港暮らしのおおかみたち2

「アリス練師、ちょっといいかね?」

「うん」


 今日も今日とて納入予定の薬品を作っていると、支部長に呼び出された。


 特徴のない顔で気配が薄い40代半ばの男性、バザール練師。なのに実際目にすると存在感があるあたり、只者じゃないのは共通認識だ。


 海洋生物の研究家、造船技師でもある第5階梯『アデプト・マイナ』。


「なに?」

「実は衛兵から申し送りがきていてね」


 支部長室に入ると、豪華な椅子に腰掛けたバザール練師が黒檀の机越しにそう言った。


 汚れた髪の毛と身だしなみとかは厳しく言われたけど、言葉遣いは完全スルーである。


 実は時間がある時にフィリアに習っていて、多少なら取り繕えるようになってるんだけど……ここまできたら怒られるまでいいかなって気分になってきた。


 なんでこんなことでチキンレースしてるんだろう。


「心当たりはないけど」

「注意喚起の方だ、海賊の出没と時期を同じくして奴隷取引をしている商家の人間が港に出入りしているようでな」


 一部の国を除いて、この大陸には奴隷制度がある。


 ゼルギア帝国統治時代の名残りで、大体の国では『悪しき風習』、『旧歴の害悪』なんで呼ばれてるそうだけど。色んな事情があって今でも存続してる。


 主な分類は借金奴隷と犯罪奴隷。前者は自らを換金する奴隷契約で、後者は懲罰と被害者への損害賠償も兼ねている。


 まぁ社会の労働力としてガッツリ組み込まれちゃってるから、無くしたくても簡単にはいかないってことなんだろう。


 基本的に自発的に身売りするか、罪を犯さない限り奴隷になることはない。


 ってところまでが建前だ。


「西側で獣人の幼児は数少ないから目を付けられやすい。旅人の子供が行方不明になっているという届けも出ているそうだ。十分に気をつけるようにと心配していた」

「なんでまた」


 注意喚起という意味ならわからなくもない、ただバザール練師の苦笑気味な顔にそれとは別の意味が透けて見える。


「……話は変わるが先々月、このあたりの区画主任に娘が産まれてな。そいつの嫁さんが栗鼠人スクイールなんだ。身寄りのない獣人の女児……というのがいたく琴線に触れたようだ」

「なるほど」


 錬金術師ギルド周りの巡回ルートの密度をそれとなく増やしたり、スフィたちが通っている港近辺に衛兵を配置したりと少しはっちゃけているらしい。


「暫くはしつこく声がけしてくるかもしれんが、妙な心配はいらんだろう事を伝えておきたかった」

「スフィたちにも伝えておく」

「そうしたまえ。話は以上だ」

「うん」


 東側諸国との交流が密なせいか、ここでは教会の影響が控えめなようだ。宿はあれだし、南にあるっていう王都の影響もあるから一概には言えないけど。


 部屋の書架にはギッシリ詰まった海洋生物関連の書籍と、製図板に描かれている船の設計図。それらをちらりと視界に収めながら部屋を出る。


 それにしても、周りが親切だと逆に不安になってしまうのは何故なんだろうね。



「にゃんかさ、ここのところ衛兵が近くをうろうろしてるにゃ」

「スフィたち、うたがわれてるのかな……わるいことしてないのに」

「…………おじさんたちには、わかってもらえたのに」


 その日の夕食は、ちょっとどんよりシてる3人の愚痴から始まった。


 漁師のおじさんたちへの根回しは成功し、良好な関係を築けていると聞いてたんだけど。


 ここのところ少しずつテンションが落ち込む一方だったんだよね、なんてピンポイント。


「今日聞いたんだけど、ぼくたちを心配してるらしいよ」

「にゃ?」


 支部長から聞いた話をそのまま伝えると、しばらくぽかんとしていた3人は「なんだー」と口を揃えてテーブルに突っ伏した。


 ごはん中に行儀が悪い。


 今日はみんなに元気出してもらおうと魚のアラからフォンを取ってなんちゃってブイヤベースを作ったのに。


 半日掛かりで錬金術まで駆使して途中でぶっ倒れてシラタマに介護されるはめになった曰く付き。魚、海老、アサリにホタテに形容しがたい見た目の海の生き物までどっさり入った自信作だ。


 形容しがたい海生物はふらっと飛んで行ったシラタマが網に入ったのを持って帰ってきたもの、ここが地元の錬金術師に聞いたらかなり珍しい高級食材らしい。


 見た目はタコの脚が生えた蟹。フォルムそのものは蛸に近いんだけど、頭部が蟹っぽい。これどうしたのって聞いたら「ありすにくわせろっていってた」って返ってきた。


 漁業権とか大丈夫なのかと思ったけど、立入禁止の危険な海域にだけ棲息する深海生物みたいで、極稀に海流に乗っかって海域から出たのが網に引っかかる程度。


 意図的に捕れるものじゃないから、黙ってれば大丈夫だろうってことだった。


 見た目がアレだったけど、食べても大丈夫どころか羨ましがられた。


 持ち帰って食べてみると脚は味の濃い蛸、ぎっしり詰まった甲羅の中身はずわい蟹。ぷるんとした白子みたいなのは濃厚な牡蠣にそれぞれ似ている。


 海の幸よくばりセットみたいな味の生き物だった。


 ……大人が両手で抱えるサイズの大きさで、捌いてる時に変な鳴き声出すのが怖いけど。毒とか寄生虫とかはなくて市場に出ると金持ちがこぞって買っていくらしい。


 この世界には不思議な生物がたくさん存在する。


「そんなかんじだから、衛兵の方は心配いらないって。そっちより誘拐にきをつけて」

「アリスが気をつけて! シラタマちゃんしっかり見ててね!」

「お前が言うにゃ!」

「気をつけるのはアリスちゃんのほうだとおもう……」

「キュピ」


 ……なんかフルボッコにされたんだけど。


 しょんぼりしながら食べても、自信作のブイヤベースはやっぱり美味しかった。

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