狐の子

「この肉なんにゃ?」

「牛に似てる」

「ウシってこんな味なんだー?」

「パルナディアの刺身か、いまのきせつはおいしいのじゃ!」


 事実上貸し切りになっている大部屋の病室で昼食中。


 今日のごはんはバナナの粉で作られた麺のスープ料理と何かの肉の刺身盛り合わせ、それとマンゴーっぽい果物のゼリー。フィリアだけ別メニューで、肉の刺身が蒸した野菜に替えられている。


 肉は食肉用の牛に近いけど脂身が少なくて味が濃くて美味しいものだった。


 かかっているタレも甘辛で合う。魚醤ベースで野菜とフルーツが混じっている味がする。


 肉自体は新鮮なものだそうだけど、感覚的には刺身と言うよりユッケに近い。


 何となく火を通した肉にしていたのを後悔するくらい、生で食べる肉が美味しい。


「体の調子が悪かったのは、肉を加熱しすぎていたのもあるかもしれません」

「えぇ……」


 若い男性の治療師が難しい顔で食事前に計ったぼくの血圧と体温とにらめっこしている。


「一部の野菜が極端にダメなら純血に近いんでしょう、十分な栄養を取れていなかったんだと思います」

「……むぅ」


 もちろん感染するリスクを考えれば、衛生管理状況がわからない肉を生で食べるのはいくら獣人でも危険だ。


 だから旅の途中は内部まで十分に加熱して食べていたんだけど、そのせいで栄養失調に近い状態になっていたらしい。


 調理や食事に対して気を付けていたつもりではいたけど、やっぱり前世の"普通の人間"……普人ヒューマンだったときの感覚が大きく影響していた。


 どうもそれが良くなかったみたいだ。


「判断自体は間違ってないんですけどね」

「むずかしい」

「衛生学部で食品衛生の研究もしてますから、具合が良くなったら話を聞きにいってもいいのでは?」

「そうする」


 とはいえ、病人が生肉をもぐもぐと食べているというのは中々奇妙な光景だった。


 因みにぼくの分だけは表面を炙る程度に火が通っている。


狼人ヴォルフェンは純粋な肉食に近いですから、西側だと細やかな対応は難しいかもしれませんね」

「不便……」


 ここにきて初めて知ったけど、獣人というのは純血に近いほど祖となった獣と同じ特徴を持つようだ。


 基本的に見た目に現れるようで、治療院に来る獣人の保護者の中には二足歩行の獣みたいな見た目の人もいた。見た目が獣に近いほど、体質や食べ物の耐性なんかも元となった獣に似るらしい。


 ぼくとスフィは見た目は耳としっぽくらいしか獣人っぽさがないのに、体質だけは全身獣の人たちより獣に近いっていうんだから何とも不思議な話だった。


「おぉ、心の臓もあるのじゃな、これは"せいがつく"のじゃ」

「……つーかてめーはなんでいつも混じってるにゃ!」

「居て悪いのか! わしは恩人じゃぞ!」

「檻からだしてやったのはあたしらにゃ!」

「檻こわしたのアリスだよ?」


 つるつるの麺を音を立てないように啜っていると、部屋の中央に置かれた仮食卓で何故か騒ぎが起こった。


 ここ数日、狐人の女の子が入り浸っているのにとうとうノーチェが異を唱えたようだ。


 高貴な出とか言ってたし保護者とかきてると思うのに、なんでぼくたちの部屋にきてるんだろうか。


「食い物まで運んできやがって!」

「わしの分じゃ!」

「ここはあたしらの部屋にゃ!」


 言い争ってるノーチェたちを横目で眺めていると、苦笑していた治療師が検診を終えて部屋をあとにする。


「アリス、おわった?」

「うん」


 それを見たスフィが食事の乗ったトレイを持ってベッド脇のテーブルに乗せる。


 検診は食事前に済ませる予定だったんだけど、入院してる人数が多いから予定が押しまくっているとかなんとか。


 主に獣人の保護者の相手が大変なようだ。たまにこの部屋まで怒鳴り声が聞こえてくるし。


「エナポ、もうできた?」

「名前変わったけど、取り敢えず200本つくった」


 開発していたエナジーポーション改めエナジードリンクは内容量は缶入りの300mlで、近々試験的に露店売りする予定になっている。


 その時は豪華にも代官推薦の腕が立つ騎士の護衛付きだ。ぼくにも情けはあるので「囮?」とは聞かないでおいてあげた。


 フォーリンゲンの時といい、気軽に子供を囮にしてくれるあたりに人権の非実在性を思い知る。


 まぁゼルギア大陸には本当に人権宣言そんなもの存在してないんだけど。


 ポーションじゃなくなったのは、『ポーション』は主に薬品に付けられる名称だからだ。流石にそこだけは改名を余儀なくされた。


「…………にひゃく?」

「無理はしてない」


 食事の手が止まった所でちょっと早口でまくし立てる。いやほんとだから。


 缶そのものは冶金学部に依頼して用意してもらったもので、ぼくがやったのは液体の封入と不備のあった品物の直しくらいだ。


「おかげで貯金がすっからかんだけど」

「えー」


 初期投資は銀貨40枚、残りは銀貨4~5枚。


 ぼくは暫く労働できないし、売れなきゃやばい。


「200本で銀貨40枚かかったし」

「えー、じゃあ1本大銅貨2枚もするの!?」

「そうなんだよね」


 正直単価としてありえないくらい高い。ライバルはコップ一杯銅貨2枚のしぼりたてジュースだし、理想は販売価格で銅貨3~4枚。


 原価が大銅貨2枚なら販売価格は最低でも大銅貨5枚、一般的に売られている下級ポーションより高くなる。


「容器がおもったより高くついた」

「どうするの?」


 元から量産されている缶詰は輸送を前提に頑丈に作られているからそのまま飲むには向かなくて、結局特注の手作りになってしまったのだ。


 更には一定範囲内の労働者ならともかく、冒険者や旅人なら回収も覚束ないのでリサイクルは不可。


 正直失敗した感が凄い。


「宣伝と割り切るか、少しでも回収するかで揺れてる」

「スフィはそのへん全然わかんないもん」

「ぼくも」


 ゲームと違って現実の商売は難しいなぁ。


「何の話じゃ?」


 ノーチェと言い争っていたはずの狐人の子がこっちの話を聞きつけたみたいだ。


 そういえば、ずっと気になってたんだけど。


「……君、だれ?」


 聞くタイミングを逸してしまって、ぼくはこの子の名前すら聞いていない。


 体調最悪のところを治してもらったわけで、今更だけどちゃんと自己紹介はしておきたい。


「…………うっ、ふぐっ……ふえっ」

「……?」


 狐人の子の丸い眼にみるみるうちに涙が溜まり、口から嗚咽が漏れ出す。


 ……え、何? どういうこと?


「な、なおして、やったのに、わす、わしゅれ……ひぐっ」

「忘れるもなにも、ぼくは知らない」

「ふぐっ、うえええええ、ひぐっひっ、ひっ、うええええ」


 名前聞いただけで何で急に泣き出すの、怖いんだけど。


「アリス、"きれ"がないけどお熱あった?」

「さっきは39.6℃」

「やっぱり!」


 確かにボーッとはしてるけど、なんでわかったんだろう。


「にゃはははははは! ひー! はら、よこっぱらがっ、ひっ……っ!」

「ノーチェちゃん、ダメだよ、可哀想だよ! 教えてあげないと!」


 何故かノーチェは笑いながら床を転げ回っているし。


「びえええええええ!」


 狐人の子が今度こそわんわんと泣き出した、耳が痛い。


 何がどうなってるんだ。



「アリスちゃんは忘れてるんじゃなくてね、お名前を聞いてるだけ。私たちあなたのお名前ちゃんと聞いてないから、ね?」

「ひぐっ、ほ、ほんと、なのじゃ? わす、わすれ、わすれて、いじわる、でひっく」

「大丈夫だよ、アリスちゃんはそんな子じゃないから」


 フィリアがフォローして宥めている姿を見て、ようやくぼくが主語を口にしていなかったことを理解した。


「今日のアリスはいつになくキレッキレだったにゃ」

「ぼーっとしてるなーとはおもってた」

「見た目はいつもどおりにゃ」


 なんか酷いことを言われてるけど、取り敢えず置いておく。


「……泣かせちゃって、ごめんね?」

「ふぐっ、な、泣いてないのじゃ! じゃが、ちゃんと名乗ってなかったのはそうなのじゃ!」


 涙をぐしぐしと長い袖で拭って、狐人の子が腰に手を当てて胸を張る。


「わしはラオフェンの姫巫女『ルオイェン』が妹、名を『シャオリン』! 覚えておくのじゃ! 忘れるでないぞ……ぐすっ」

「……ぼくはアリス、よろしくね」

「スフィはね、スフィだよ!」

「私はフィリアっていうの」

「あたしはノーチェにゃ、こいつらのリーダーにゃ」

「うむ、うむ! よろしくしてやるのじゃ!」


 ついさっきまで耳もしっぽも縮こまって泣いていたのに、今は金色のしっぽがぶんぶんと振られている。


 なんというか、感情豊かな子だなぁ。

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