名残雪の海
「『
穴に飛び込んだ当初、膜を抜けると形容できる不思議な感覚があった。
その直後に肌に感じたのは突き刺すような寒さ。吹雪に巻かれながら落下していると、すぐに底が見えてきた。
即座に錬成を使って周囲の雪をかき集め、人数分の雪のクッションを作り上げる。
カンテラの影による錬金陣の構築もだいぶ使いこなせるようになってきた。
「……っ」
雪は地面にかなり深く積もっていたみたいで、ぼふっと音を立てて身体が沈み込む。
落下時間からして高さはそんなでもないのに、上を見上げても通り抜けた穴が見えなくなっている。
「意外と浅かった? 空間を抜けた? ……スフィ、だいじょうぶ?」
色々考えている途中で自分がスフィを下敷きにしてしまっていることに気付いて慌てて退いた。
「……スフィ?」
「んにゅ……」
スフィは雪に埋もれながら静かな寝息を立てている。
「ノーチェ、フィリア」
近くで雪に埋もれてるふたりに声をかけるけど、反応がない。
「『
即座に3人を覆いかぶさる程度のかまくらを作り、崩れないように固める。めまいで膝をつきながら温度計を確認すると、気温はマイナス20度と高めだった。
かまくらの中の気温を錬成である程度上げて、中の雪を整えて入り口を狭める。
そこまでやったところで、とうとう立っていられなくなった。
「スフィ、ノーチェ、フィリア……」
声をかけるも返事は寝息。あの状況で気を失う要素はない、明らかになにかの特殊な効果を受けている。
あぁもう想定外の出来事ばかりだ、ひとりでも起きてくれれば何とかなるのに。
後悔しても仕方ない。歯を食いしばって身体を起こし、ポケットからドアを引きずり出す。
「お、ぇ……」
枯渇によるめまいと吐き気を気合で抑え込み、錬成で雪の壁に埋め込んでドアノブに手をかける。
……力が入らない。意識を保とうと努力するけれど、浮遊感に近い感覚と同時に身体の力が抜けた。
■
「…………」
青空の下、雪原が広がっていた。青と白の地平線は、まるで雲海のようにも見えた。
「おじいちゃん」
ひとしきり周囲を確認してから、目の前に立っている老人に声をかける。
古ぼけたローブを着た、皺だらけの優しげな顔。記憶に新しい養親の錬金術師。
「……なるほど」
あの状況で倒れてしまったのに、寒さも疲労も感じない。
ここは夢の中……かな。
『ここは名残雪の海、生きる者と死者が別れを惜しむための場所です』
「うん」
聞き慣れた声でおじいちゃんが喋る。懐かしむような悲しむような、あるいはぼくに何かを教える時にたまに見せる困ったような。
いつかと同じような、懐かしい表情で。
『あなた方をこんなにも早く置き去りにしてしまったことだけが、私の生涯の心残りでした。特にアリス、あなたのことが気掛かりで仕方有りませんでした』
「……おじいちゃん」
おじいちゃんが空を見上げる。その表情は悲しげに歪んでいる。
『死者を振り切り、前を向けば吹雪が止み空は晴れる。それがこの海のルールです』
つられて見上げる透き通った青空には、雲ひとつ見当たらない。
「…………」
確かにぼくはとっくに過去を振り切ってる。
これは前世でたいちょーさんに習って身につけた思考法だ。
『あの時こうしていれば違ったかも』『ああしていれば結果は変わっていた』……そういう後悔は、いつか大事なところで鎖になって脚に絡みついてくるもの。
おじいちゃんが死んでしまったことは悲しかったし辛かった。
何でぼくたちを置いていったんだって恨む気持ちもあったかもしれない。泣いて悲しんでスフィと慰めあって。
ぼくにとっては過去の出来事になった。
そうやって割り切って前に進むことだけが、残酷な現実の中で心を乱さずにいられる方法。前世では周囲の人間ばかりが命を賭ける中、ひとり守られる立場のぼくが心を守るためには重要だった。
『きっとひとりでも歩き続ける事ができる、あなたが心配だったんです』
「……最近は、後ろを向くこともおぼえたよ。ひとりで進む気は、もうないから」
『そうですか』
だけど今はちがう。守られて、心の平穏を保って進むだけじゃない。
選択が間違っていても、時には道を戻って仲間のところに戻るくらいは出来るようになった。仲間たちと一緒にたくさんのことを学んで、一緒に生きていきたいと思ってる。
おじいちゃんの懸念は何となくわかる。何もかも割り切って進むのは、余計なものをぜんぶ捨てることにも繋がりかねないから。
こんなのでも人生2周目。特に前世では色んな人を見てきた。なにせ施設に集まるのは人生の終着点にたどり着いた人たちばっかりだ。
そういう人たちの話を聞いていると、大半の人間が"余計なもの"と呼ぶガラクタの中にこそ大事なものが混じっていることがわかってくる。
抱え込んだガラクタを全部捨てて軽快な足取りで進む人生は、ぼくにとっては空虚なものになってしまうだろう。
その生き方をするつもりはない。あの日、地下でスフィたちと一緒に死ぬ覚悟をした時にやめたのだ。
「だから大丈夫。会えてうれしかった」
『少しだけ、安心しました。…………アリス様、どうかスフィ様と共に友人方と仲良くなされませ。アルヴェリアにて無事ご両親とお会いできることを、"はじまりの海"から祈っております』
「うん……ありがとう。さようなら、おじいちゃん」
懸念が晴れたのか、おじいちゃんは穏やかな笑みを浮かべた。
思えば生前おじいちゃんはよく言っていた、『もっと周囲に甘えなさい』と。助けてもらわなきゃいきていけないのにと不思議がっていたし、スフィも憮然としていたっけ。
今にして思えば、自分すら切り捨てられるように無意識で壁を作っていたぼくの性質を何となく察知していたのかもしれない。
簡単な会話が終わると、おじいちゃんは空気に溶けるように消えていった。
幻覚か本物かもわからないけど、どうやら問答は無事に終わったらしい。
……ひと目会えて良かったのは本当だ。
空を見上げると、青空が溶け落ちるように消えていくのが見えた。
本当はもっと色々やり取りがあって、がんばって過去を振り切ったりするんだろう。
その状況で時間をかければ雪に埋もれてアウト……いやらしい罠だ。
そういえば、割とはじめから振り切っているぼくだったから軽い問答で済んだけど……他のみんなは大丈夫なんだろうか。
世界が溶けていく最中、また身体を浮遊感が襲う。
ハッと目を開いたところで、自分が文字通り夢を見ていたのだと理解した。
ふらつく頭を左右に振って顔をあげる。
次第に視界がハッキリしていく。自分の身体を確かめ、スフィたちが寝息を立てているのを確認したところで……"ソレ"と目があった。
「……?」
「キュピ?」
丸っこいシルエット、つぶらな瞳に小さな嘴。白い羽毛の羽根の部分には群青色のグラデーション。
崩れたかまくらの入り口で、ざっと2メートル以上はありそうなバカでかいシマエナガが、ぼくを見て首を傾げていた。
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