港暮らしのおおかみたち1

「おまえらいっつも風呂で何やってるにゃ?」


 ある日のこと、朝の風呂居座りからリビングに戻ると、ノーチェが不思議そうな顔で聞いてきた。


「えっとね、色ぬり」

「毛並みを染めてる」


 ぼくとスフィの声がハモる。


 どうして頻繁にお風呂を占領しているのかといえば、単純に毛並を染めるためだ。


 事の発端はフォーリンゲンまで遡るのだけど、冒険者として暮らす程度なら土で髪の毛を汚すだけでいい。


 きちんと清潔にしている冒険者や旅人のほうが少ない。問題はぼくの方にあった。


 なんというか、土で髪の毛を汚したまま薬品を取り扱うというのが問題にならないほうがおかしい。


 一応混入しないように気をつけてはいたし、純度も安全性にも問題なかった。


 ただ、平気でそれをやっていたのが錬金術師たちの不興を買った原因のひとつみたいだ。毛並を隠したいような事情のある子供で、高名な錬金術師の弟子で、製作物の出来上がりに問題がなく、支部長補佐から庇われていたから見過ごされていただけ。


 こっちの錬金術師ギルドでそれとなく指摘されて気付き、慌てて対策を考えた。


 それからは髪を砂色に染める簡易染料を使っている。


 色彩の魔女と呼ばれている錬金術師エナルル・ウェザーグリーンが開発した染料で、染めるのも落とすのも簡単という便利な品物。


 ぼくとスフィの毛量でも全部綺麗に染めるのに30分もかからない。


 水に弱く長時間は持たないという欠点があるけど、何よりコストが安い。


 主な使われ方は都度大きな布を染めてカモフラージュとかおしゃれ目的とか。まぁ安価で気軽に色を替えられるのが魅力な染料なのだ。


「いつ土で汚してるんだろうって思ってたにゃ」

「さすがに怒られたから……」


 言葉遣いは相変わらずスルーだけど、これに関しては割としっかりめに苦言を呈された。


 フィリップ練師たちの深すぎる懐と甘さに感謝やら呆れるやらでちょっと複雑。


 前世では髪色を変える理由もないし許可も出なかったせいか、染めるって発想自体がなかったんだよね。指摘されたときは電撃が走った感じがした。


 数日に一度染め直す程度でいいし、落としたければリムーバーを使って洗えば簡単に落とせる。強い染料とちがって肌への負担もない。


 ちくいち土で汚すストレスもないし、何でもっとはやく気付かなかったんだろうって思う。


「……あたしも染めるかにゃ」

「やる?」


 こっちだと遠国の出なのか普通に黒髪の人間も居るし、ノーチェの黒い毛並みも別段指摘されてるのを見たことがない。


「んー、やめとくにゃ、今は言われにゃいし」

「うん」

「むー」


 西側……というか光神教の総本山から離れるにつれて偏見も弱まっている。そのせいかノーチェの表情も明るくて、トゲトゲした感じが取れてきている。


 一方でそれなりに気に入っている様子の自分の髪の毛を染めなきゃいけないスフィの機嫌はちょっと悪い。


 迷信や偏見で嫌われるだけなら無視すればいいんだけど、金目的の悪党に追いかけ回されるのは頂けない。


「アルヴェリアにつくまでの我慢だから」

「わかってるもん」

「白い毛並も大変だにゃぁ」

「ほんと……」


 むくれながらぼくを抱きしめるスフィをなだめつつ、寮の部屋から見える海を眺める。


 海を超えた東側ならぼくたちでも飛行船を使える、そこまでいけばアルヴェリアまで後少しだ。


 あともうちょっと、頑張ろう。



 海辺の暮らしは今までの旅が嘘のようにのんびりしている。


「アリス練師、また塩つくり?」

「うん」


 今日の分の仕事を終え、設備を借りて海水から塩を作っていると、少し幸薄そうな男性錬金術師に声をかけられた。


 旅には、というか生き物には欠かせない塩。その利権は光神教会が握っている。


 海が目の前にあるにも関わらず、教会の許可なく塩の売買はできない。そのせいか普通に買うと結構高価なのだ。


 とはいえ封じられているのは取引そのものであって製造ではない。そこを突いて、パナディアでは普通に塩の製造が行われている。


 つまるところ、作るだけなら問題ないのだ。


 というわけで見習いのお兄さんに濾過された海水を汲んできて貰って、せこせこと塩作りに勤しんでいた。最初は精製し過ぎて透明でしょっぱいだけの塩が出来上がっていたけど、慣れてきた今は程よく調整出来ている。


 やりすぎはよくないってことだね。


「上手に作るねぇ」

「うん」


 塩の結晶を固めて四角い棒状にして並べ、半紙で包む。これを4本1セットで1日3セット。


 正直必要数には十分足りてるけど、保存がきくし収納スペースに余裕があるしちょっと楽しいしで作り続けてしまってる。


「うちの娘も錬金術に興味を持ってくれたら嬉しいんだけどなぁ」

「うん」


 この人、マイク練師はパッと見冴えない小太りの男性。ぼくと年齢の近い娘さんがいるみたいでよく話しかけてくる。


 正直話題が膨らまなくてちょっと困ってる、嫌いなわけではないんだけど。


「勉強には興味ないみたいでねぇ」

「ぼくも苦手」


 勉強好きな子っているんだろうか……あぁ、スフィは結構得意だった。


 たぶんうちのパーティ4人の中ではぼくがダントツで勉強苦手だと思う。成績って意味で言えばスフィが一番で、次にフィリアかな。


 ノーチェは経験則と聞いた知識頼りのぼくの意見をすぐに飲み込んで対応したりと、なんだかんだ地頭が良い。


「ははは、私も子供の頃は苦手だったよ」

「私は結構好きだったなぁ、勉強ばっかりしてた」


 隣で薬品を作っていた女性錬金術師が話に参加してきた。髪の毛を頭の後ろで結んだ眼鏡の人はマリナ練師、特に大陸西側では数少ない女性錬金術師のひとりだ。


「おかげでよく男の子たちに嫌がらせされましたよ」

「プライドってのは厄介なものだよねぇ」


 出身は東側らしいけど、中々に苦労してきたみたいだ。


「ま、そいつらの誰より高給取りになってやりましたけどね!」

「それで嫁ぎ遅れてりゃ世話ないよな、アリス練師も気をつけろよ……その見た目なら問題ないかもしれないけどな、マリナと違って」


 今度は席を挟んで反対側に居たボサボサ髪の男性錬金術師がマリナ練師にちょっかいをかけてきた。よく見かける光景だけど、ふたりの仲が悪いわけじゃないのは何となくわかる。


「フンッ!」

「あっぶね!?」


 脛に向かって容赦なく繰り出されたマリナ練師の踵を大袈裟に避けたボサボサ髪のカート練師が、椅子から転げ落ちる。


「埃」

「ちょっと、埃立てないでよ!」

「えぇ、俺が悪いのこれ!?」


 ぼくとマリナ練師の抗議の声が重なり、カート練師の情けない叫びに部署内で笑いが起こる。


 フォーリンゲンと比べて所属人数も少ないし、役職持ち以外は第1階梯だけ。規模としては小さいんだけど……ここの雰囲気は嫌いじゃない。


 旅の再開まで暫くのあいだ、ゆっくりと過ごすことが出来そうだ。

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