脱出

「かみなり……?」

「すごい音だったね……」


 朦朧としたままフィリアに背負われて船底を移動している途中、雷が落ちたような音が聞こえた。


 ぼくたちがさっきまで居た場所、ノーチェに何かあったのかもしれない。不安で胸が苦しい。


 ……やっぱり、守られる側は辛いなぁ。


「あ、はしごだ! つながってた!」

「うん」


 暫く歩くと、負傷した騎士たちが上へつながるハシゴの近くで待機しているのが見える。そこから少し離れたところで、獣人の子供たちが不安そうな音をさせている。


「どうだ?」

「……誰も居ないようです」

「エド、お前まだ戦えるか?」

「無理すりゃな」


 合流すると、比較的軽傷の騎士が先に上がることにしたようだ。幸いなことに動けないほどの重傷者はまだ出ていない。


「油断するなよ、そろそろ敵も必死だ」

「鈍器使われたら厄介だな……」


 騎士と衛兵のぼやきが聞こえる。騎士からすると短めのサーベルやナイフよりも鈍器を使われる方が厄介のようだ。


 まぁ高い船だし、うっかり壊さないために鈍器は避けたんだろうね。いくら錬金術で固めているといっても限度はある。


 鈍器で殴りつければ普通に凹むし、何度も殴ってれば割れてしまう。錬金術師としては打撃痕より刀傷の方が直しやすいし。


「さっきから気になってたんだが、ここだけ妙に広いよな?」

「荷物の積み下ろしのためじゃないか? 道みたいになってるし……」


 騎士たちの会話に聞き耳を立てている最中、後ろから聞き慣れた足音が聞こえて振り返る。


「わっ、アリスちゃんあぶないよ、落ちちゃう!」

「ごめ」


 バランスを崩しかけたフィリアに怒られて体勢を調えて、今度はゆっくりと後方を見た。


 暗がりの向こうから、ボロボロのノーチェが歩いてきた。


「ノーチェ!」

「ノーチェちゃん!」

「おーっすにゃ」


 顔が見える距離まで近づいたノーチェが気楽な様子で声をあげる。よかった、生きてる……無事ではなさそうだけど。


 見るからに顔色は悪く、左腕は力なく垂れ下がっていて。歩く時に右足をちょっと引きずっている。


「大丈夫だったの?」

「あ、あのおじさんは?」

「ふふん、ぶっ飛ばしてやったにゃ!」


 右手をあげてビシリとポーズを取ったノーチェが右足を踏みしめて、しっぽの毛を逆立て口端を引きつらせる。


「……の、ちぇ、脚」

「にゃ、ああ、おっさん蹴っ飛ばした時にちょっと痛めたにゃ」

「おれ、てる」

「うぇ、マジにゃ? なんでわかるにゃ?」


 踏みしめた時に骨の軋む音に混じってパキリと微かな破砕音が聞こえた。恐らく亀裂骨折……要するにヒビが入ってる。


「……腕、も」

「あぁ、こっちは自分でもわかるにゃ」


 動かしていないあたりかなり痛めてる。ぼくがもっと頑張れれば……。


「そんな顔すんにゃ、お前の無茶と同じにゃ」

「…………」


 フィリアに背負われるぼくの頭に手をのせて笑ってみせる姿が、たいちょーを思い出させる。


「なーに、後で覚醒したあたしの力を見せてやるにゃ。そしたら不安なんて吹っ飛ぶにゃ」

「なになに?」

「あとでにゃ!」


 興味津々なスフィとたぶんアドレナリンのせいでテンションがちょっとおかしいノーチェのやり取りを横目で眺めて、行き場のない感情を堪えるようにフィリアにぎゅっとしがみつく。


「アリスちゃん?」

「……ごめん」


 自分を守るために大事なものが傷ついていくのは……何度やっても慣れないな。



 上階の安全を確認した騎士たちに連れられて、船内を歩く。


「不服にゃ!」

「ノーチェもあんせい!」


 隣ではスフィに背負われることになったノーチェが不満の声をあげていた。元気そうなのは何よりだ。


「ふん、まったく怪我人ばっかりじゃな」


 すぐ後ろには狐人の女の子がぼやきながらついてくる。治癒能力を持つ精霊と契約しているみたいで、ついさっきまで負傷者の治療をしていた。


 今は水の魚みたいな精霊は背負われているノーチェの上に居て、光の粒を降らせて治療してくれている。ただ外傷の治療はあまり得意ではないみたいで、時間がかかるそうだ。


「ほんとはいかんのじゃが、大盤振る舞いじゃぞ、わかっておるのか」


 小声でぶつぶつ言っているけど、聞こえてないのか誰も反応してない。


 ぼくのことも治療してくれたみたいで、体調はかなりマシになっている。


 お礼は状況が落ち着いてからとして、今はこの状況をなんとか脱出しないと。


 ノーチェが言うにはあの着流しの男を倒した後、大人たちから先に逃げるように言われてきたようだけど。バザール錬師たちは大丈夫なんだろうか。


「すぐに甲板だ、がんばれ!」


 出てくる敵はまばらで、治療された騎士たちが苦もなく斬り倒していく。


 広がる血の匂いに気分が悪くなりながら、背中で揺られて階段を登る。


 階段の先にあった扉をくぐったら、月の昇った夜空が広がっていた。


 ほんとに海上だったのか。振り返ってみても街の明かりは見えない、かなり沖合まできているようだ。


「小舟を下ろせ!」

「夜の海だぞ、大丈夫なのか!?」


 甲板に設置されてる小舟を下ろそうとしている騎士たちを遠目に見る。


 小舟は全部で4隻、この人数ならギリギリ乗れる……のかな?


 ただそこまで距離が離れてないとはいえ、夜の海を超えるのにはちょっと不安だ。


「少し待ちたまえ!」


 そうしているうちに、船内に続く扉から誰かが飛び出した。


「バザール錬師」

「おぉ、みんな無事のようだな……そこの小舟をこちらに! 事情はやりながら話す!」


 バザール錬師に続いて他の錬金術師たちも姿を現す。みんな怪我しているけど1人を除いて何とか動けるみたいだ。


 その1人はお腹を押さえて、別の錬金術師の肩を借りている。


「だいじょうぶ、なの?」

「あぁ、趨勢はこちらに傾いた。猫人フェリシアンの少女が頑張ってくれたおかげだ。我々は脱出の準備のためにいち早く離れたのだ」

「へへ……」


 甲板で座って治療を受けていたノーチェがちょっと照れている。


「大口をたたいて何もせずでは示しがつかん、お前達、まだやれるな?」

「……これはコート材じゃないみたいですけど、俺たち造船は専門外ですよ?」

「すんません、俺、肋骨折れてます……」

「あちらで休んでいなさい。指示は俺が出す、3人でやるぞ! 騎士たちも手伝ってくれ」


 バザール錬師の指示のもと、手すきの騎士たちが甲板に置かれた資材をかき集める。


 それを錬金術師たちが錬金術を駆使して木材に加工し、小舟をベースに新しい船を作り上げていく。


 時間にして30分少々。


 全員を乗せきれるか不安のあった4隻の小舟は、あっという間に1隻のそれなりに立派な手漕ぎ船へと変貌を遂げた。


 さすがは造船の専門家と港町の錬金術師というべきか。


「すげぇにゃ……」

「応急ではあるが港までなら持つだろう。アリス錬師、働かせてしまってすまないが、適当なコート材で矢避けを作れないだろうか」

「『錬成フォージング』」

「素晴らしい」


 適当に近くの甲板を引っ剥がして板状にすると、バザール錬師たちはそれを持って船に屋根をつけた。


 それが数人がかりで甲板から海へと落とされて、海面が飛沫をあげる。


「おー、おふねだ」

「新しい船ができちゃった」

「突入したときはおっさん達役にたつのかと思ったけどにゃ、こうしてみると錬金術師ってやべぇにゃ……アリスも出来るにゃ?」

「ぼくなら、イカダが、精一杯」


 ひとりだけならいくらでも脱出できるけど、この人数を乗せて海上を運べる船なんて作れない。船舶に関する設計技術なんて無いし。


「あとは……と、丁度来たようだ」

「ロイ! しっかりしろ! あと少しだ!」


 船倉から残っていた騎士たちが次々と脱出してくる。その中に胸から腹部にかけての刀傷から出血している騎士が居た。


 仲間たちに肩を借りてでてくる騎士の顔色は悪い。


「頼む! 治療してやってくれ!」


 涙ながらに訴える仲間たちに連れられて、ロイと呼ばれている青年の騎士が甲板に寝かされた。


「……妻に……ちゃんとプロポーズするって約束……守れなくて、ごめんって」

「ロイしっかりしろ、自分で伝えるんだよ!」


 近くに寝かされたので、すぐに応急処置に入った錬金術師の肩越しに傷を見てみる。


 …………これは、ええっと。


「産まれてくる、子供の名前は……」

「ロイ! しっかりしろ! ロイ!」

「……軽傷、皮一枚切れただけだ。鎧と日頃の訓練に感謝だな」


 うん、内臓どころか筋膜すら届いてない感じ、血も止まりかけてるし。相手の剣の質が悪くて鎧がしっかりしていたのが要因だろう。


 というか介抱してる人の方が手足の打撲と刀傷が酷い。


「…………」

「…………」


 途端に気まずそうな空気を醸し出す騎士たちが、他の元気な騎士に背負われてさっさと船へ運ばれていく。


 他にも重傷者は居るけど、少なくとも味方側の未帰還者や死者は出てないようだ。


 ……本当に良かった、傷は治せるけど命は取り返しがつかない。


「さ、君たちも急いで」

「うん、いくよアリス!」


 言われるや否や、休んでいたぼくをスフィが担いで甲板からロープで降りる。


 無事に全員が乗り込んだところで、ロープを切って船が出る。


「漕げ! 漕げ!」

「どういう仕組なんだこれ」

「これはね、帝国で開発された新型の推進機関で……」


 手でハンドルを回すとスクリューが回転する仕組みを搭載しているようだ。大の男数人がかりの手漕ぎだけど、その分速い。


 割と趣味に走っている気はしなくもないけど、手漕ぎスクリューにした理由はわかる。


「ぎゅうぎゅう……」

「せまい……あせくさい……きもちわるい……」


 半分は子供とはいえ、30人近い人間をぎゅうぎゅうに詰め込んでいるせいですんごい狭いのだ。オールを漕ぐだけのスペースがない。


「港の方角は?」

「あっちですね」


 羅針盤とコンパス片手に錬金術師がナビゲートし、船は夜の海を加速していく。照明は月明かりと小さな松明頼りだ。


「待てっ! 貴様ら! よくも……」

「ウィゲルさんまずいです! 操舵がいなかったせいで大分風に流されて……」

「あぁっ! 帆に穴が!」


 遠ざかっていく船から騒々しい声が聞こえて、矢が射掛けられる。


 だけど矢避けのおかげで直撃はせずに済み、騎士の誰かが妨害工作をしていたのか。あちらの動きは鈍い。あっという間に見えなくなった。


「って、このあたり岩礁地帯じゃないですか!」

「舵取り、気をつけたまえ!」

「任せてください、親は漁師っすよ!」


 それから、狭いのを我慢して1時間と少し。


 汗だくになりながら騎士たちが漕いでくれたおかげで、思ったよりずっと早く港の明かりが見えてきたのだった。

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