├不審船潜入作戦1

 住宅地からほどほどに離れた第6船着場付近の物陰にて、ノーチェとスフィは声を潜めて潜入方法を相談していた。


「あいつら全然居なくならないにゃ……どうするにゃ?」

「とつにゅう!」

「却下にゃ」


 スフィは決して馬鹿ではない、むしろ頭が良いと言われる側に分類されるだろう。


 しかしながら周囲にいたのは理解力に優れる養親と、無意識下での繋がりがあるため意思疎通が可能な双子の妹。それ以外は悪意と嫌味を持って迫ってくる敵ばかり。


 身内には端的に結論や意見を言うだけで言いたいことを汲み取ってもらえる環境。他者に対して伝えるという能力はいまいち育っていなかった。


 コミュニケーション能力という意味ではアリスの方にこそ顕著な問題はあったが、前世の記憶という反則的手段で克服している。


 スフィも急速に学んできてはいるが、こういった緊急時では暴走しがちになってしまう。


 アリスの所在がわからないので可能な限り素早く侵入し、出来れば救助、難しそうなら現状だけでも確かめたい。そんな思考を元気一杯な「とつにゅう!」の一言から汲み取ることは、神ならぬネコであるノーチェには不可能だった。


「ガードかたすぎるにゃ、なんにゃんだあの船」


 ここにきて数十分、船から伸びるタラップの周辺には常に数人単位の男たちが屯している。


 見ために行動が粗野なものもいれば、破落戸ごろつきのような見た目に反して鋭い眼光で周辺を伺っている人間もいる。


 全員が普人ヒューマンで、一部に混じった統率の取れた男たちが警備の隙を作らないように立ち回っているのがノーチェにもわかった。


「手に余るにゃ……ここであいつが逃げるのを待つしかにゃいか?」


 海側から回り込もうにも、残念ながらふたりともは泳げない。陸側から乗り込もうとするなら戦闘は免れない。


 フォーリンゲンでは孤児院の手伝いがてら、シスターや騎士たちに鍛えてもらった。


 永久氷穴という大人の冒険者ですら苦戦する未踏破領域で戦い抜いた。それなりに修羅場をくぐり、ノーチェとスフィは強くなっている。アリスの作った武器は、出来だけを見るなら間違いなく名剣と呼ばれるものだ。


 破落戸のひとりやふたりなら蹴散らす自信はある。はじめて出会った街で襲って来た剣士の男も何とか出来るだろう。


 強くなったと同時に見える世界も拡がった。あの中には出会いの街の剣士より強い人間が何人も混じっている。そんなところに無防備に突っ込めるほど、猪突猛進にはなれなかった。


「ねぇノーチェ、あれ」

「にゃん?」


 悩んでいるノーチェの肩を、スフィが叩く。何事かと促されるまま視線を向けると、別の通りから何かを抱えた男が船へ向かっているのが見えた。


「はなせ! はなすのじゃ! わしにこんなことをしてタダで済むと思っておるのか!?」


 担がれているのは、和装……日本で言う巫女服に近い長い一枚布を纏った狐人ルナールの幼子。パナディア港に到着したその日に網焼き屋で遭遇した尊大な少女だった。


 アリスが気に入ったことで網焼き屋には頻繁に通っていたが、再び少女と出会うことはなかった。


「どうしたんだ、それ」

「裏道をひとりでふらふら歩いてやがったんだ、周りに誰も居なかったからチャンスだと思ってよ」


 聞き耳を立てるノーチェたちが、男たちの会話をギリギリで拾う。


「わ、わしはラオフェンの"ミコ"の妹じゃぞ! わしになにかあれば姉様ねねさまが黙っておらんのじゃ!」

「ほぉ、そりゃあいい。身代金ががっぽり貰えそうだ」


 怯えた様子で自らの身分を主張する少女に、男たちは下卑た表情を浮かべる。典型的な西方人らしい彼等には、権力者に手を出したことより高そうな獣を捕まえたという意識しかなかった。


「誰か縄もってこい、空いてる檻があったよな」

「あの砂狼のガキと一緒に入れときゃいいだろ! おい、あのガキはどうしてる?」

「へぇ、あのガキ連れてきた時からピクりとも動かないんスけど、本当に生きてんスかね?」

「おい気をつけろよ、どこかの錬金術師の隠し子かもしれねぇんだぞ。売るついでに錬金術師からも金を引っ張れるチャンスなんだ、しっかり見張っとけや、死なすなよ?」

「マジっスか……あのガキ捕まえてから船底から変な声が聞こえるし、海を泳ぐ変な影見たって奴らがいるし、たまに壁に妙な手形が残ってて怖いんスけど……」

「はぁ? アホなこといってねぇで狐のガキも連れてけ」

「……へぇ」

「は、はなせ無礼者! どこさわっておるのじゃ! ヘンタイ!」


 聞こえてくる男たちの会話に、アリスがいることを確信して立ち上がりそうになったスフィをとっさに捕まえるノーチェ。


「アリスだ、やっぱりつかまってた! たすけなきゃ!」

「……それより気になる情報が多いんにゃけど!?」


 落ち着かせようとスフィを座らせてノーチェはとっさに叫ぶ。ちびっこたちは基本的にホラーと呼ばれるような現象は苦手である。


 それはアリスもスフィも変わらず、怖い話なんかも普通に怖がって嫌がるのだが……。


「きになるって、なにが?」

「にゃ、声とか影とか手がたとか!」

「たぶん精霊さんだよ、よるおそくにアリスのおへや、たまに変なの覗いてるし」

「こわっ!?」


 最近はめっきりなくなったが、よくわからないものがクローゼットの中や机の引き出しの中、窓の外から覗き込んでくるのはよくあったことだ。


 そういった体質の妹と一緒に育ってきたスフィは、不可思議な現象に慣れてしまっていた。


 最初は怖がっていたが、自分や妹に対して悪意がないことがわかったのでもう気にしていない。むしろアリスの方がうっすら開いているクローゼットや引き出しに怯えている始末。


 こちらはこちらで、寝る前や出かける前の部屋の状態を完璧に記憶出来るがゆえの悲劇である。


 スフィが見てきたものは不気味ではあっても一般的に怖い話に使われる死霊のような姿はしていない。どちらかと言うとファンシーやメルヘンと称される存在に近い、ホラー現象と認識していないのはそのあたりの事情もあった。


 とにもかくにも、一連の現象は近くの精霊が心配して覗いているんだろうと結論づけていた。


 因みに魔術と呼ばれる超常現象を起こす物理法則が存在するゼルギア大陸では、死霊と呼ばれる霊体は普通に実在している。魔獣か精霊かは専門家が議論中だ。


「とにかく、アリスがいるなら助けないと!」

「それはそうだけどにゃ、どうやって中に入るか」

「あの船に入りたいのかい、お嬢ちゃんたち」


 侵入する方法をめぐり堂々巡りに入りかけた2人。その耳に酒焼けした声が落ちてきた。


 文字通り頭の上からかけられた声、ノーチェたちは咄嗟に上を見る。建物には酒瓶を手にした赤ら顔の男、潮風に混じって運ばれるアルコールの匂いに、少女たちは顔をしかめた。


「そんなところでコソコソと、家族はどうしたんだい?」


 嘲るような雰囲気を漂わせる男に、ノーチェは下半身のバネを活用し、積み上げられた荷物を蹴って男がいる建物の上を目指す。


「スフィ! まわるにゃ!」

「んゅ!」


 途中でかけられた言葉に、スフィは姿勢を低くして砂を蹴りながら建物の影へと走り込んで姿を消す。


 最後の一段で大きくはね飛び、無防備に酒を呷る男の喉を狙いノーチェの抜き打ちが放たれる。鞘を弾くように飛び出した白刃が風切り音をさせて迫り、男の命に届く直前。


「おぉ、いいねぇ」


 男の手の甲に当たり、甲高い音を立てて止まった。身につけているのは青く塗られた半手甲。うっすらと魔力を帯びたそれが、弱い鉄なら切り込めるノーチェの一撃をいとも容易く防いでいた。


「ちっけぇのに大したセンスだ。武器もいい、おめぇ強くなるぜ」

「ぐぐっ! フシャアッ!」


 初撃を防がれたノーチェは力づくで男の腕を押しのけるように横をすり抜けた、屋上には乗り込まず、縁を蹴って隣接する建物へと飛び移る。


 隣の建物の上で姿勢を整えたノーチェと、あいも変わらず縁に腰掛けて酒を飲む男が向かい合う。


「わりいな、俺も仕事なんだ。不審者は捕まえなくちゃなんねぇ」

「…………フゥゥ」


 さっきの一合で男の強さは嫌でも分かった。盾の聖女と謳われた猛者であるフォーリンゲンのシスターほどの圧は感じないが、それでも昼間ギルドに屯しているような並の冒険者は比較にもならない。


 冒険者のランクでいえばギリギリ『B』か、『C』の最上辺。それがノーチェの見立てだ。


「悪党のくせに強くて嫌ににゃる……」


 戦闘力だけでいうなら、ノーチェとスフィは『E』ランクで何とかやっていける程度だろう。出会う相手と自分の差に辟易しつつ。


「でも……逃げおおせるくらいはしてやるにゃ」


 ――それでもノーチェは闘志をみなぎらせ、獰猛に笑ってみせた。

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