嵐の後に

 凄まじい嵐は、丸一日ほど海を騒がせてから過ぎ去った。


 現地に住んで長い人からしてもここまで激しい嵐は初めてらしい。


「ふわぁ、すごい空」

「うん」


 嵐が過ぎた後の空は、まるで凪の海原が広がっているかのように深く青かった。


 スフィに車椅子を押してもらってのんびり青い空を眺めていると、へとへとになった様子の治療師が中庭までやってきて座り込むのが見えた。


「あれ、あのおじさんって」

「イヴァン錬師、治療学部のひと」

「…………あぁ、アリス錬師ですか」


 声に反応したのか、ゾンビみたいな動きでこっちを振り返る。数秒ほど経ってからぼくを認識した。


 応答に時間がかかりすぎてる。


「愚問だった」

「…………大丈夫かと口に出して問う前に自答しないでください、普通の人はわかりませんよ」


 こんな感じで凄く聡い優秀な治療師の人なんだけど、今日は逐一反応に数秒単位のラグがある。


「おじさん大丈夫?」

「なにかあったの?」

「…………大丈夫ですよ、嵐で怪我人が多くて少し寝不足なだけです。アリス練師がふたりに見えちゃってます」

「わたしはスフィだよ?」


 スフィが反応してるけど、ほんとに二重に見えてるのか双子相手のジョークなのかわかりづらいな。


 ぼくを見てるあたり、たぶん二重に見えてる方だろうけど。


「イヴァン練師、これよかったら」

「……これは?」


 少し考えてから、服の下にあるポケットからエナジードリンク通称エナドリを1本出して渡す。


「新商品、エナジードリンク」

「あぁ、病室で作っていた……いいのですか?」

「サンプル品ってことで、美味しかったら話の種にして」


 結局、今回作った200本は宣伝と割り切ることにした。


 販売する時も赤字前提で利益は得ない方針だ。暫くはコストダウンに注力しないと話にならない。


 それならば、ここが宣伝のしどころだろう。


 地球では忙しい人がメインターゲットだったのだから。


「ありがとうございます、喉も乾いていたので……ええっと」

「こう開ける」


 目の前でプルタブを引いてみせると、カシュっと空気の抜ける音をさせて缶の口が開く。


「あぁ……うん?」

「どうしたの?」

「いえ……ありがとうございます?」


 その動作を見て一瞬驚いたような不思議そうな何とも言えない表情をしたイヴァン練師。尋ねてみても要領を得ず、首を傾げながら缶を受け取った。


 このプルタブ機構こっちになくて、説明するのが大変で結局自分で作ったんだよね。


 最初はおっかなびっくり口を付けたイヴァン練師は、しばらく確かめるように少量ずつ飲んでいった。


 このあたりの反応もスフィたちと一緒だ。こちらでは炭酸がない……気密性を保持したまま液体を運搬する技術はあるんだけど、もっと貴重な物に使われてる。


「あぁ、なんかこう、頭がスッキリしますね!」


 飲み干してから少しして、イヴァン練師が立ち上がった。隈があるのに眼はランランと光っている。


「……目覚ましと、疲労を誤魔化せる薬草も入れた」


 味を邪魔しない範囲でだけど、コンセプトは働く人のためのドリンクだ。


「最初はびっくりしましたが、この泡が飲みづらい薬草の香りをうまくカバーしています。それに味も慣れたフルーツの味で飲みやすいです。薬草のような独特の風味がありますが慣れると癖になりそうですね! 好ましいと感じる人は少なくないと思います」

「……ありがとう」


 先ほどとは打って変わって饒舌になりはじめたイヴァン練師が、確かめるように肩を回して腰をひねりはじめる。まるで準備体操だ。


「あぁ、いいですねこれは! 午後の勤務も乗り切れそうです!」

「ちゃんと休んでね、疲労をすぐに回復させるわけじゃなくて……」

「それでは私は仕事に戻ります、アリス錬師も潮風に当たりすぎないようにしてくださいね!」


 顔色が悪いのに眼と表情だけ元気一杯になってしまったイヴァン錬師が、笑顔のまま建物の中へ戻っていく。


 駆け足で。


「アリス、それ売って大丈夫なの?」

「……自信なくなってきた」


 薬品扱いされるような成分は入れてないし、スフィたちはテンションが少し上がるだけだったんだけどなぁ。


 彼みたいに疲労困憊で飲むと変なことになるのかもしれない。


 売るときは用法用量を伝える方法を考えよう。



「そんなわけで、お金がありません」

「ほぼお前の自爆じゃにゃいか」

「アリスは……その、悪くないもん……」


 病室で集まっているみんなに現状報告をした。具体的には売り出そうとしてたドリンクの原価が高く付き過ぎて大赤字でお金がないって内容だ。


 ノーチェの正論にスフィがなんとかかばってくれようとするけど、無理しなくていいのよ。


「し、仕方ないよ。暫くは騎士団と錬金術師の人たちがみてくれるんでしょう?」


 ぼくたちの中では一番金銭感覚がしっかりしているフィリアが取りなしてくれた。まぁそれもあってある種の賭けに踏み切ったんだけど、見事にやらかしたわけだ。


 ……出来上がったものに対して『思ったより高いから』で断る訳にいかないからね、二度と仕事受けてもらえなくなる。


 次からはきちんと見積もりを立ててからにしようと思う。


「ま、お金はそもそも大半がアリスの稼いだ金だにゃ、文句言う気はにゃい」

「というか、この装備とかも、普通は私達が買えるようなものじゃないもんね」


 そう言ってくれるのはありがたいけど、錬金術師としてその程度の品物しか用意できなくて不甲斐ない。


 足止め食らってる間に装備の強化もしたい。


「でも依頼に出るわけにもいかないんだよにゃ」

「騎士さんたちがすぐ駆けつけられる範囲から出ないでって」

「にゃんか嫌な記憶が蘇るにゃ……」

「またあの怖いのがきたら、やだね……」


 流石にあんなのがそうそう出てくるとは思わないけど、警戒は必要だ。


「そんな訳で、お金を稼ぐ方法をかんがえたいと思います。リーダー」

「なんにゃ?」

「仕切って」

「おう、どんな方法あるか出すにゃ」


 仕切りをお願いしたらそのままパスされた。解せない。


「ひとつ、働いて稼ぐ」

「むり!」

「むりだにゃ」


 これはない。ぼくの体調も大分良くなってきてるとはいえ、まだ錬金術師ギルドで働けるほどじゃない。


「ひとつ、商売で稼ぐ。というかこれしか無いと思ってる」

「失敗したばっかりじゃにゃいか」


 個人的には一番有力だ。


「それはぼくの開発した商品のコストまわり、有力なのは別の売り物」

「例えばなんにゃ?」

「素材、武器、防具、道具類」


 ざっと並べたけど、要するにフォーリンゲンの街門前で商人相手にやったことの拡大強化版だ。


 フォーリンゲンでは住民の差別意識が強いのもあって露店なんて到底できなかった。


 だけどこっちには竜宮やラオフェンから来た獣人が普通に露店を開いていることもあるらしい。海賊騒ぎが落ち着いて嵐も過ぎた、人の往来も回復するはずだ。


 今なら騎士の護衛もついてくる、アイテムを売りさばくのには都合が良い。


「……アリスが作ってくれたんだもん、スフィの剣は売らないよ?」

「流石にパンドラ鋼使ったのは売れないよ」


 明らかな異物だ、何が何でも秘匿したいものでもないけど気楽に表に出せるものでもない。


 材料は永久氷穴で手に入れたやつが大量にある。例の持ち主の居ない装備品たちだ。


 どれもこれも逸品揃いだから、子供の持っていていいものじゃない。


 そのまま使うには問題が大きいし、冒険者ギルドに引き渡すわけにもいかない。でも素材として見れば上等品。


 扱いに悩んでたけど、スフィたちの武器として仕立て直そうと考えていた。


「じゃあ新しく作るの?」

「うん」

「無理しない?」

「しない」


 さすがのぼくだって無理をした結果がこの状態なのは理解してる。錬金術師ギルドの好意に甘える形になるけど、今回はしっかり身体を休めたい。


 そのためには404アパートから回収する時間と、作業場の確保。それから売れるかどうかの相談のために冶金学部に相談しなきゃいけないんだけど……。


「おぬしら、わしがきてやったのじゃ!」


 今日も今日とて隙を見ては絡みに来るシャオのおかげで、主に404アパートからの回収が難航しているのだった。

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