├譲れない一線
「この規模の船であれば避難用の小舟があるはずだ」
「他の賊共と合流されたら手に負えんぞ」
「ここらへんの資材全部集めてバリケードを」
「またあの変な格好の男が来たら……」
慌ただしく動く大人たちを眺めながら、子供たちは騎士に連れられて船底に通じる穴へと降りていく。
「ス、フィ」
「アリス、無理しないで、みんながんばってるから」
他の獣人の子供が脱出した後も、ノーチェたち4人と狐人の少女は穴の近くでアリスを回復させていた。
アリスは覚醒して動こうとしては、度々スフィになだめられてまた気を失うという行為を繰り返している。
「根性ありすぎなのじゃ……のうシャルラート」
「…………!」
「チピッ! チュリリ!」
狐人の少女が呼び出した水の魚のような精霊シャルラートは、疲労と怪我を癒やす治癒の力をアリスに使っている。その最中に隙を見てはアリスに接触しようとしてシラタマに妨害されるのを繰り返している。
「おぬしらさっきから何をやっておるのじゃ?」
一見すると治癒の邪魔をしているようだが、実態としては全く違うことが狐人の少女にはわかっている。しかし精霊の気持ちを感じ取れるからこそ、余計に意味がわからなくなっていた。
シラタマは治癒の邪魔をしておらず、ただ別の精霊がアリスに接触しようとするのを阻止している。
シャルラートは治癒を行いながら、何とかしてアリスと接触しようとしている。
やりとりだけなら険悪に見えるが、シャルラートは「ひとりじめしてずるい!」と主張している。対するシラタマは時折シャルラートを見ながら狐人の少女を羽で示し、警告音を発する。
まるで幼児が母親や家族の横を取り合うような光景に、狐人の少女は困惑を隠せない。
狐人の少女は精霊信仰の影響がある文化圏では『愛し子』と呼ばれる、生まれ付き精霊に好かれやすい体質。その彼女をしても、ここまで精霊に好かれている人間は初めて見た。
まして霊水の精霊王シャルラートは非常に気難しく人間を嫌っている。祖国で呼び出しても、自分から他者に近づくことはなかった。
「ええい、喧嘩は後でやるのじゃ、病人のそばでやるでない!」
ひとまず思考を切り替えた狐人の少女が一喝する。彼女とて故国では希少な治癒能力を持つ精霊の契約者として、数々の怪我人や病人を癒やしてきた身の上。
契約主の本気を感じ取ったシャルラートはようやく諦め、少女の肩の上へと移動する。
それを見送ったシラタマが勝ち誇ったように胸をそらしてから、アリスの肩へ戻っていった。
「……!!」
「きりが無いわ! それにおぬしはわしの契約精霊じゃろ!?」
トゲトゲの背びれを出現させて突っ込もうとしたシャルラートだったが、契約主の言葉に渋々矛を収めて戻る。自分だけに好意を見せてくれた精霊の行動に、狐人の少女は少し涙目だった。
シャルラートの方も別に鞍替えするつもりなどなく、慰めるように少女の目尻に浮かんだ涙を拭った。
「アリスちゃん、ほんと精霊に好かれるんだね……」
「うん」
「やっぱりおかしな子なのじゃ……」
アリスの容体も少しずつ落ち着きはじめ、どことなく和んだ空気が流れる。
「さ、次は君たちだ、今のうちに」
それを見て取ったのか、無事だった騎士のひとりがノーチェ達に声をかける。
「う、うん……おじさんたちは」
「後ですぐに追いかける、さ、敵が来る前に……」
「わかったにゃ、フィリア先に降りるにゃ」
「うん」
心配させないように努めて穏やかな表情を作る騎士に促されて移動がはじまる。
フィリアが先に穴から降りて、スフィと狐人の少女が抱えながらアリスを足先からゆっくり降ろす。騎士が手を貸そうと腕を伸ばした瞬間、扉の近くで警戒していたひとりが叫んだ。
「扉から離れろ!」
今度はバリケードごと扉が切り裂かれるが、事前に警戒していた騎士と戦闘錬金術師は即座に距離を取ることで巻き添えを回避した。
開かれた先は階段になっていて、ウィゲルとゲンテツが率いる賊たちが室内になだれ込んでくる。
「やってくれたが、次は逃がさんぞ」
「総員戦闘準備! もはや捕縛など考えるな!」
「やれやれ、久しぶりの実戦がここまで激戦となるとは、人生とはわからんものだ」
立ち並ぶ強者ふたりを前に、騎士たちも緊張を隠せない。
「手が足らんな」
「仕方あるまい、誰かひとりアリス練師についてやれ……支部長命令だ」
「……ご武運を」
ローブを翻し穴の方へと駆ける錬金術師を背に庇うように、敵の前にバザールとランナルが立ちはだかる。表情は固く、しかし怯えてはいなかった。
「ガキどもを逃がすな! ゲンテツ! 挽回しろ!」
「ま、努力はしてみますかね」
上半身を落とし込む前傾姿勢でゲンテツが駆ける、反応の遅れた騎士たちの間をすり抜け、穴から降りようとしてるノーチェたちの元へ。
「させるっ……ぐおっ!?」
「悪いね」
盾になろうと剣を構えた騎士ふたりの胸元に、残像を残して拳が吸い込まれる。
鈍い音がして、剣を取り落した騎士が膝をついて崩折れた。
「『錬成』!」
「おっと」
横合いから戦闘錬金術師が振り下ろした鉄の棒を、後ろに下がって避ける。追いかけるように横に向かう棒の途中が刃に変わった。
「くっ」
「悪くはないぜ」
手甲で刃を受けて、空いている手でつかみ棒をひねる。堪え切れず一回転させられた錬金術師は咄嗟に両手両足で床に着地し、強化した右足で足払いをかける。
「なるほど、つええな」
「チィッ! 『錬成』」
脚をあげて回避したゲンテツに、錬金術師の掌底が迫る。指につけた金属の指輪が黄土色の光を放って棘のように伸びる。
「ゼヤァァ!」
まるで暗器による一撃。当然のようにそれを回避し、ついでに背後から斬りかかってきた騎士の振り下ろしを着物を翻して避けた。
挑むふたりの男にまっすぐ向けられたゲンテツの拳が、まるで何かを解き放つように開かれる。
「『
「ぐっ!」
「うわぁぁ!」
「ふぅ……さて」
ものの数秒で周辺を片付けたゲンテツが見下ろす先には、まだ穴を降りれていないノーチェたちがいた。
■
「……し、ら」
「スフィ、シラタマ! アリスを連れて先に行くにゃ」
まだ朦朧としたままシラタマに指示を出そうとするアリスを制してノーチェが叫んだ。
「でもッ!」
「の、ちぇ」
「あたしがリーダー、だろ? それに……あたしにだって意地ってやつがあるにゃ」
少し震える声に震える手足。いつかと似たような状況で、しかしその瞳は以前より強く燃えていた。
「……お前らと旅できて楽しかったにゃ、もっと旅したいにゃ。だからさ、ここであたしが戦わなきゃいけねーんだ」
ずっと胸にもやもやを抱えていた。暗い檻で倒れているアリスを見てから、自分に何が出来るのかと考えていた。
「む、り」
「わかってるにゃ、そんなこと。でも、ここがあたしの……えっと、譲れない一線ってやつにゃ」
アリスの言葉を貰い受けて、ノーチェはニヤリと笑う。やると決めたら、もう震えは止まっていた。
「あたしだって、おまえらに頼ってもらえるリーダーになりたいにゃ……だから、ここはあたしに任せるにゃ!」
「のー……」
「……わかった、フィリアいそいで! 狐のひともすぐ降りて」
「待て、押すな! おちるのじゃ! 落ち……のじゃあああ!?」
引っ張られた狐人の少女が穴の底でシャルラートに受け止められて水音をさせてから、スフィもアリスを抱きしめて飛び降りる。
いつの間にか球状に積もっていた雪の上に着地したスフィが穴の上を見上げる。
「ノーチェ、あとで合流……ぜったいだよ!」
「ノーチェちゃん、絶対無理しないで!」
「おう!」
船底を走っていく仲間を見送ってから、ノーチェは視線を正面へ向ける。
何故か自分たちのやり取りを見守るように待っていたゲンテツへと。
「待っててくれてあんがとにゃ、おっちゃん」
「言っとくが、昼みたいに手加減はしないぜ」
「んなこと、期待してないにゃ」
腰に佩いたアリス製のナイフを引き抜き、右手にもって構える。
「そうかい」
「ッ!」
するりと踏み込んだゲンテツの拳を、ノーチェは反射的に後ろに飛んで回避した。空振りになった拳が何もない空間を打つ。
「『
「ニャッ!」
同時に聞こえた声に、ノーチェは咄嗟に身体を捻った。頬を掠めるように放たれた武技が黒い髪の毛を跳ね上げ、後ろに積み上げられた箱の一部を砕いた。
「こいつがこの技の真骨頂ってわけだ」
「ぐっ」
受け身をとって立ち上がったノーチェの眉が顰められる。ギルドやシスターから習った『練気』の技術を改めて思い出しながら、地面スレスレを駆け出した。
血に乗せて流れるように魔力を動かす、今強化したいところから次に強化したいところへ。竜宮で名付けられて発展した身体強化術『練気』は、今やどこでも当たり前のように取り入れられている武術の基礎だ。
騎士たちが目を瞠るほど滑らかな練気を見せ、素早く靭やかにノーチェは駆ける。男の放つ拳を避け、正面から死角へ飛び込むように潜り込んだ。
刹那の間もおかず、飛びあがるための脚から仕留めるための腕へと魔力が流れる。細い腕が筋肉の軋む音をさせながら、ナイフをゲンテツの首元へと振り下ろした。
身体強化術に最も適した獣人の血と彼女の才能が、熟練の武芸者に近い『練気』を可能にさせている。
「……惜しいな」
「ガッ……」
それでもなお、目の前の男には届かない。
振り返ることもなく身体をずらされてナイフは空振り、腕を引き戻す前に脇腹に衝撃を受けて地面を転がる。
何とか受け身を取って起き上がったノーチェは、一瞬遅れてきた痛みに息を吐こうとして自分が呼吸できていないことに気付いた。
「か、ヒュ」
「肺を打った、大人しくしとけ」
全力で挑んだ、殺すつもりで挑んだ。しかし相手は本気を出すまでもなくほんの一撃。
「何をしている! 早く半獣共を捕らえろ、大切な商品だ殺すなよ!」
酸素を求めて口を開きながら、腹を押さえてうずくまるノーチェの耳に聞こえてくるのは曲刀使いウィゲルの耳障りな声。
飛びかけた意識の中、今よりもっと小さい頃に大陸西方で偶然見かけた奴隷獣人の姿が浮かぶ。
死んだような目をして人間の商人に引きずられていた子供たち。それなりに同情はしたが、何もできなかった。
その子供たちの姿が仲間と重なる。
ひとりで寂しさに苦しんでいたところに現れて、黒い髪の自分を受け入れてくれた友人たち。いっそ死んでしまいたいという、ずっとつきまとっていた暗い気持ちを消し去ってくれた。
「ふぃ、リア……」
臆病な兎人。黒髪を怖がっていたくせに、それを押し隠して側にいてくれた。
「ス、フィ」
フィリアが連れてきた変わった双子の姉。最初は生意気なガキだと気に入らなくて仕方なかったのに、気付けば気の置けない友人になっていた。
「……アリス」
双子の妹。尋常じゃないくらい身体が弱くて手のかかる妹分。綺麗な服を着せればお姫様のような見た目のくせに一番破天荒で、予想外のことをする面白い子。
涙でぼやけた視界の向こうで、ゲンテツが穴へと降りようとしている。
ノーチェは大切なものを"失う"辛さは知っているつもりだった。しかし、目の前で"奪われる"辛さは知らなかった。
手の届く距離で、ただ自分の力不足が原因で奪われる。
あと少し強ければ、あと少し速ければ、あと少し、あと少し……。後悔ばかりが胸に溢れる。
ノーチェは生まれて初めて本気で強くなりたいと願いながら、男の背中へ手をのばす。
ぼやけた視界と耳鳴りの中で、雷鳴が轟いた。
今度は、ハッキリと。
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