├ラオフェンの巫女
薄暗い倉庫の中に、錬金術師の手にする照明器具の光が灯る。
「うぅ……」
「ぐすっ……ひっく」
照らし出される自分たちの状況を見て、バザールとランナルは同時に深い溜息を吐いた。
数を覆せるような強者は本来はもっと要職に据えられる。
パナディア王国であれば剣士ウィゲルは隊長クラス、ゲンテツならば騎士団の指南役を任されていても不思議じゃない。
それほどの強者がふたりもいるなど、想定外も良いところだった。
「あの男が目撃者の少女が言っていたという武芸者だというのか? 報告と全く違うではないか!」
「は、はぁ……」
部下を怒鳴りつけるランナルだったが、無理もない話だった。
『目撃者である幼い少女が、凄く強い男がいて勝てなかったと言っている』という報告を受け取った騎士からランナルに伝わった情報は、『Fランクの見習いの獣人少女が敗北した』というもの。
攻め込んだ時に想定していた戦力とはあまりにも違う。下手すれば全滅すらあり得た。
騎士たちの焦りと士気の低下は隠しきれず、救助された子供たちもあてられて泣きじゃくっていた。
「ランナル殿、やれそうか?」
「無理だ、俺の実力ではあの剣士を抑えるので精一杯。あの武芸者は手に負えん」
敵の強者はふたりで船は海の上。この中で一番戦闘力が高いランナルをして、状況は絶望的だった。
「アリス!?」
そんな彼等の会話を、スフィのあげた悲鳴に近い声が遮った。
「おい、無理するにゃって」
「…………」
パチパチと薄紫が混じった白金の光がスパークし、床に穴が空いていく。船底に繋がる道は逃げ場として作られている。
それを行っているのは倉庫に駆け込むなり意識を失い、仲間に介抱されていたアリス。
「アリス!」
「アリス練師、無理は……!?」
「……もう、だれ、も」
スフィに抱えられているアリスを諌めようとしたバザールは、アリスが気絶と覚醒を繰り返しながら錬金術を使っていることに気付いて絶句した。
「…………」
今までの無理が噴き出すように額から汗が流れ落ち、カクリと糸が切れたように力が抜けたと思いきや数秒もすれば震える手を伸ばして錬金術で穴を広げる。
意識すらまともに保てない状態で繊細かつ緻密な作業を行う技術。その異常性を覆い隠すほどの痛々しい姿。
「もう、無理しないでよぉ……」
普段ならば絶対に反応する姉の泣き声でも止まらず、アリスは無理矢理の錬金術を続ける。
ぶつぶつと意味をなさない譫言を繰り返すアリスを見つめて、ノーチェは何かを堪えるように歯を食いしばっていた。
「う、うぅ……ん? はれ、わしどうしてたのじゃ?」
「……一緒に地面に伏せたとき、背中ぶつけて気を失ってたみたい」
そこから少し離れた場所で寝かされている狐人の少女が目を覚ます。側についていたフィリアが質問に答えながらも、悲痛そうな表情でアリスを見ていた。
「どうしたのじゃ?」
「アリスちゃん、すごく体調悪いのに無理してるの……」
「……うむぅ、見るからに尋常じゃないのじゃ」
何かを考えるような仕草をした狐人の少女は、意を決したように立ち上がるとアリスの元へと歩き出す。
泣き腫らした顔で自分を見上げるスフィと、明らかに顔色が悪いアリス。ふたりを見下ろした狐人の少女は、目尻に涙を浮かべながら膝をついた。
「さっきは、その、やりそびれたが。檻から出してもらった恩は返すのじゃ」
「…………?」
鼻を啜りながら何も答えないスフィにぎこちなく笑みを作ると、狐人の少女が胸の前で複雑に指を組んだ。
「汝の名は麗しきせせらぎ、癒やし慰めるもの、霊水の管理者、我らが縁と結びし約定に従い、我が元へきたれ盟友! 『シャルラート』!」
水の粒が集まり、狐人の少女の目の前で長い尾ひれをもつ魚のような形を作る。姿を現した水でできた魚は、狐人の少女の頬に口づけをして目の前でくるりと回った。
「ラオフェンの精霊術使い……まさか巫女か?」
「うむ……シャルラート、その子を癒やしてやるのじゃ」
言われるなり、心得たとばかりに水の魚。シャルラートがもがくアリスの真上で円を描くように泳ぎ始める。水色の光が溢れるようにアリスの小さな身体に降り注ぎ、荒かった呼吸が少しずつ落ち着いていく。
「アリス! 大丈夫!?」
「本来は、親しいもの以外にやってはならぬと言われておるが、特別じゃぞ!」
胸を張る狐人の少女の言葉を気にもとめず、スフィはアリスの額に手を当てる。異常を感じるほどに高かった熱は、一般的な高熱にまで治まっている。
「お熱おちついてる……ありがと、ありがとう、ぐすっ」
「う、うむ、感謝せよ!」
妹の様態が落ち着いたのを確認したスフィに泣きながらお礼を言われて、なぜか狐人の少女がうろたえる。
「アリス、大丈夫なのにゃ?」
「わしは医者ではないから何ともいえん、ひとまず癒やしの術を使っただけなのじゃ。もし病気ならちょっと具合が良くなるだけで治らないじゃろう」
「そうかにゃ……」
ノーチェの問いかけに真面目な顔で答える狐人の少女。聞かされた答えに、複雑そうな顔のままノーチェは頷いた。
「治療担当の錬金術師の見立てでは何か病があるわけではなく、生まれ付き内臓が弱いのだろうとのことだ。正直治療している余裕がなかったので助かったよ、巫女殿。我々からも礼を言わせて貰う」
「う、うむ、まぁ礼代わりなのじゃ……ぬ、シャルラート!?」
誤魔化すように自らの精霊を視線で追った狐人の少女が、自分の精霊が寝ているアリスの額に身体を擦り寄せようとして横から出てきた白くて小さい丸い鳥……シラタマに蹴り飛ばされるのを目撃した。
蹴りで強引に距離を取らされたシャルラートが、怒りを表すように水の身体の背びれに棘を作り出して威嚇している。対するシラタマは同じく羽毛を膨らませて威嚇しながらウィービングのような動きをはじめた。
「しゃ、シャルラートがわし以外に懐くなど、珍しいこともあるものじゃ」
高位の精霊ほど人間を嫌う。故郷ではかなり上位の扱いを受けているシャルラートも例に漏れず、狐人の少女以外を寄せ付けない。それなのに契約者からもらう魔力ではなく、自らの力を使ってまで治癒を続けている。
相棒が頼まれ事以上の治癒を行うことはもちろん、誰かの傍らに居る権利を取り合って他の精霊と喧嘩をする姿など少なくとも狐人の少女は見たことがない。
「もしやあの子、わしと同じ
安堵した様子のスフィに抱きしめられながら、精霊に取り合われているアリスの姿を見て。狐人の少女は沸き起こった疑問を飲み込んだ。
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