├疾風迅雷


 涙でぼやけるノーチェの視界の先。振り返ったゲンテツの表情が驚愕に彩られている。


 身体も動かず、さっきまで離れていく一方だった男。それが突然目の前に現れたことにノーチェは驚きながらも咄嗟に拳で殴りつける。


 暗い船倉の中に、翠緑の雷が迸った。



「にゃん……だ?」

「ぐうっ!」


 両腕で防御したゲンテツが飛ばされる勢いで穴を乗り越え、向こう側の床に着地する。


 弾ける緑の光が雷のように腕の周りを走り、構えなおそうとするゲンテツの腕が不自然に震えた。


「まぁ、そりゃ加護持ちだよな……羨ましいことこの上ないね」

「加護にゃ? これが?」


 自分の手を呆然と見つめるノーチェに対して、ゲンテツは呆れたように肩をすくめる。


 生まれ持った異能、あるいは神から授かった力。人々はそれらをまとめて加護と呼ぶ。生まれ持った強者なら大体が持っているその力を、これほどの逸材が加護を宿していないことのほうが不自然とも言える。


「ガキの成長ってのは早すぎて嫌になるねぇ」

「……ガアアアア!」


 ノーチェには不思議と力の使い方がわかった。自分の願いに呼応するように内側から湧き出してくる力が、手を取るように扱い方を教えてくれているようだった。


 踏み出すたび、殴りつけるたび、翠緑の雷光が手足で弾ける。


 加護が目覚めた所で、直接の打ち合いで勝てると思うほどノーチェはうぬぼれていない。一撃放って距離を取り、再び部屋の中を駆け回って撹乱するのを繰り返す。


 力の扱いに慣れてくるにつれて、その動きは際限無く加速していく。


「なんつー速さだよ!」


 翠緑の雷光を残して走り回るノーチェは、ゲンテツをして跳ね回る雷と見紛うほどだった。


 更に迸る魔力光は雷の特性を宿している。触れるだけで痺れて動きが鈍る攻撃は、並の使い手であればとっくに地に伏しているだろう。


 それでもまだ、実力差は埋められない。


「フシャア!」

「セイッ!」


 途中で拾ったナイフによる突き。迷いのない一撃だと内心で称賛しながら、ゲンテツは刀身に向けて横合いに左腕で掌打を放つ。


 甲高い音と共に、ナイフの刃が折れて飛んだ。


「にゃっ!?」

「シッ!」

「ぅギャッ!」


 折れた刃先を一瞬で目で追ってしまったノーチェの反応が遅れた。


 素早く飛んでくる右腕の2度の連撃。1撃目を自由になっていた左腕で防いだが、2撃目は間に合わなかった。


 腕と肋骨がミシリと嫌な音を立てた。


 打撃で直線的なジャンプを止められ、ノーチェの身体が床に落ちる。一瞬前まで頭のあった位置を、ゲンテツの左腕の打撃が通過した。


 柄だけになったナイフをゲンテツに向けて投げつけて、ノーチェはバックステップを繰り返して距離を取る。


 そして胸を押さえながら床に這いつくばり、悔しそうにゲンテツを見上げた。


「ふぐ……ぅぅ!」

「……小さいのは拳じゃやり辛いねぇ」


 どこか楽しそうに口にするゲンテツの拳が不自然に震える。


「……ちくしょう」


 ノーチェの中で目覚めた力は、魔力を燃料に発生させた雷を操る加護。一時的な身体強化に攻撃力の上乗せと応用範囲が広く強力なもの。


 それらを駆使してもまだ届かない。


「もっとにゃ、もっと……」


 ノーチェの全身から翠緑の魔力光が溢れ出した。弾けるような音を立てて雷が迸る。自分の中の魔力をすべて雷に変換していく。


「あんまり無理すると、後がきついぜ」

「ざけんにゃ!」


 敵の癖に心配するような言葉をかけるゲンテツを、ノーチェはにらみつける。


「一番小さくてよええのがッ、あんだけ無理してんのに! ここで根性みせにゃくて、何がリーダーにゃ!」

「そうかい、じゃあもっと気張んな」


 再び右腕を突き出す構えを取ったゲンテツが、容赦なく武技『空拳』を放つ。威力も鋭さも段違いの本気で倒すための攻撃だ。


「シィッ! フシャアアア!」


 ノーチェは毛を逆立てて、飛んでくる衝撃の拳を横に飛んで回避し続ける。


「もっと! もっと!」


 身体の中を循環する魔力を全て雷に変換してなお、まだ足りない。


 ここで倒れればおそらく次はない。だから躊躇はなかった。


 心臓から血液を絞り出すように、身体の中で作られる魔力を端から使う。精神が軋む独特な感覚に喉から勝手に悲鳴が漏れた。


「うあああああ!」

「そら行くぞ、『乱撃らんげき』! 『爆拳ばっけん』!」


 逃げ回るノーチェにステップで距離を詰め、ゲンテツは容赦なく拳を振り下ろす。右手の牽制に引っかかれば左手から広範囲の衝撃波が放たれる。


 地面スレスレまで身体を屈めて避けたノーチェの手前で、続けざまに放たれた右腕の最大威力が炸裂し床板を砕いた。


「がっ……!」


 衝撃で吹き飛ばされたノーチェが床を転がった末に壁に叩きつけられる。


 即座に追いかけるゲンテツの拳が眼前に迫った所で、咄嗟に爪を壁に引っ掛けて強引に身体を動かす。


 ドシンと重い音が壁を軋ませた。


「どうした、仲間を守ると息巻いてこんなんで終わりか? そりゃ情けねぇだろ、なぁリーダーさんよ」

「う、ぐぅぅ……!」


 追撃を避けたものの、床に転がって動けないノーチェをゲンテツの脚が蹴り上げた。軽い身体は簡単に宙に浮かび、重力に任せて床に叩きつけられて埃が舞い上がる。


「俺はまだ一撃もまともに食らってねぇぞ、どうした。さっさと立ちやがれ。立てねぇなら死ね!」

「ぐっ!」


 打ち下ろされる拳が床板を揺らす。何とか転がって避けたノーチェは左腕を押さえながらフラフラと立ち上がる。


 見るからにボロボロになって、それでもなおその瞳の闘志は萎えていない。


「おっさんの、言う、とおりにゃ」


 目の前の男は強い。しかしそれ以上の強者がこの世界には沢山居る。


 アリスたちと出会った街で遭遇した禍々しい鼬の魔物も、フォーリンゲンでアリスを狙ってきた不気味な騎士もそうだ。


 もし再びあれが襲ってきて、助けてくれる強い大人が周囲にいなかったとして。その時自分はどうするのか、自暴自棄の無駄死にか、それともまたアリスに頼るのか。


 逃げるくらいなら一緒に死ぬとまで言う、病弱な末っ子にあんな無茶をさせていいのか。


「あたしは、情けにゃいやつだった」


 違うだろう。そんなのはノーチェにとって正しい生き方じゃない。


「こんなところで、おっさん、"ごときに"!」


 逃げ回り迫害される辛い生活で萎えていた、それでも守り続けた母から受け継いだ小さな誇りの火が。


「倒されてる、ばあいじゃねーんだよ、あたしは!」


 再び、燃え始めていた。


「来い」

「シャアアアアアッ!」


 雷をほとばしらせて、ノーチェは走る。


 後のことはいい。スフィが居る、フィリアが居る、アリスだって居る。戦える……戦って"くれる"大人たちが居る。


 こいつさえ抑えれば、あとは"仲間"がなんとか出来る。


 いま一番強いこいつを倒す。それがノーチェが決めた、リーダーとしてやるべきことだった。


「オオオオ!」

「シャアアア!」


 高速で立ち位置を変えながら放たれる拳は才能頼りの喧嘩技ではない。確実に急所を狙って放たれる本気の一撃。


 ゲンテツはその全てを受けて、流し、時折反撃まで入れてくる。腕、肩、脇腹に走る鈍い痛みを無視してノーチェは果敢に攻めていく。


 雷光迸る拳の応酬の中、ゲンテツの腕が一瞬止まる。


「グッ!?」

「フシャアアアアアアアアッ!!」


 その一瞬を見逃さず、ノーチェの拳がゲンテツの腹部に突き刺さる。真剣だった表情が苦痛に歪んだ。


 ゲンテツの呼吸が妨げられて更に動きがにぶる、守りの要である練気が乱れる。


 ここぞとばかりに、ノーチェの全てを出し尽くすような蹴りと拳の乱舞が叩き込まれる。


 右腕がゲンテツの腹筋を打ち、細い脚の見た目にそぐわぬ重い蹴りが首を叩いて脳を揺らす。船倉の中では翠緑の光が迸るたびゴロゴロと雷のような重低音が響く。


 雷をまとった乱打に耐え切れず膝をついたゲンテツに向かってノーチェが飛び上がった。空中で身体をひねり、右足に全ての雷を集めて真下に向かって蹴り下ろす。


「トール、ハンマァァァァァ!」


 翠緑の魔力光が爆発し、耳をつんざくような雷鳴が轟いた。



 床板が粉砕され、壊れた瓦礫とともにノーチェとゲンテツは船底へと落ちてしまった。


「……負けちまったな」


 暗い船底の瓦礫の山の上、大の字で天井を見上げて寝そべるゲンテツは敗北を認めたのか、動く気配もない。


 近くに居たノーチェは適当な瓦礫に腰掛けながら、ゲンテツを振り返る。


「なぁ、おっちゃん」

「…………」

「なんで、手抜いたにゃ?」


 ノーチェの子供らしい無遠慮な質問に、ゲンテツは何かを噛みしめるように静かに目を閉じた。


「……色々あんのさ、大人には」

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