怪獣×2

 撤退を決めた翌日、ぼくたちは脱出の準備を進めていた。


 とにかく呼吸を最小限にするためカイロを含ませた布をマスク代わりにした。防寒は徹底しながら、ぼくはフィリアの背中で『錬成フォージング』を使い自分たち周辺の空気を動かして温度を上げる。


 気温が極端に低いのは穴の底だけ、中腹まで行けば最低限呼吸くらいはできるようになる。


「みんな準備はいいにゃ?」

「うん!」

「だ、だいじょうぶ」


 玄関の扉を空けて外に出ると、素早くドアを回収して穴蔵から出る。


「…………にゃ?」


 異常には、すぐに気付いた。


「あ、あれ? そんなに寒くない?」

「アリスがやったの?」

「まって」


 到着した当初は肺が凍りつくほど寒かった地下氷河、しかし今は寒さをあまり感じない。


 部屋の中で充分に暖まってきているし、意識はハッキリしていて眠気なんかもない。錬成で周囲の温度を上げるついでに酸素なんかにも気をつけている。


 その上で、いまの寒さは地上の雪原程度……しっかり着込んでいれば我慢できる程度だ。


 温度計を手に取り、確認すると同時に背筋に悪寒が走った。


 地球の文化や風習が流れ込んでいることから突っ込んでないけれど、こっちのセルシウス度は地球で使われているセルシウス度と同じ観測方法をとっている。


 なので地球の温度計とこっちの温度計で作りは違うけど示す数値の意味合いは変わらない。


「……マイナス、273度?」


 いま使っている温度計は補給物資の中に混ざっていたセンサー式の地球産、マイナスは273度まで一応測れるようになっている。


 マイナス273セルシウス度は地球で言う絶対零度。法則的にそれ以下の温度はあり得ないからそれ以下の数値は表示できるようにする意味がない。


「ちょっとまって」


 数値以上に、そんな中で寒さもあまり感じず動けていることがありえない。


 そこまでいってしまえば外に出るのは瞬間冷凍されるのと変わらない。錬金術でカバーできる範囲を遥かに超えている。


 慌ててポケットからペットボトル入りの水を取り出して放り投げる。少し離れたところに落ちたボトルがゴツっと硬い音を響かせた。


 放り投げてから落下まで3秒もないのに、完全に凍っている。なのになんでぼくたちは普通に動けて普通に呼吸できてる?


 意味不明すぎる異常事態に混乱しているうちに、異様に静かなことに気付いた。


 地面に転がるペットボトルから視線を外して、すぐ後ろにいるノーチェたちを振り返る。


 全員が氷河を凝視しながら、しっぽと耳の毛を逆立てていた。


 何事かと視線を追えば、みんなの視線の集まる氷の下に巨大な目玉があった。


 カンテラの光を反射して金色に光る瞳が、分厚い氷河の氷の下からぼくたちを見つめている。


 目があったことを理解すると同時に、一気に全身の毛が逆立つのが自分でもわかった。


「……静かに退避」

「…………」


 3人とも無言ですごい勢いで頷いてくれた。


 かなり負担は大きいけど、そんなこと言ってられない。自分の周囲の温度をあげながら音を立てないように後じさりする。


 目玉のサイズだけでも数メートルあるから、かなりの巨体だ。こんな環境下でそんなのと戦闘とか勘弁してほしい。


「ギャアアアアアアアア!」

「は?」


 退避をはじめた矢先の出来事だった。


 空中から人が降ってきた。防寒具に身を包んで、赤い宝石のついたブレスレットを腕につけた壮年の男性……"だったもの"が氷河にぶつかるなり砕け散る。


 一瞬石像だったのかと勘違いするけど、飛び散った破片を見れば、底に落ちた瞬間凍り付いたのだとわかった。


 恐怖と緊張からスフィが声にならない悲鳴をあげてぼくを抱きしめる。


 地響きが聞こえて地面が揺れる。男が降ってきた方角を見上げれば、崖の大分上の方に白い光がいくつも揺れているのが見えた。


 雄叫びのような声と同時に、上の方で氷が爆散する。


「っ、ノーチェ!」

「た、退避にゃ! 撤退!」


 巨大な氷が降り注いで、氷河に張った氷に穴を空けていく。スフィがぼくを背負うなり、それを避けながらみんなが走り出す。


「山椒魚……!?」


 空いた穴から顔をのぞかせたのは、のっぺりした顔で濃紺色の体を持つ4足歩行の爬虫類に似た生き物だった。


 穴から覗いた頭部だけで数十メートルはある、もう怪獣だ。


「にゃんだあれ!?」

「氷河の主みたいな」

「上の方にゃ」

「上?」


 落ちてくる氷は音で把握しているから、氷河の主の動きを注目していたのだけど。言われたとおりに上を見上げて絶句した。


 ビルみたいなデカさのアイスワームの顔が、氷の上から覗いている。


 落下してくる氷塊にまぎれて探索中だったらしい人間たちが落ちる最中に氷像になって砕けていく。あの巨大ワームに襲われて逃げてる最中に落ちたみたいだ。


 というか、あれが雪原の穴を作った主なんだろうか。


 状況は上のアイスワーム、下の山椒魚。


「……絶対にぼくからはなれないで」


 距離が離れると錬成で空気を調整できなくなる。範囲内にいてくれるなら例え気絶しようと維持してみせる。


「崖の方! 氷で塞がれたにゃ!」

「いまは離れることを優先して」


 絶対零度の異常気温、1体だけでもやばいなんてものじゃない怪獣が上から下からこんにちは。


 ふざけるのも大概にしてほしい。


 そりゃ不測の事態そのものはある程度考慮していたけど、こんな怪獣大戦争に巻き込まれるのなんて想定できるか!


 結果的に氷河の奥へと走りながら、背後を振り返る。


 うわぁ、山椒魚がアイスワームに圧縮された水を打っていて、アイスワームがそれを回避しながら削り出した氷を放っている。


 冗談だったのにほんとに怪獣大戦争になってる……。


 幸い……幸いでいいのこれ? 怪獣たちはぼくたちのような小さな獲物には目もくれず、ドシンバシンと地鳴りを起こしながらぶつかり合っている。


 それに3人は脚も速い、必死で走り続ければ交戦地帯から大きな怪我もなく距離を取ることが出来た。


 聞こえてくる悲鳴を意識して排除しながら、ぼくたちは地下の氷河を進み続けた。



「死ぬかと思ったにゃ……」

「ほんと……」


 どのくらい走り続けただろう。海原のように続く氷河をあてもなく進み、背後から聞こえてくる音が充分遠くなったあたりでぼくたちはようやく足を止めた。


「未踏破領域……なめてた」


 今までは遊びというか、入り口あたりをふらふらしていただけなんだなって思い知った。


 あの大穴……恐らく最深部への第一歩。そこから先は人間の立ち入っていい領域じゃない。


 こういった場所が未踏破領域と呼ばれている理由も、踏破した冒険者が英雄と呼ばれる理由も全部ここにある。


 環境が最大のトラップという感想そのものに変化はない。ないけど、そのうえであんな怪獣とやりあうことになるとか命が100や200じゃ到底足りない。


 前世では保護されたばかりの頃、似たようなエリア型アンノウンに調査の名目で放り込まれたことがあった。色々あったけど最終的には無事に帰還出来てたから、今回もどこかで気が抜けてたのかもしれない。


「もう帰るにゃ、ここ無理にゃ、あたしたちには早すぎたにゃ」

「うん、うん……」

「ふえ……ぐすっ……」


 ノーチェたちが寒さとは別の震えで身を寄せ合っている。ぼくもフィリアに背負われてるからちょうど真ん中に巻き込まれた。


 探索する時にもっと早く撤退を判断しておくんだった、反省しなきゃ。


 それにしても……。


「……」


 温度計は相変わらずマイナス273度。あからさまに異常な気温を示してる。


 今も自分たち周辺の大気を『錬成フォージング』して温度調整してるけど、せいぜいマイナス30度から50度。


 それでも息が凍るレベルなのに、肌で感じる寒さは説明がつかないほど穏やかだ。


 落下してきた人間が一瞬で完全に凍結したことから考えても、周囲の気温が異常に低いのは事実だろう。


 どうなっているのか確かめたいけど、チェックのためだけに命を賭けるのは無い。


 というわけで……。


「壁さがそ」

「んゅ」


 急に動いたりした結果、大気への干渉も大きく増えて既に魔力がきびしい。


 意識も朦朧としてきた。魔力を使いすぎると起きる枯渇症状だ。


 いまは氷河のど真ん中で周囲に壁面はなかった、迂闊に下の氷を動かすと下の液体にドボンしかねないので穴を作れそうな壁を探すしかない。


 走ってきた向こう側からはドシン、ドシン、アンギャーと怪獣同士の決闘の音が響いてきている。


 もうちょっと離れたほうがいいかな……。


「ついでにできるだけ離れるにゃ」


 スフィに背負われながら、壁面を目指して氷河の上を歩く。足元の氷の下には相変わらず水に似た液体が流れている。


 生物の影は見えない、流石にあの山椒魚みたいな魔獣はそうそう居ないみたいだ。


「……あれ? あそこなんかある」

「ん?」


 視線の先に、また大きな穴があった。


 近くまで行ってみると、ぽっかり空いた穴の下では吹雪が吹き荒れているようだ。近くに居ると風が吹き上がってきて寒い。


 遠くから様子を伺っている限りでは下がどうなっているのかまったく見えない。


 地下空間で吹雪なんて一際異常で、なんとなくこの下が最深部なんだろうってわかった。


 風で巻き上げられた雪がふわふわと目の前に舞い降りてくる。


 ただの雪なのに、なんだか不思議な感覚を覚える。


「近づかないほうがよさそうにゃ」

「うん」


 ノーチェに言われて穴を迂回して歩きだす。


「……ん?」

「どしたの?」


 何気なく温度計を確認すると、穴の周辺だけ気温はマイナス10度くらいになっていた。


「ちょいまって」


 ポケットからペットボトルを取り出し、キャップを開けて水を撒き散らす。


 穴の上から遠くに向かって扇状に飛ぶように。


 穴の周辺にはぱしゃっと音を立てて水が飛び散り、穴から少し離れたところでは地面に落ちるなり即座に凍り付き、やや離れたところでは空中で凍った粒がパラパラと軽い音を立てて落ちた。


 なんだこの冷気のグラデーション。


「……なにしてるにゃ?」

「こわい」

「は?」


 穴の周辺からして冷気の層が極端すぎる、どうなってるのこれ、こわい。


「穴の近くだけ暖かい」

「……言われてみればそうにゃ」


 氷点下の世界で暖かいって表現もおかしいけど。


 さすがはエリア型アンノウン、意味不明すぎる。


「どうするの?」

「逆に怖い、とにかくドアを設置したいから壁を……」


 言いかけたところでハッと来た道を振り返る。ぐらぐらと地面が揺れる音が近づいてきていた。


 ……まさかこっちに来た?


「やばいかも」


 巨体が動く音と、人間の叫び声みたいなのが合わさってこっちにくる。


「やばくにゃいか!?」

「は、離れようよぉ!」

「アリス、はしるからつかまってて!」


 穴を迂回しながらまた走り出そうとしたけど、少しだけ遅かった。


 巨大アイスワームに追い立てられるようにしながら、人間がものすごい速度で走ってくる。


「――にゃ!?」

「うおおおおおおおおおおっ!」


 人数は4人、極寒の世界にも関わらず軽装の上に防寒具を着ていて……うっすらと赤い靄のようなものをまとっている。


 そのうちのひとりが時折背後を振り返りながら矢を放つ。


 彼等の背後から追いかけてくるのは、4本ある牙のうち1本が欠け、あちこちに矢の突き刺さったアイスワーム。それから片目が潰れ、腕に巨大な切り傷の入った山椒魚。


 ……傷だらけの怪獣2体はどう見ても怒り狂ってる。


 モンスタートレインなんてどうでもいい単語が脳裏をよぎった。


「エンドポータルだ! このまま飛び込め!」

「まって、何か居る――子供!?」

「はっ!?」


 気がつけば突っ込んでくる4人組は目が合う距離にいた。ものすごい速度だ、下手するとスフィやノーチェより速い。


「なんでここに子供が!?」

「いるわけないだろ魔獣かなんかだ!」

「幻覚? 魔獣? 精霊!?」

「うおおおお! 飛び込めぇぇ!」


 何やらパニックを起こしながら、4人組が穴の中に飛び込んでいく。


 残されたのはぼくたちと、怒りに任せて突っ込んでくる怪獣2体。


 ……あれ、なすりつけられた?


「どどどどどうするにゃこれ!?」

「ノーチェ、穴に飛び込んで!」

「大丈夫にゃのか!?」

「あの人達かなり高位の冒険者、あの穴を知ってる風で躊躇せず飛び決断して!」


 怪獣が到達するまで目測であと1分もない。いろいろはしょっておかしくなった言葉でノーチェも色々察したらしい。すぐにぎゅっと唇を引き結んで叫んだ。


「飛び込めにゃーーー!!」

「いやああああああ!」

「アリス、捕まってて!」

「ばいばい」


 叫び声をあげながらみんな次々と穴の中に飛び込む。


 ぼくも迫ってくる怪獣たちに手を振りながら、スフィと共に吹雪の穴の中へと飲み込まれていった。 

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