├不審船潜入作戦2

 突発的にはじまったノーチェと着流しの男の戦い。


 2合目を先に仕掛けたのはまたしてもノーチェだった。


「シィッ!」


 それぞれ隣り合う建物の屋上で睨み合っていたところから、見事な跳躍力でもって合間を飛び越え男へと斬りかかる。


 猫人特有の柔軟な腕の動きで放たれた斬撃は、鞭のようにしなって男の喉へ向かった。


「末恐ろしいねぇ」


 見た目10にも届かぬ幼子、手足は枝のように細く見えるが込められた力は相当なもの。一端の剣士と比べても遜色なく、狙いもまた急所と躊躇も容赦もない。


 着流しの男は称賛の言葉を口にしながら、それを手甲のついた腕で難なくいなした。


 男は今でこそ破落戸の真似事などをしているが、それでも武芸者としては一流だ。わずか2度打ち合っただけで目の前の少女の才能に気付き、思わず冷や汗をかく。


「まったく、天賦の才ってのは始末におえねぇな」


 まだ身体すら出来上がっていないにも関わらず、動きだけなら既に一人前に手をかけている。獣人の得意分野とはいえ、身体強化術である練気の制御も滑らかだ。


 同年代の人間はおろか、下手すればそこらの猫人フェリシアンですら相手にならないかもしれない。


「……ただの猫人ねこびとじゃあねえな」


 口から漏れたのは地元言葉。男にかつて戦場で相まみえたことがある虎人ティグリスの傭兵を思い起こさせた。


「やだねぇ、未練だ」


 その傭兵に手も足も出ずに敗走するはめになり、雇い主からの信用を失い落ちぶれた。


 酒に浸り忘れていた古傷が疼き、飄々としていた男から殺気が漏れる。


「ッ!」


 男の隣に着地してから返す刃で男の脇腹を狙っていたノーチェが、漏れた殺気に反応し、しっぽの毛を逆立てた。咄嗟に男の後方へと転がるように走って距離を取る。


「勘もいいねぇ」

「さっきから何独り言言ってるにゃ!」

「いやぁ、こっちの事情さ」


 ここにきてようやく男が立ち上がり、酒瓶を床へ置いた。


 子供相手に大人気ないと思いつつ、男はゆっくりと戦闘態勢に入った。腰を落とし左手を引き、右手を親指を上にした状態で前へ伸ばす独特の構え。


竜宮式飛拳りゅうぐうしきひけん、一応は師範代をやってたもんでな」

「知らにぇーよ、そんなん」

「いわゆる分家の日陰流派ってやつだ……『空拳くうけん』」

「ッ!?」


 伸ばした右腕、その拳が素早くひねられる。


 背筋を伝う悪寒に従い、咄嗟にしゃがみこんだノーチェの背後で建物の一部が殴られたように砕けた。


「おいおい、避けれるのかよ……『空拳』」

「ふぎゃあ!? にゃんだ!」


 拳を戻してひねる度、ノーチェが直感に従ってその場を飛び退く。一瞬遅れてノーチェの後を追い掛けるように屋上の床が弾けて砂埃が舞い上がる。


 空気の流れに敏感に反応して不可視の一撃を回避し続けるノーチェに、男は呆れた顔を隠せない。


「はぁ、自信無くすぜ……ったく、『乱撃らんげき』」

「見えない攻撃にゃんて、ひきょうぐっ!」


 男の引き絞られた左腕が前へ突き出される、空気を弾く音がして、左に飛んで避けようとしたノーチェが右腕を押さえて倒れ込む。


「加減はしてるから安心しな」

「腕、が……!」


 ノーチェの右手から、握りしめていた剣が転がり落ちる。


 殴られた痛みはあるが、それよりも衝撃による痺れのほうが大きいようだった。震えて言うことを聞かない右手は、握りしめることも満足に出来ていない。


「さて、もう一人はどこに逃げたかねぇ」


 男はぼやきながらノーチェに近づいて落ちた剣を蹴り飛ばし、動けないノーチェの首根っこへと手をのばす。


「がああああ! 『スラッシュ』!」


 そして背後から聞こえる足音と叫び声に振り向き、左手前で持った剣を右中段に構えながら突っ込んでくるスフィを視界に入れた。


「不意打ちで声を出しちゃあ……ってうおお!?」

「やあああああ!」


 突進しながら放たれた一撃を手甲で受け止めた男の右腕が、力に負けて弾かれる。


「っぐ!」


 咄嗟に体をずらした男の右頬を剣先がかすめ、僅かに血が飛ぶ。


 ノーチェよりも更に小柄な、幼児と見紛う子供とは思えない破壊力に男の目が驚愕で見開かれた。


「こっちもかよ!?」


 男は齢30過ぎ、物心ついてから20年余りを武に捧げて一度は結果を出した。


 流派の中で認められ、指導者として両手両足の指では足りない数の門下生を見てきた。


 才能のある若者も、生まれ持って身体能力に長ずる獣人も数多く導いてきた。


 そんな男であっても嫉妬を覚えるほど、武術におけるノーチェの才覚センスは本物だった。


「ノーチェ! 『スラッシュ』! しっかりしてよ! 『スラッシュ』!」


 金色がかった白い光をまとった剣の連撃を、男は手甲に魔力を込めて受け流していく。


 武術を修めたものにとって、体に魔力を流して身体強化を常に行う『練気』は基本技術。身体の内外に留まるように流れる魔力は、鍛錬とイメージによって身を守る鎧にも武器にもなる。


 そちらに魔力を使っているからこそ、魔力を使って発動させる必殺技である武技アーツは気軽に連発するものではない。


 男の流派に伝わる『空拳』などは威力を犠牲に連射しやすくした低燃費な技。一方で『スラッシュ』はシンプルで覚えやすく、最初に体得する武技のひとつと言われながらも、決して燃費の良い技ではない。


 成長期もまだの獣人の子供が連発し、しかも消耗した様子すら見せないというのは男にとって頭を抱えたくなる光景だった。


 普通の獣人というものは人間と比べて非常に練気に優れる分、そちらに魔力を持っていかれるせいで魔術や武技を得意としていないのだから。


「にゃめんじゃ……ねぇ!」


 乱入してきたスフィに檄を飛ばされ、膝をついていたノーチェが立ち上がろうとする。


 双子と出会ってから、自分の弱さを思い知らされてばかりの日々だった。


 危機を乗り越えてきた、その中心に居たのはいつもアリスだ。足を引っ張っているわけじゃない、役に立てている自信はある。しかしあくまで普段の話。


 どうしようもない危機に、手に余る強敵。それを何食わぬ顔でぶち破ってきたのは末っ子だ。酷いときはソファの昇り降りで力尽き、夜中のトイレから帰還できずに廊下で行き倒れる。


 普段は病弱という言葉が服を着て歩いているような弱者だ。


 悔しくないわけがない、情けなくないわけがない。スフィの何気ない言葉が、ノーチェのプライドに火を付けた。


「シャアアアアア!」


 気合の叫びをあげて、震える腕を強引に握りしめ、ノーチェは立ち上がる。


 薄い緑色の魔力光がノーチェの身体から湯気のように立ち昇るのが、男からは見えた。


「このガキ王種レガリアか! マジかよ!」


 頬を引きつらせ、すっかり酔いも醒めた様子で男は姿勢を低くし、スフィへ向かって走った。


「きゃあ!?」

「ちっ!」


 振り払うように打ち出される拳を、スフィは悲鳴をあげながら横に転がって避ける。


 一旦距離を取った男は仕切り直すように深い溜息をついて、体勢を整えようとしているノーチェとスフィに向かって再び構えを取った。


「ったく、無傷で捕獲は無理だなこりゃ……悪く思うなよお嬢ちゃんたち」

「ふたりなら負けないもん!」

「ばっか、ちげぇにゃ」


 不安とフラストレーションからか好戦的なスフィに、ノーチェは耳をぴくぴく動かすと四つん這いになるくらい姿勢を低くして、右手で砂を掴んだ。


「だれがてめぇにゃんかとガチでやるか! ばーか!」

「あ、そっか!」


 男の顔に向かって砂を投げつけたノーチェが建物から飛び降りる。一瞬きょとんとしていたスフィだったが、1秒も経たずに理解してその後に続く。


「っ! 『乱撃』!」


 咄嗟に砂から顔を庇った男が反撃とばかりに武技を放つが、誰も居ない床を弾く結果に終わる。


「逃が……」


 遠ざかる足音を追いかけようとした男の足が止まる。


「あーあ、こりゃ怒られちまうな……」


 男の耳にも衛兵の駆ける音が向かってくるのが聞こえたのだ。


 舌打ちひとつして、男は瓢箪型の酒瓶を回収して船へと向かって駆け出す。


 一方ノーチェはスフィと共にフィリアが連れてきた衛兵の集団に向けて走りながら、安堵を感じている自分に内心で怒りを覚えていた。


 もしもアリスなら、きっと無茶苦茶なことをしてあの強敵だって撃退していただろう。


 本来なら戦闘においては自分たちが頼られる立場でないといけないのに、そんな考えが頭から離れないことが悔しくてたまらなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る