├不審船潜入作戦5
錬金術師ギルドでの話し合いを終えたノーチェたち。
調査の同行に備え、休憩室に用意してもらった簡単な食事を取り、装備品などのチェックを済ませていた。
「剣残ってるかにゃ……」
「え、ノーチェちゃん剣置いてきちゃったの?」
「回収できなかったにゃ」
剥ぎ取りに使っている予備のナイフを手に、ノーチェが溜息をついた。
戦闘の最中に落とした剣を着流しの男が蹴り飛ばしたところは確認していたが、とても回収している余裕なんてなかった。
悠長に拾いに行っていれば、即座に仕留められていただろう。
「荷物の大半をあいつに任せてたのは失敗だったにゃ」
「うん……」
アリスは404アパートに不思議ポケットと収納手段を数多く抱えている。武器や素材などのかさばるものの大体を任せてしまっていた。
そっくりそのまま持って行かれて、武器の補給も覚束ない。手元に残っているのは短いのと長めのナイフが1本ずつ。
短いものはアリス謹製。しかし長い方はそこらの店で銀貨1枚で買った、アリスに言わせれば「お金の無駄」な代物だ。
Fランクの見習いの子供なら分相応と言えばそれまでだが、例の男との再戦の可能性を考えれば不安は隠せない。
「スフィがやっつけるからだいじょうぶ」
「あのおっさん、ひとりでどうにかなる相手じゃにゃいだろ……」
「どうにかするもん!」
冷静に状況を整理しているノーチェに対して、スフィは多少落ち着いているが妹の救助に闘志を滾らせていた。
「フィリアは大丈夫にゃ?」
「うん、メイスはちゃんとあるよ、盾もお部屋でさっきみつけたから……アリスちゃんが残しておいてくれたみたい」
衛兵を呼びに戻っていたフィリアの装備は無事なまま。
背中に背負った身長と同じくらいある大盾に、腰に提げたメイス。シスターから盾の使い方を習い、彼女のように誰かを守れるようになりたいとアリスに作って貰った物。
最近ようやく完成した代物で、ベッドの下に隠されているのを部屋を調べに戻った時に発見した。
「重そうだけど大丈夫にゃ?」
「見た目よりずっと軽いかな……?」
重厚なタワーシールドの見た目の割に、フィリアからすれば軽く感じる重量しかない。背中に背負っても問題なく動けることをアピールしながら、フィリアはアリスから聞いた事を思い出した。
「アリスちゃんはたそーはにかむで、ちぇーんらいんだから軽いって言ってたけど」
「……全然わからんにゃ」
「うーんとね、たぶんね、はちさんみたいにね、鎖がじゃらじゃらなんだよ」
「全然わからんにゃ」
ふたりから説明されるノーチェの首が更にひねられていく。
横で微笑ましく聞いていた錬金術師が子供らしく端的なスフィの言葉に「あれ、もしかして理解してる?」と疑問を抱き始めた頃。
「お願いします、どうか! どうか!」
休憩室の外から男性の悲鳴が聞こえてきた。
「にゃんだ!?」
顔を見合わせてから部屋を出た3人が見たのは、錬金術師ギルドの警備員の服を着た男が別の警備員たちに取り押さえられる瞬間だった。
「お願いします! 仕方なかったんです!」
「そう思うなら何故逃げたのかね?」
「そ、それは……」
警備員と共に居たのは「済ませておく用事がある」と席を外していたバザール。彼は蔑みを浮かべた視線を取り押さえられている男に向ける。
「か、家族が、家族の仕事がなくなってしまうから!」
「そうか、そんなところだろう。同情するとも」
落ち着いた口調で告げられたバザールの言葉に、男の顔に希望が浮かぶ。
「で、では見逃して……」
「君には見逃す理由も、汲むべき情状も存在しない。連れて行け」
「そんな! どうか、お願いします! お慈悲を! 家族のためだったんです、どうか!」
同じ言葉を繰り返す男が、他の警備員によって奥へと引きずられていく。
怪訝そうな顔をするノーチェたちに、バザールはようやく視線を向けた。
「騒がせてすまんな」
「あのおっちゃん、どうしたにゃ?」
「あぁ、寮の警備員だ。今回の誘拐を手引したようだ」
バザールの言葉に、スフィとノーチェのしっぽの毛が驚きと怒りで逆立つ。
「にゃア!?」
「どういうこと!?」
「の、ノーチェちゃん、スフィちゃんおちついて!」
同時に吠えるふたりをフィリアが宥めるのを見下ろしながら、バザールは表情を歪め溜息を吐いた。
「そもそも寮近辺には警備員を配置している、職員には錬金術師も含むのだから当然だ。基本的によほどの事情が無い限り寮に不審者が侵入することは出来ない」
このあたりの規則はフォーリンゲンでも変わらない。フォーリンゲンでは同時刻に緊急事態が起こっていたから警備員の対処が遅れてしまったが、犯行があった時間のパナディア港は平穏そのもの。
近くに詰めている警備員に動けない事情などあるはずもなく、その中の誰かが手引したと見てバザールは調べていた。
「彼は、前に息子さんがカラノール商会の見習いとして入ったと……」
近くで様子を伺っていた錬金術師が気まずそうに視線を落とす。警備員としてそれなりに長く務めていた男には、職員との交友関係があった。
「その繋がりを利用されたのだろうな」
「だからってお咎めなしにゃ!?」
もみ消すつもりかと怒りを露わにするノーチェを、バザールは静かに強い視線で諌めた。
「落ち着きなさい、余計な真似をされないように閉じ込めただけだ」
「ッ……」
「そもそも、彼には酌量すべき事情など存在していない。外部組織に協力し、錬金術師ギルドに損害を与えた……それが全てだ」
バザールの冷酷な言葉と表情に、温情など欠片も存在しない。
アリスの言動を苦笑で受け流し、友を助けようとする子供たちの無茶を見守るような態度はノーチェの記憶にも新しい。組織の管理を任された男が垣間見せる冷酷さに、ノーチェは寒気を感じてそれ以上言葉を続けることができなかった。
「あの男は錬金術師ギルドとカラノール商会どちらにつくかを問われ、カラノール商会を選んだ……それだけだ。裏切った相手に温情を求めることほど、愚かなことはあるまい。君たちも心して置き給え」
「……あたしは、ダチは裏切らねぇにゃ」
感情を敢えて見せないバザールの言葉に思うところがあったのか、ノーチェは右手を握り締めて答える。
苦しくとも辛くとも、恥じることない道を歩け、真っ直ぐに生きろ。何度も疑い捨てそうになって、それでも捨てられなかった母の教え。
結局最後まで母の言葉にすがった結果得た物が、いつの間にか気の置けない関係となっていた友との旅路だ。間違っていなかった、母は正しかったと漫然と考えていた。
しかし信頼関係が崩れ去る瞬間を見た今、母の言葉の裏にあった真意がはじめて垣間見えたような気がしていた。
「それでいい、さて……偉そうに語ったのだ。今度は良い面も見せねばならんな」
「にゃ?」
「こちらも同胞の奪還のために動かねばならん、アリス練師が抵抗なく誘拐された理由も察しがついたところだ」
「はい! どういうことですか!」
子供相手に脅しすぎたかと雰囲気を切り替えたバザールの言葉に、スフィが元気よく手を上げて質問する。気圧されていたが、やはり妹の事情が気になるようだった。
「警備員が手引している以上、誰が敵で誰が味方かわからなかったというのがひとつだろう。それにアリス練師は身体がな……」
「にゃー……」
「でも、シラタマちゃんはつよいもん! です!」
心当たりがありすぎるアリスの体力の話に納得しかけたノーチェだったが、即座にスフィが言い返す。
「アリス練師が連れている雪の精霊だな、この目で力を見た訳ではないが、強大な力を持っていたとしても街中で人間を傷つければ契約者が責任を負うことになる。アリス練師は獣人の孤児という事実は変わらん。カラノール商会が後ろ盾についているのであれば……ここぞとばかりに精霊をけしかけてきたと罪を被せていただろうな」
「そんなのずるい……!」
「あぁ、卑怯だとも。それが権力者の戦いというものだ。アリス練師はそれを理解しているから敢えて誘拐されたのだろう」
推測を交えて話すバザールに、ようやくスフィたちの感情も追いついてきた。
「じゃあ、あの書き置きって」
「随分と暢気な文面ではあったが、部屋の状態から察するに詳しく文章を練る時間がなかったのだろう。戦闘痕こそないが、部屋の中を追い回されたような形跡はあったからな」
「……!」
近くで話を聞いていたギルド職員の表情が強張った。
アリスの見た目は一見すればいつも眠そうでぼんやりとしている、マイペースな小さな女の子。か弱いという言葉が服を着て歩いているような、粉雪のような儚い存在。
かなり整っている顔立ちもあり、日向ぼっこをしている姿を見た近所の子供からは『ふあふあのお姫さまがいる』なんて噂になったこともある。
頭に浮かぶ光景は、汚らしい賊に部屋の中を追いかけ回され泣いて怯える可憐な幼女。
静かに怒りのボルテージをあげる錬金術師たちを尻目に、アリスをよく知る3人は不思議そうな表情を浮かべる。
流れとしては間違いないだろう。恐らく部屋の中を追いかけ回され最後には捕まったのだ。
しかし、アリスが賊ごときに怯える姿はどうしても思い描けず、3人は揃って首をかしげるのだった。
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