幽霊船には花束を
入院生活
「ぐおおおおお……」
誘拐騒動の翌日、ぼくは治療院での入院生活を余儀なくされていた。
中庭では暇を持て余したスフィとフィリアが訓練していて、それを騎士や他の獣人の子たちが見学している。
ぼくはそれを窓から眺めつつ、用意してもらった作業台である物を作っていた。
狐人の女の子に治癒してもらったおかげか、熱自体は39℃くらいまで下がっている。平熱が37.5℃くらいだから許容範囲。
そんなことを力説し、絶対に大人しくしてお姉ちゃんの言うことに素直に従うことを条件に昼間の作業を許してもらったのだ。
自覚はしていたものの、思っていたよりずっとぼくの体調は悪い。折角ごまかしていたのに、ベテランの治療師に旅なんて以ての外だと断言されてしまった。
そんなこんなで熱が下がるまで絶対安静を義務付けられたはいいものの、暇は持て余すわお金は目減りしていくわでどうにか出来ないかとずっと考えていたのだ。
自室療養の時にはこっそり作業していたのをスフィに見つかってしまったけど、今回は堂々と作業が出来る。
もちろん時間がかかったり大掛かりな作業が必要になる素材はマリナ錬師に頼んで用意してもらった。うまくいけば一口噛ませるという約束で。
「ぬおおおお……」
机の上に並べられているのは……まず柑橘系の果実から抽出したクエン酸。それから重曹、果実の濃縮シロップと薬草が何種類か。
作りたいのは一言で表現するなら『エナジードリンク』って呼ばれてる類いのもの。
前世では長期戦のゲームのお供、仕事前に愛飲してる傭兵の人もいた。
こっちのポーションとかは完全な薬品で、味は二の次だったりそもそも飲用を前提としてないものばかり。
ぼく自身が懐かしく思ったのもあって、折角時間があるのだから再現してみようと考えた。
アイデアについて相談した薬学部のマリナ錬師は興味ありそうだったし、錬金術師ギルドには缶詰を作る技術がある。
缶入りのエナジードリンク……ワンチャンある。
「おおおおお」
今朝お見舞いついでに届いたばかりの材料を瓶に入れて、まずはクエン酸と重曹と蒸留水で炭酸水を……。
「無視すんにゃぁぁ……!」
「朝からずっと何してるの」
「なんでずっと無視できるにゃ!!」
朝からずっと隣のベッドで唸り声をあげていたノーチェが唐突に理不尽なことを言い出した。
治癒のおかげで骨折はもうほぼ治りかけていてギプスは念の為。ノーチェの悲鳴は深刻な魔力枯渇による身体負荷によるもの。
症状は倦怠感、強い胸焼け、めまい、全身の筋肉痛。
「ぼくも氷穴でやったばかりだから、気持ちはわかる」
それに疲労と寒さによる体調不良とか合わさって結構たいへんだったんだよね。
「にゃに食わぬ顔で、おまえ……」
「そのうち慣れる」
「慣れたくにゃいぃ……」
こればっかりは、身体が魔力を充填するまで耐えるしかない。ゼルギア大陸の生物は生きるためにも魔力を必要としてる、なので枯渇すると全身の機能をフルに使って周囲のエーテルを取り込み、魔力へと急速変換するのだ。
その負荷が上記の症状となって現れるのは、急性魔力枯渇症。学術名は割愛する。
「一日寝てれば落ち着くよ」
「夜までこのままかにゃ……」
「明日の朝まで」
「サイアクにゃ!!」
魔力枯渇なんて普通にしてたらまず起こらないし、心配だったけど元気そうで良かった。
■
「ノーチェ、だいじょうぶ?」
「……じゃにゃい」
訓練から戻ってきたスフィがベッドの上で唸っているノーチェに心配そうに声をかけている。
スフィはフィリアだけじゃなく年上の獣人の子たちの相手もして、更には騎士を相手に1時間以上も大立ち回り。そこまで動き回っているのに、汗で髪の毛がしっとりしてる程度で息も乱れてない。
一緒に入院している獣人の女の子たちからも尊敬の視線を集めていた。"強さ"を尊ぶのは獣人の風習のようで、スフィはよく話しかけられている。
一方でぼくはかなりナメられているようだ。同じ治療院に入院しているはずなのに交流がない。
「もうすぐごはんだよ……アリスは何してるの?」
「食えにゃい……」
珍しく泣き言を漏らすノーチェを横にスフィがこっちにくる。わずかに汗の匂いがする。
「無理してない?」
「うん」
「……んーーー」
隣から作業台を覗き込んだスフィがぼくの額に手を当てて唸りはじめた。
さっき計ったときは39℃くらいだったけど、判断に困っているようだ。
「…………じー」
「昼間は寝付けないから」
じーって口に出して言わないで。
「わかった、何作ってたの?」
「飲み物」
作り方としてはポーションに近くて、薬草類を錬成でシロップに溶かしこんで炭酸水で割る形式。
シロップの方は香りと味を調整しながら取り敢えず10種類ほど完成している。
ちょうどいいので味見してもらおう。成分表を横に退けて声をかける。
「ちょっと味見してくれる?」
「いいよ!」
「フィリアも」
「…………」
「無理か」
ふらふらと部屋に戻ってくるなりベッドに突っ伏しているフィリアは、声をかけてもピクりともしない。
ノーチェならスフィのペースにもギリギリついていけるんだけど、フィリアにはまだ難しかったようだ。
「コンセプトは美味しい疲労回復ポーション」
「おいしいの? ポーション?」
まずは木のコップにシロップと水を注いで、一口分ずつサンプルを作る。
ふんふんと匂いを嗅いで不思議そうな表情をしたスフィが、左端のコップを手にとって口をつけた。
「んー……?」
首をひねりながら2つ、3つと飲み進めていくスフィ。6個目を超えたあたりであからさまに顔をしかめた。
「くしゃい」
「やっぱりちょっと強いか」
それ以降も一口だけ舐めてはくれたけど、味というより薬草の匂いが強すぎてダメのようだった。
「薬草のにおい?」
「うん」
「
「スーっとしすぎるかなって」
色んなポーションのベースに使われるアセリカは味で言うならミントを苦くしたものに近い。そのせいでアセリカを使った飲用薬が苦手な人も多いのだ。
「うんとね、ハスパルとルピーナがくしゃい」
「うーん、やっぱりそこかぁ」
ハスパルは花弁に眠気を覚ます効果のある白い花。ルピーナは海藻の一種で疲労回復や心臓や肝臓の機能を増進したり、免疫力を高める効力がある。
天日干しにしてエキスを抽出したルピ茶は二日酔いにも効くので、宴会翌日の風物詩だ。
どっちも効果は抜群なんだけど、独特な匂いがある。
大人なら我慢して飲むだろうけど、やっぱり子供だと辛いか。
「あとね、スフィはリンゴがすきだな」
「知ってる」
行商が来る毎におじいちゃんが買ってくれたリンゴの缶詰はスフィの好物だ。旅の途中だとバタバタしていたから買う機会もなかったけど……ここなら手に入るかな。
ここではいわゆるパッションフルーツが手に入りやすいからそれを中心に頼んだけど、リンゴのシロップも追加注文してもいいかも。
あとでマリナ錬師に相談してみよう。
「お礼」
「わぁ!」
比較的リンゴに近い果物のシロップを水で割ってスフィに手渡すと、匂いで気付いたのか嬉しそうに喉を鳴らして飲み干した。
最終的に炭酸と合わせることを考えると多少の風味は誤魔化せると思うけど……味わうんじゃなくて一気に飲み干すならアセリカの苦味やスーっとする感じはありかもしれない。
検討の余地あり……か。
「おねえちゃん」
「なあに?」
空っぽのコップを名残惜しそうに見ていたスフィに声をかけると、唇をぺろりと舐めあげてこちらを見た。
我ながら子供っぽいなと思うけど、ぼくがこう呼ぶのは甘える時。
ここ暫くはこういう甘え方はしなかったけど……まぁいいか。
「錬金術師ギルドで、アセリカと……リンゴの缶詰もらってきてくれる?」
「まかせて!」
元気いっぱいに手をあげたスフィにお金を預けて買い出しを頼むと、数時間に及ぶ激しい特訓を終えたばかりのスフィが全力で病室を飛び出していった。
遠くから走るなと叱る治療師と謝るスフィの声が聞こえてくる。
「うぅ……ううぅぅ……にゃぁぁ……」
「………………」
かくして穏やかな潮風が吹き込む病室には、屍だけが残されたのであった。
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