├不審船潜入作戦3

 ノーチェたちが衛兵と合流した頃。


 着流しの男はさっさと現場から離れ、停泊中の船へと帰還していた。


「これは失態だぞ、ゲンテツ」

「はぁ、わかってるよ」


 船内に戻ってきた着流しの男『ゲンテツ』からの報告を聞き、叱責を飛ばすのは首の後でウェーブのかかった髪を束ねた曲刀の男、名前を『ウィゲル』。


「我々は貴様の腕を見込んで雇っているのだぞ、半獣の子供2匹程度を取り逃がすなど……」

「情けねぇ話だが、色々と想定外だったんだよ」


 言い訳をするしかない自分に情けなくなりながら、ゲンテツは自らの髪の毛をかきまわした。


「半獣ごときにしてやられた人間の言い訳など聞きたくもない、契約を続けたくば失態はすぐに取り戻せ、いいな」

「……わーったよ」


 怒りで聞く耳を持たない様子のウィゲルはそう吐き捨てて、足早に甲板へ続く道を進む。調べに来た衛兵の対応をするのだろう。


 残されたゲンテツは深くため息を付きながら手に持った酒瓶を口に運ぼうとして、途中でその手を止めた。


 すっかり酔いは醒めていたが、不思議と酒を飲む気分にはなれなかった。


「わかってねぇなぁ」


 西方人にありがちな獣人蔑視。


 教会の影響が強い西方諸国では、神から授かった叡智とされる秘術を使えない獣人を一段下に見る文化がある。


 差別が根強い地方ともなれば獣人が訪れることなどまずない。見る機会があるとすれば、奴隷や愛玩動物として攫われてきた力の弱い者か子供ばかりだ。


 そういった獣人ばかりを見て育った普人ヒューマンの武芸者は、獣人を弱者と見下す傾向があった。


 ゲンテツは多種多様な種族が共存する竜宮諸島で生まれ、己の腕を試すため大陸東方で旅をした普人族だ。東方南部にある獣人族と衝突が多い国、そこの領主貴族に実力を乞われ傭兵として獣人との戦いに明け暮れた事もあった。


 一部の例外を除き、獣人の大半は人間のように多彩な魔術を使えず、武技アーツだって連発は出来ない。


 しかし彼等は強い。普人や他の人種であれば意識していなければ発動できない練気術を、彼等は寝ても起きても、例え気絶しようとも維持できる。相手が極まった武人ならば、熟睡している喉元に突き立てた刃が筋肉に弾かれた……なんてことすら起こる。


 普人の戦士と獣人の戦士、どちらも格が並ならば2対1でようやく互角というのが東方人の常識だ。


「はぁ、まったく……なんでこんなとこを王種レガリアがうろついてんだか」


 そんな獣人の中に、稀に特別な力を持って生まれる者がいる。


 獣人族からは『貴種ノーブル』、『王種レガリア』などと呼ばれるそれらの最大の特徴は、種族の垣根を超えた魔力量だ。


 練気に優れ魔術を使えない種族でありながら魔術を使えるほどの魔力量。


 逆に魔術に優れ練気を不得手とする種族でありながら、肉体派の種族に劣らぬ身体能力。


 それらは特別なたね、血筋として手厚く保護され尊重される。


 ゲンテツの見立てからしても、身体の外側に魔力光を発散させて見せた黒い猫人フェリシアンの少女は間違いなく王種。平然と武技を連発してきた砂狼の少女も間違いなく貴種以上。


 獣人に属する種族の多くが、かつてあった悲劇と迫害から子供を特に大切にする文化を継承している。


 本来であれば獣人の里で過剰なほど保護されていてもおかしくない王種の女児が、あんなところをうろついているのはゲンテツにとっても意味不明な出来事だ。


「参ったねぇ、久々の美味い仕事かと思いきや……とんだ泥舟だよ」


 ゲンテツは獣人と戦いに明け暮れる日々を送ったが、実際のところ獣人族との関係は悪くない。


 彼等は好意的に言えば気風が良く快活で、力比べを好み強者には敬意を持つ。


 並の獣人戦士ならばあしらえる実力を持つゲンテツは、戦いを通じて友誼を結んだ獣人族も少なくなかった。


 圧倒的な力を持つ虎人ティグリスに惨敗し部隊が全滅したのを切っ掛けに領主から解雇を言い渡されたが、別に獣人に対する恨みは持っていない。


 というよりも、追手を放つ領主から匿い、西へ逃げる手伝いをしてくれたのは殺し合いの中で奇妙な友情が生まれた一部の獣人だったのだから恨みようがない。


 ただの雇われにも関わらず少しでも多くの部下を逃がすため、ひとり金虎王と戦い生き延びてみせたゲンテツは彼等からすれば称賛されるべき戦士という認識だったのだ。


 本人からすれば心意気を買われ見逃されたと考えてはいたが、怒りを覚えるほどのことではない。


 匿われる中で獣人の風習や常識などを知ったゲンテツには、今回の一件にとてつもなくきな臭い気配を感じて仕方がなかった。


「潮時かねぇ」


 依頼についても聞かされていたのは船団の行き帰りの護衛。獣人の子供を誘拐していると知った時に騙されたと気付いたが、後の祭りだった。


 もしも獣人の戦士が見つければ、今度は一切の躊躇なく殺しにくるだろう。子供に手を出す者に彼等が温情を見せることはない。


 とはいえ己は西で生きる身、依頼料と今後の関係を考えてあえて目を瞑っていたが王種が関わるとなれば話は別。


 王種の女児は獣人にとって特別中の特別。


 父親が王種ならば産まれる子が王の力を受け継ぐかは運次第。男児の方が可能性が高く、女児が力を受け継ぐことは稀。


 しかし王種の女から産まれた子は、多かれ少なかれ全てが王の力を受け継ぐとされている。


 南部森林の隅で暮らす貧しい兎人の家に生まれた女児が、4歳で王の力を発現させた。その話を聞いた森中の獣人の男が山程の貢物を持参し、求婚の列を作ったというのは今でも語り草だ。


 王種の女児が普人に拐われたと知れば、屈強な獣人たちが奪還のため総力をあげて海越えを敢行しかねない。


 国家間の戦争に巻き込まれるなんて、冗談ではなかった。


「……はぁ、身も心も貧しくなるってのは、やだねぇ」


 利益のために多少なり恩のある相手を裏切ろうとして、更には現在の依頼主にまで背を向けようとしている。


 自分も落ちぶれたものだと自嘲しながら、ゲンテツは顔を押さえた。



「なんでにゃ!」

「彼等は停泊許可証を持っている、証拠も無しには踏み込めなかった」


 フィリアと共に駆けつけた衛兵と合流したノーチェとスフィは、これで堂々と船に乗り込んで調べられると息巻いていた矢先、船の所有者に言い負かされすごすごと退散した衛兵たちに憤慨していた。


「ていはくきょかしょうだァ!?」

「港を管理する商業組合の実行委員の承認印つきだ、不審だからではどうにもならん」


 彼等は船着場を正当な許可を貰って堂々と利用している。


 わざわざ人目につかない所に船を止めているのはやましい事があると白状しているようなものだったが、それだけで踏み込めるほど実行委員の権力は弱くない。


「でも! 女の子が船につれていかれるの見たもん!」

「……獣人の子供の証言には信憑性がない、採用されない」

「ッ!」


 衛兵隊長は苦虫を口いっぱいに詰め込まれたような表情で告げた。愕然とした表情のふたり、目尻に涙を浮かべるスフィに耐えられず目をそらしたところで、ノーチェが地面の砂を蹴りつけた。


 衛兵隊長は顔や身体にぶつかる砂を一切咎めることなく、3人が落ち着くのをただ待った。


 怒りに顔を赤くするノーチェの背後、泣きじゃくるスフィを抱きしめて慰めるフィリアも顔は青ざめている。


「せめて錬金術師ギルドの誰かか、衛兵のひとりでもついていれば……」


 ノーチェたちはただの子供、この街の住人ですら無いのだ。


 今までの街と比べてどれほど差別が薄くとも、地位が低いことに変わりはない。


「あたしが錬金術師だったら、もっと強い冒険者だったら、どうだったにゃ?」


 無言でのにらみ合いのあと、多少落ち着いたノーチェが問いかけた。


「正規の錬金術師ならギルドが証言を保証するだろう。どの国であれ錬金術師ギルドを無碍には出来ないからな。高ランクの冒険者であれば、それも同様だ」

「そうか……そうかよ……」

「とにかく、一度退いて別の手を考えよう。奴等の尻尾は掴んだのだ、何か突破口が見つかるかもしれない……協力してくれるか?」


 最大限に言葉を選んで告げられた譲歩案に、ノーチェは衛兵隊長を睨み返す。


 男たちの瞳には怒りが燃えていた、賊が権力を盾に自分たちの街で好き放題することを嬉しく思うはずもない。


 絶対に捕まえてやろうという男たちの言外の意思を感じ取り、ノーチェは渋々怒りを収めた。


 ここに至ってアリスがひょっこり脱出してこないのは何か出来ない事情があるのかもしれないと思い至り、助けに行く意志を固める。


「当たり前にゃ、あたしらの妹分も拐われてんだぞ、黙ってるわけにはいかにぇえ」

「スフィも……アリスをたすけるためなら、なんだってする!」

「わ、私だって、友達をたすけたいです!」


 スフィとフィリアも言葉を続け、子供たちの決意を受け止めた衛兵隊長は力強く頷いた。



 一方その頃。


「…………」

「ひ、ひぃぃ! いやじゃ! いやなのじゃ! しにとうない、わしはこんなところでしにとうないのじゃ、だれかぁ!」


 アリスは船倉の地下の檻の中で横になったまま、同居人が放り込まれた時ですら一切反応を見せない。


 図らずも一緒になった狐人の少女を激しく怯えさせていた。

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