朝日は今日も水面を照らす
「おい! こっち下がってる、水が入ってきてるぞ!」
「こっちもだ、やばいぞ! 急げ!」
篝火の焚かれている港を目前にして、とうとう船にガタが来た。
ギチギチとはいえ、この大人数を乗せて港まで無事に運んできただけでもかなり凄いんだけど。
「バザール錬師」
「錬成で何とか持たせるんだ、港まで後少し、諸君らの錬金術師としての意地を見せる時だ」
「……荷重で、底の方から、ばきって音が」
「ぬぅ!? 『
応急処置を繰り返し、えっちらおっちら船は進む。
「アリス、どうしよう、スフィおよげない」
「あたしも泳げにゃいんだが!?」
「わ、わたしも……っ!」
残念ながら、ぼくたち全員泳げないので沈んだらそこで終わりだ。
「わしは泳げるのじゃ! どうじゃ!」
狐人の女の子が主張するけど、残念ながら状況は何も変わらない。
「あたしも泳げない……」
「私、泳げる」
他の獣人の子たちも半々な感じだ。まぁ仮に泳げたとしても……。
「海中、ねらってる」
「うむ、魔獣があつまってきておるのじゃ」
さっきから微妙に海の中の影が動いていて、近づいては離れてを繰り返している。
元が透明度高いからわかるけど……魔獣が子供の気配を感じて狙ってきてるみたいだ。
「落ちたら、くわれる」
「いざとなれば騎士が囮になろう……」
固い表情で言う面長の騎士隊長さんに、周囲の騎士たちが泣きそうな顔になった。
折角ここまできたんだから、誰も犠牲にならずにたどり着きたい。
■
「上がれ上がれ、急げ! もう割れてるぞ!」
船着場に接岸するなり騎士の数人が桟橋に飛び乗り、残った騎士たちがバケツリレーのような勢いで子供たちを船から降ろしていく。
ぼくも背後から脇を抱えられ、ぽーんと放り投げられる勢いで桟橋の上の騎士に投げ渡された。
「アリス待って!」
「うおっ!?」
大柄な騎士に受け止められるぼくを追い掛けてスフィがひとり船から飛び出してくる。大人に負けず劣らずの跳躍力に驚きの声をあげたのもつかの間、フィリアとノーチェも自力で飛び移ってきた。
「いっ……たあ!」
「ノーチェちゃん、大丈夫?」
右脚を押さえてうずくまるノーチェの背中を、フィリアが心配そうにさすった。
狐人の女の子の精霊術は肉体を活性化させて傷の治りや体力の回復を促進するものって話で、即座に完全に治るというわけではないらしい。
そういう意味ではポーションに近い効果なので、改めてすぐさま怪我を治せる光神の信仰魔術の強さを思い知る。
話を聞く限りでは循環器とか内臓系の疲労には効果抜群みたいだから、元々は病気の治療こそが本領なのだろう。
「どいてくれ!」
「おわぁ、沈みはじめてる!」
負傷者が桟橋にあげられて、最後に慌てた様子の錬金術師が脱出を終えた。
船は沈みこそしてないものの、あちこち割れて浸水がはじまっている。
「ギリギリだったな……」
「流石にこの人数は無茶ですって……」
「なにはともあれ、全員無事だったのは僥倖だな」
全員で安堵の溜息を付きながら、近づいてくる照明の方へと視線を向ける。
騎士の別部隊が松明片手にこちらに向かってきていた。
ようやく、無事に戻ってきた実感が湧いてきた。
■
応援にきた騎士に連れられて、ぼくたちは即座に治療院へ担ぎ込まれた。
ぼくは過労、ノーチェも打撲と骨折で一時入院。スフィたちもそれに付き添って同じ病室を使わせてくれることになった。
証人保護という名目の特別措置ってやつ。
実際に結構老舗の商会が裏にいるようで、暫くは騎士の警護付きで海辺の治療院生活が決定だ。
そんなわけで充てがわれた病室で一度は寝ようとしたものの、船を降りてから多少調子がよくなった影響か、戦闘による興奮か目が醒めた。
「…………ん」
いつの間にか一緒のベッドで寝ているスフィを起こさないように身体を起こして、ベッドから降りる。
対角にあるベッドではフィリアの兎耳がシーツから飛び出て揺れている。
ノーチェは……あれ、居ない。
窓から治療院の中庭を見ると、白みつつある空の下で海を眺めるノーチェの後ろ姿が見えた。
「シラタマ」
「チチッ」
小声でベッド脇で蹲っているシラタマに声をかける。目を開けたシラタマが雪になって崩れて、窓の外に大きいサイズで現れた。
「キュピ」
「ありがと」
お礼を言いながら窓から身を乗り出して背中に乗ると、砂をサクサク踏みしめながら海の見えるベンチへ向かう。
こっちに気付いたのか、左腕と右脚にギプスをつけたノーチェが三角の耳をぴくぴく動かして振り返った。
「ぜったいあんせーのやつが出歩いて、またスフィがキレるんじゃにゃいか?」
「寝れなかった」
「そっか、おんなじだにゃ」
暖かい潮風が髪を撫でる。シラタマの背中から直にベンチに降りて、一息つく。
「……うまくいかないよにゃあ、かっこよく助けに行きたかったのに」
珍しく弱気な言葉を吐くノーチェに、返せる言葉が見付からなかった。
「こんなんじゃ頼ってくれなんて、言えないよにゃ」
「……たよってるよ、いつも」
ぼくは助けて貰わないと生きていけない。スフィはもちろん、ノーチェにもフィリアにもいつだって助けられてるし、頼ってる。
「そうじゃねーよ。なんつーの? 今日みたいなピンチの時、おまえはひとりでなんとかしようとしてるにゃ」
「…………」
……わかってる。
「あたしたちがまだまだ弱いのはわかってるにゃ。でもあたしだって……スフィだって、フィリアだって、おまえひとりに任せて解決してよかった……なんて考えてにゃい」
「……わかってる」
「じゃあ、にゃんで今日! いっしょに戦えって言わなかったにゃ!? あたしらじゃ勝てなかったからか! でも勝ってみせたぞ! あたしは!」
「……わかってるよ」
ノーチェたちを弱いなんて思ったことはない、ぼくなんかよりずっと強いのなんてわかってる。
「こわかった」
「にゃ?」
「ぼくを守るために、大事な人が傷付くのが」
一緒に戦ってって言えば、きっとノーチェもスフィも、たぶんフィリアだって命がけで戦ってくれた。その結果どれだけボロボロになったとしても。
助けてって言えば、きっと助けるまで最大限頑張ってくれた。その結果命を失うことになったとしても。
これでも人を見る目には自信があるんだ。だから頼れなかった。
そうやって傷付くノーチェたちを見て、『誰でもいいからみんなを助けて』って願わずに、口に出さずにいられる自信がない。その言葉が何を引き起こすかわかっていても、きっと止められない。
対等な友達だからこそ切り分けられない、冷静さなんて保てない。
「スフィだけじゃない。ノーチェも、フィリアも大事なともだちだから、ぼくのために傷付いてほしくない」
「……おまえ、頭いいのにバカにゃ」
呆れたように言うノーチェが、頬をぐいっと引っ張った。
「あたしらのために無理して倒れるおまえを見て平気だとおもってるにゃ?」
「…………」
「あの氷の穴の時だって、寝てる間にぜんぶ終わってた。あとでおまえの無茶を知って、スフィのやつが青い顔してたのわかってるにゃ?」
「…………」
「……別にいいにゃ、あたしたちが弱いことは事実にゃ。でも勝ち目があるなら、それを手伝わせるくらいはさせてくれにゃ、盾くらいはやってやるから」
いつも守られる側だった。倒れる護衛を見捨てて、生きるために進む側だった。
だから仲間と一緒に残って戦えるようになれて嬉しいと思った。
武器を手に入れて、シラタマが力を貸してくれて。
守る側になったつもりで守られる側の辛さを考えていなかった。
自分が物語の主人公になったつもりで、みんなの気持ちを蔑ろにしていたと言われれば否定出来ない。
「今日だって、おまえならひとりの方が余裕で切り抜けられたかもしれにゃいし、邪魔だったかもしれにゃいけど……」
「そんなことない」
そこだけは、明確に違うって言い切れる。
「うれしかったし、心強かった」
誘拐されたときは自分ひとりで何とかしようって考えていた。
ノーチェの言う通り、切り抜けるだけならそんなに難しくはなかった。船の側面に穴を開けて、シラタマに乗って空を飛べばよかったんだから。
でも、それは結果論だ。もしかしたらぼくでも破れない牢や船があったかもしれないし、相手によっては逃げ切れなかったかもしれない。
想定外の事態なんていくらでも起こるんだから。
何よりもみんなが来てくれて、本当に心強かった。
拐われた時、自分で思っていたよりもずっと心細く感じていたんだ。
「……そっか、だったらこれからはもっとあたしらを頼るにゃ」
「……努力する」
「よし」
ノーチェの無事な右手が、くしゃくしゃと頭を撫でる。
その仕草が、どこかたいちょーと重なった。
『お前さ、外に出れたら何したい?』
『冒険とか? 旅』
『一番似つかわしくない単語が出てきたな』
『自由に外に出ること自体がハードル高すぎるしね』
昔、何気なく交わした会話を思い出す。
そうだった。当時唯一知ることが許された世界は、画面の向こうのゲーム世界だったから。その主人公たちに憧れたんだ。
記憶を取り戻してからずっと、生きるために必死で忘れてた。
いつか自由になれたら、やりたかったこと。
今のぼくはひとりじゃないんだ、だからちょっとずつでも変わっていこう。
いつか憧れた、画面の向こうの物語の主人公たちのように。みんなを頼って頼られて、旅路を仲間たちと一緒に歩いていけるように。
「お、朝日にゃ」
「……うん」
気付けば、水平線の向こうから太陽が顔を覗かせていた。
オレンジ色の光が雲を照らし、薄紫色の空を青く染めていく。
あの時も施設の屋上からこんな風に朝日を眺めていたっけ。
「ノーチェ」
「ん?」
「頼りにしてるよ、リーダー。スフィやフィリアも……同じくらい」
「……おう、任せとけにゃ」
最初の一歩を言葉にする。それが伝わってくれたのか、ノーチェが今日一番の嬉しそうな笑顔を見せた。
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