旧友からの贈り物

 この世界には、神と呼ばれるに足る者たちが当たり前のように存在している。


 中でも一際強大な力を持っているとされるのが、七柱(ななつはしら)の『神獣』。創世記に名を残す、神をも超越する神話の怪物たち。


 原初の空、夜明けを齎す者、太陽を泳ぐ蛇ソールオルム


 原初の闇、宵闇を照らす者、月に眠る大狼マーナガルム


 原初の赤、地脈を巡る者、星の火スターブラッド


 原初の青、大海を隔てし者、深淵の海リヴァイアサン


 原初の風、虚空を泳ぐ者、空の魚ゼピュロス


 原初の土、大地に眠る者、静かなる岳竜ミッドガルド


 原初の星、揺り籠を護る者、箱守の星竜オールレクス


 この神獣たちはおとぎ話の存在じゃなくて、確かに実在してる。


 天気が良い日に空を見上げると、稀に遊泳するクジラみたいな影を見ることがある。それが空の魚と言われていて、記録上は何千年も前から変わらず空を周遊しているらしい。


 箱守の星竜は言うまでもなく、アルヴェリアで守護竜として祀り上げられている実在の竜(ドラゴン)だ。


 神獣に関する書物によると星竜だけは代替わりをするみたいで、今代の星竜神オウルノヴァはまだ若いと書かれていた。


 それでも推定1万年以上は生きているとかで、途方も無い話だ。


 力だけで言えば一柱で世界を滅ぼしてなお余りある存在。それが世界のどこかに実在してるともなれば、ロマンを感じてそれを追い掛ける研究者も多い。


 参考になる書物の信憑性はともかくとして、後世に向けて残されている逸話も多い。


 そんな神獣絡みで語られる中でもっとも有名なのが、精霊と呼ばれる存在だ。


 主に神話の名残が残る未踏破領域に棲息していて、力に応じて下位精霊、上位精霊、精霊王、精霊神なんてランク分けして呼ばれるようになる。


 神獣の力の欠片から生まれた、神獣によって生み出された世界の管理者。諸説諸々あるけど、総じて言えるのは精霊は例外なく人智を超えた力を持っているってこと。


 神獣に次ぐと言われる精霊神ともなれば、その力は想像を絶する。



「永久氷穴のどこかに雪の精霊神様がいるって噂は聞いてたけど、本当だったなんて!」


 氷越しに聞こえる声から冒険者たちの動揺が伝わってくる。叫んでる女性は精霊使いらしいけど、相手が精霊かどうかって気配でわかったりするんだろうか。


「なんだよ、精霊神が氷穴の主ってことか!?」

「わかんないわよ! そうだとしたらどっちにせよ勝ち目なんてない! すぐに武器を捨てて!」

「ですが、もう攻撃してしまいました。逃してくれるとは……」

「そうだ、大人しくやられるなんてごめんだぜ!」


 冒険者側もどうするか揉めてるみたいだけど、シマエナガの方はなんか気配がすっごく静かだ。


「…………?」


 喧々諤々言い合う声、吹きすさぶ風の音。それに混じって妙な音が聞こえる。


 口で言うならゴゴゴゴゴ、地鳴りみたいな音が少しずつこっちに近づいてきた。


 それがハッキリと聞き取れるようになった頃、冒険者たちの言い争いが悲鳴に変わった。


「おい、おいおい! まてよ嘘だろ!?」

「ゆ、雪の壁が……」

「お願いします精霊神様、非礼は深くお詫びします、どうぞお慈悲を!」


 半狂乱になった精霊使いの女性の声が、地鳴りにかき消される。透明になっている氷越しに音の正体がようやく見えた。


「えぇ……」


 雪の壁が迫ってきていた。雪崩っていうか、ほぼ津波と言っていい大きさの雪の波。


「う、うおおおおお! 『空破斬(くうはざん)』! 『空波斬(くうはざん)』!」

「火よ! 猛る火よ! 風をまとい嵐と為り、煉獄を以て尽くを討ち滅ぼせ! 『荒れ狂う炎嵐ファイアディザスター』!」


 放たれる衝撃波の刃も炎の渦も、雪の津波に飲み込まれて消えていく。


 押し寄せる雪の津波は冒険者たちの悲鳴も何もかも、無慈悲に飲み込んでいった。


 ……揺れが収まり、天井が真っ白に染まって外が見えなくなる。


 困惑するぼくの前で突然、雪がぐるぐると渦巻いて丸い雪像を形づくった。


 雪像が出来上がるなり、ボコッと音を立てて中からシマエナガが姿を現す。ぶるぶると羽毛を震わせると身体についた雪があちこちに飛び散った。


「――キュピ?」

「君ってこの永久氷穴の主だったの?」


 雪の中を伝って戻ってきたらしい。こっちの力は見慣れてる。


 会話から気になっていた部分を尋ねると、シマエナガは不思議そうに瞬きをしたあと、首を縦に振った。


 あ、やっぱり主だったんだ。


 なんとなく冒険についてきてくれたらいいなと思ってたけど、住処を捨てろとは言えなくなってしまった。


 それにしても、あの冒険者たちは運が悪かったなぁ。眠りの罠を突破したのに、雪の津波に飲み込まれてしまうなんて。


「……?」


 自分の羽毛の中に頭を突っ込んでいたシマエナガが、ひょこっと顔を戻す。そのクチバシに見覚えがある仮面が咥えられていた。


「それって」


 長いカラスのような鳥のクチバシを象った黒いマスク。大昔の感染症の治療にあたった、ペスト医師と呼ばれている医者集団の使っていたマスクによく似ている。


 医療に詳しいペンギンのアンノウン……ドクターがつけていたものとそっくりだ。形状はもちろん、傷も色合いも。


「どうして君が」

「ジュルル」


 肌身離さずつけていたはずだから、それがここにあるってことはドクターは……。


 伸ばした手のひらに落ちてきたペストマスク。ひんやりとした革の感覚を懐かしんでいると、シマエナガは玄関の靴の上に転がっている鞄のひとつをつまみ上げ、振り回した。


 ベリっと音がして、中身がボロボロとこぼれ落ちる。ぼくが片手で持てるサイズなのに、出てくる量が明らかに多い。


 あの鞄も空間が拡張されてるアーティファクトか何かだったんだろうか。


 ……いまので完全に壊れたみたいだけど。


 鞄から出てきたのは明らかに質の高そうな杖やら剣やらローブやら……魔術師の持ち物だったのかな。


 何をしているのか見守っていると、シマエナガが派手な装飾のあるフードつきの黒いローブを摘んでぼくへ差し出す。


 ええっと。


「つけろって?」

「キュピ」


 いやあの、ぼく今熱があるから装備のお試しとかやってる余裕が。


「ピピッ」

「……わかった」


 せがまれて、仕方なく防寒具からローブに着替える。


 ローブを着た途端に寒さが一気になくなった。気になってローブの内側を見ると刺繍で術式がビッシリと刻まれてる。


 中身は装着者の身体から漏れる余剰魔力を使っての熱量操作かな。かなり古い術式だけどものすごく緻密だ。


 昔の名のある錬金術師が作ったものかも。


 素材自体もいいのか、サイズはぶかぶかだけど着ていて軽い。


 防寒具の重さから解放されたところでペストマスクを付ける。ちょっとぶかぶかだったマスクが、顔に当てるなりシュルルという音を立ててぼくのサイズにフィットする。


 ドクターのものと同じで、しかもシマエナガがくれたものだから警戒しなかったけど、ちょっとびっくりした。


 マスクの効果か、呼吸が一気に楽になった。ふらつきや目眩も大分マシになった気がする。


 ドクターのマスクにそんな効果があるなんて聞いたことなかったけど、物自体は昔の医者が使っていたものだからかな。


 動物園にきた客が投げ込んだマスクに普通のペンギンが近づいたことでああなったんだっけ。…………このマスクはぼく以外が使わないほうがいいな。


 鏡はないけど、黒いローブにペストマスク……謎の魔術師っぽい装備であることはわかる。この上からアルケミスト用のコートを着たら言い訳も出来ない。


 それで、ぼくにこの謎の格好をさせてどうしろっていうのか。


「キュピピ」

「乗るの? 背中に」


 着替えたのを確認すると、シマエナガは背中を向けて羽根をばさばさする。言われるがままひんやりする毛に埋もれながらしがみつく。背中側はそこまで羽毛が厚いわけじゃないようだ。


 掴まったのを確認するなり天井の雪を円形に開けて、ぼくを乗せたシマエナガが飛び出した。


「わっ……」


 鳥の背中に捕まって空を飛んでる感動よりも、寒さと風の強さに驚いた。


 それにしても津波の影響か微妙に雪原の形が変わってる。上を見るとしっかりと岩肌が見える、地下には間違いないみたいだ。


 雪原の真ん中に降り立ったシマエナガが片翼を掲げると、雪がモゴモゴとうごめいて中から大分顔色の悪くなった冒険者たちが出てくる。


「ぅ、ぅ……」


 冒険者は男ふたり、女ふたり。唇は青くなってるし呼吸も弱いけど、全員死んではいない。彼等の身体を包んでいた赤い靄は消えてしまっている。


 もしかして。


「手加減してくれたの?」

「キュピ」


 昔からぼくは目の前で人死が出るのを嫌がる。この子もそれを知ってるから、一応加減はしてくれていたようだった。


 気遣いは嬉しいけど、助けようにも直接顔を合わせるとトラブルの種に……ってああ、そのためにこの格好か。


「ジュルル?」


 助けるかどうかはぼくに委ねる、か。


 色々思うところはあるけど、感情のままに見捨てたらスフィたちにこの先言えなくなってしまう。


「話を聞いてから決めたい……守ってくれる?」

「キュピ!」

「ありがと」


 当たり前だと頷くシマエナガの頭を撫でながら、ぼくはひとまず冒険者を囲うようにかまくらを作りはじめた。

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