばかりに肩をすくめて弓弦をシシリテウルに返すと、酒を片手にテーブルに突っ伏してしまった。


「知られてないってことはきっと引退済みの大物錬金術師が作ったものか、神代に作られたものなんでしょうね。世の中広いわ……」

「そんなにいいもんなのか?」


 信頼できる身近な錬金術師の鑑定に、ようやくジェイドが復活した。


 何しろ孤児らしき獣人の集団が売っていた来歴不明の品物。世間知らずのエルフが騙されたものだと思いこんでいたのだ。


「海竜の髭並よ」

「それはちょっと大げさだけど、間違ってもそこらへんで手に入るものじゃないわね」


 海竜の髭は弓弦の素材としては最上級品のひとつ。弓そのものにも相応の強度は求められるが、竜宮の国宝である総て海竜素材で作られた弓は10キロ先の鉄鎧すら穿ち抜くと言う。


 それほどの逸品ではあるが、手に入れるには値段以上にその希少性が問題になってくる。


 他に有用な使いみちがいくらでもある希少素材、わざわざ使いみちの限定された消耗品である弓の弦になど使う物好きは殆ど居ない。


 相場そのものは並寸ひとつ金貨10枚程度であっても、物自体が出回らない。


「それで、買ったっていう弓の方は長弓に直すの?」

「元が短弓だし、造りもしっかりしてるそうだからもっと小型化したほうがいいって。この弦なら携帯サイズでも長弓並の威力出せるそうだから」

「これだけの素材が作れるのに弓の出来はお粗末って、なんかチグハグね」

「何か別分野の名工が腕試し的に弓を作ったんじゃないかって」


 会話を肴に酒は進む。


「俺もあのナイフほしかったなぁ」

「掘り出し物でもみつけたの?」

「シシリが弓買った露店、他にナイフなんかも置いてたけど見るからに良い出来だった」


 弓弦ばかり話題になっていたが、おまけのように置かれている刀剣類も頭一つ抜けた出来ばかり。


 値段は高かったが、それだけの価値があった。


「同じ錬金術師の作かしら、気になるわね」

「案外露店の子の誰かが作ってたりしてな」


 酒が回ってきたのか、冗談めかして言うジェイドにエレンが興味を示した。


「シシリ、露店ってどんな子達がやってたの?」

「全員獣人、見たとこみんな10歳未満だったわね。黒い髪の生意気そうな猫人フェリシアンの子と、大人しそうな桃髪の兎人ルプシアン、それから一番小さい砂狼の狼人ヴォルフェンの女の子がふたり。狼人の子たちは双子じゃないかしら、顔立ちがそっくりだったし」

「……ないわね、あたしの10歳は工房の錬金術師に突撃して勉強教えてもらってた頃だわ」


 エレンは東大陸の東海岸沿いにある港町で、歴史ある鍛冶工房の娘として産まれた。


 物心ついた時から錬金術に興味を示し、工房に非常勤として在籍していた錬金術師に弟子入りをせがみ才能を開花させる。


 15歳の頃に第1階梯に認定されて錬金術師ギルドの正会員となり、鍛冶の勉強のために親によって旅に出された。


 工房の跡取りである兄の立場を危ぶんだ故の行動と理解していたが、旅の終わりには自分の工房を立ち上げる支援をすることを条件に受け入れた。


「お前より才能あるとかじゃね?」

「ばっかね、これでも小さい頃からブロード工房の天才少女なんて呼ばれてたのよ?」


 実際、エレンが正式な錬金術師になったのはかなり早い方だ。


 しかし錬金術師として認めて貰えるだけの知識や技術と、名工と呼ばれるに足る技術力の間には巨大な壁がある。


 どれだけ才能があろうとも、そこを一足飛びで超えていける存在など想像もつかなかった。


「ま、フォーリンゲンから来た獣人なら雪原超えてきてるだろうしそこで拾ったのかもな」

「あそこはねぇ、腕っぷしに慢心してるとね」


 会話が逸れはじめたところで、エレンの言葉に反応してひとりの人物が顔をあげた。


「ブロード工房……まさかエレン・ブロード?」

「ん?」


 名前を呼ばれて振り返ったエレンのほのかに赤く染まった顔が、驚愕に彩られる。


「うそ、マーティン!?」

「エレン! やっぱりエレンだ!」


 立ち上がったのは日に焼けた肌の青年。


 同じ町で育ち、エレンより少しだけ早く冒険者として旅立った幼馴染のマーティンだった。


「あんたどうしたのよこんな所で!」

「あぁ、ちょっとな、まさか会えるとは思わなかった! そっちは仲間か?」

「剣士のジェイドと弓使いのシシリ、風の轍ってパーティやってるの」

「ども」

「よろしく」

「あぁ、よろしく!」


 久しぶりの再会に沸き立つふたりの会話は弾む。マーティンもエレンの事情は理解しているのか、何故冒険者をしているのかとは聞かなかった。


「冒険者か……ランクは?」

「全員Cよ。あんたこそどうなのよ」

「俺もCだよ、奇遇だな」


 冒険者ランクCともなれば文句なく一流の領域であり、実力者の証明書。


 それを聞いて、少し口ごもったあとでマーティンはテーブルの空いているスペースにおもむろに腰掛けた。


「なぁ、エレンと、ジェイドとシシリ、あんたらの腕を見込んで頼みがあるんだが」

「マーティン?」

「あん? なんかウマい話でもあるのか?」


 軽口を叩くジェイドにマーティンが真剣な表情を向ける。


「ウマいかどうかはわからないが、大きな仕事だ」

「へぇ?」

「おかしな話じゃないでしょうね」


 昔から好奇心旺盛だった幼馴染が興味を示したことを理解して、マーティンはひとつ頷いてみせた。


「"キャプテン・シャークの幽霊船"って知ってるか?」


 日焼けした男の不敵な笑みが、店に備え付けられたランプの明かりに照らしだされた。

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