├不審船潜入作戦4

 一度不審船から離れたノーチェたちは、衛兵たちに連れられて一度錬金術師ギルドへと戻っていた。


 錬金術師ギルド、パナディア支部長であるバザールは戻ってきた面々を迎え入れ、2階にあたる会議室を貸し出した。


「それで、君の妹がその不審船へと連れていかれたというのは本当かね?」

「……う、はい。たぶん、そうだとおもいます、匂い、続いてたから」

「……ふむ、難しいな」


 バザールという男はこれといった特徴のない風体ながら、いざ面を向かって話すと確かな凄みがある。


 軽く事情を聞いた彼は、まずスフィに情報の真偽を問いかけた。拙い丁寧言葉で匂いを追いかけたことを伝えるが、バザールの反応は芳しくない。


「姿を見た、というのであれば違ったのだが」

「ほんとうだもん!」

「解っている、落ち着きなさい」


 疑われていると思ったのか声を荒げるスフィを宥め、バザールは机の上で両手を組んだ。


 彼とてスフィたちの証言を疑っているわけではない。スフィの匂いの追跡能力が客観的に証明できないのが問題だった。


 バザールは悔しそうに視線を下げるスフィから、すぐ近くで直立している衛兵隊長へ水を向けた。


「エシフ、承認を出した実行委員は誰だったのかね」

「カラノール商会のベルドア・カラノール卿でした」

「古参の一角か、想定外だな……」

「えぇ、非常に厄介な相手かと」


 カラノール商会はパナディア港に店を構える老舗だった。足で稼ぐ行商から始まり、この街に店作った初代から数えて8代目。


 パナディアの発展とともに大きくなった商会は、いまや自前の船を3隻持つ中堅どころ。


 商業組合の実行委員を代々務める彼等は地元との結びつきも強く、信頼も厚い。


「えぇ、カラノールってあのカラノールだよね」

「信じられない、堅実な商売が売りだったんじゃ……?」


 現に緊急会議に出席した地元出身の錬金術師達も、動揺を隠せないでいるほどだ。


 元々が滅多に商人が訪れず困っている人の力になりたいと行商をはじめた初代。店を持ってからもその信念は変わらず、カラノール商会の家訓とされている。


「今代の会長は商売の拡大に意欲的とは聞いていたが、賊の手引をしていたとは」

「ここ数年、西方と大きな取引がはじまったのにはそんな裏がありましたか……」

「そんなことより! そいつが黒幕にゃのか!?」


 裏事情を探る大人たちの様子に耐えきれなくなり、ノーチェが叫ぶ。


「黒幕……とは限らないな、調べないことには」

「ひとまず代官閣下に報告は上げますが、かなり慎重な動きになるでしょう」


 パナディア港は王家の直轄地、王からの信任を受けた侯爵が港全域の管理を請け負っている。


 毎年やってくる海賊には頭を悩ませて居たため、繋がりがあると見て捜査が進むだろう。


「そんな悠長なこと言ってて、アリスににゃにかあったら!」

「獣人の子供を誘拐するとしたら商売目的だから、無闇に傷つけることはないと思うが……」


 衛兵隊長エシフの反応が鈍い原因がここにあった。賊とはいえ商品を好んで傷付けるものはいないだろう、時間は十分にあると踏んでいたのだ。


 一度しっぽを掴んだ以上、彼とて簡単に船を出港させる気はない。代官に騎士を動かしてもらい、正式に船を押さえる足がかりにするつもりだった。


「それは困るぞ、エシフ」

「バザール殿?」


 横から挟まれた口に、エシフは驚きを見せた。


「我々も本腰を入れて動かねばならないのだ、事は"獣人の子供の誘拐"ではない」

「そ、それはどういう?」

「これは"錬金術師の誘拐"事件だ。あの子、アリス練師は齢7歳にして第3階梯『プラクティカ』の位に座す、大錬金術師ワーゼル・ハウマス最大の遺産。誘拐されたのは、"獣人の子供"などではない」


 エシフにとって、バザールの言葉は完全に想定外だった。続く衛兵たちも大きく目を見開いていた。


「し、しかし! あの子は伝手を頼ってギルドの手伝いにきている子供だと!?」

「あぁ、正規会員という伝手を頼り、ギルドの嘱託錬金術師として手伝いにきている子供だ」


 完全にしてやられたと、エシフはめまいを覚えた。


 言葉遊びによって、錬金術師の縁者の幼児を預かっているのだと思い込まされていた。歳の割に賢い子だとは思っていたが、着実に冒険者として成果を積み上げるノーチェたちの留守番をしているようにしか見えていなかった。


 騙された理由はわかっている。若く才能のある錬金術師はどこでも求められる貴重な存在なのだから。


 第3階梯ともなれば既に超一流に片足を踏み込んでいると言っていい。中級貴族以下でよいのなら、専属の勤め先は選り取り見取りだ。


 しかも身寄りのない幼子ならば、何としてでも身内に引き込もうとするだろう。


 どこからどう見ても特大の爆弾だ、今まで誘拐されずに来たことが奇跡に近い。


「……なんでそれを、俺に話した!?」

「必要な情報だからだが?」


 思わず言葉が乱れるエシフを、錬金術師たちは同情の目で見つめる。


「錬金術師ギルドとしては、所属する会員が誘拐されて黙ってみているわけにもいかんのでな」


 錬金術師の国際的な互助会である錬金術師ギルドの目的のひとつが、錬金術師の保護である。


 ただでさえ専門知識と技術を抱える錬金術師は国力に大きく関わる存在だ。ギルドで茶を飲んでいる普通のおじさんが、ある国の主要産業の基幹技術を全て握っているなんてこともありうる。


 当然だが暗殺者にも誘拐犯にも狙われる。それに対する自衛措置として、錬金術師ギルドには特定の事態において一定範囲での武力行使が許されている。


 具体的には錬金術師が何者かに拉致監禁などされた場合、命を狙われた場合など。


 これは脅しではなく、実際に拷問され殺された複数の錬金術師の弔い戦が行われたことがあった。


 拉致を実行した国の首都は謎の危険植物や伝染病が大量発生、更には建物の崩壊が頻発し1か月持たず滅んだ。狙われたかのように王族と貴族は全滅。


 国がひとつ消えたこの事件は、権力者の間では有名だ。大半の国が暴力的な手段を避けるようになった理由でもある。


「ぐおおお……」


 獣人の子供を何とかして助け出す……その程度の認識だったエシフ。程なくして彼の胃が破滅の音を響かせ、断末魔の呻きをあげさせた。


「すまないな、出来ることなら秘匿して置きたかったが……我々にも体裁というものはある」

「ううん、アリスがたすけられるなら!」

「そう言って貰えると助かる。暫くは騒がしくなるかもしれんが、君たちの身柄は我々が守れるよう努力しよう」

「うん!」


 錬金術師ギルドが介入すること前提で話が進み、エシフの焦りは加速していった。


「ま、まってくれ、せめて代官閣下に相談するまで……! お前たち! ここでのことは絶対口外しないように、いいな! 俺は代官閣下の元へ向かう、失礼する!」


 慌てて飛び出していったエシフを見送ってから、バザールは苦笑気味に所在なさげに立ちすくむちびっこ3人を見た。


「……君たちも準備をしておきなさい。助けに乗り込みたいのだろう?」

「……いいにゃ?」

「これでも若い頃は少々やんちゃでね、友を助けたいという気持ちを多少は理解できるつもりだ。あくまで錬金術師ギルドの関係者ということにはなるが、そこは納得して貰う」

「わかったにゃ」


 ぶちまけたことで、事件は『身寄りのない獣人女児の誘拐』から『中級錬金術師の拉致』へと変貌した。錬金術師ギルドが被害の主体となれば、証拠が弱くとも強引に踏み込むことも出来るだろう。


 バザールとしてもアリスの身元を明かさずに救出できればそれが最善だった。


 しかし獣人の子供の証言は弱く、相手の後ろ盾は想定外に地元に根強い権力者。どこまで手を伸ばしているかもわからず、逃げられる危険性を考えれば可能な限り素早く事を進める必要がある。


 彼等としても、仲間を攫われては黙っている訳にもいかなかった。


「お前たちにも協力してもらうぞ、無事助け出せたあとの方が大変だろうからな」

「わかってますよ、同胞のためです」

「それにアリス錬士は俺たちの癒やしっすから」


 集められた錬金術師たちも、バザールの呼び掛けに快く言葉を返す。


 穏やかな性格の人間が多いせいか、パナディア支部でもアリスもそれなりに可愛がられているようだった。そこにはフォーリンゲンの錬金術師たちと同じく、子供を見捨てられないという意味合いもあったのだろう。


 戦いの予感に表情を引き締めた面々を見回してから、バザールは不敵に笑ってみせた。


「さて、それでは賊共に錬金術師を敵に回す恐ろしさを教えてやろう」


 かくして、救出作戦は動き出す。

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