フィルマ家の剣

「ヴィクトーリア様は心優しい御方なのだ」


 ぼくたちを連れて歩くカテジナは、どういうつもりか彼女たちの事情を話しはじめた。


「フィルマ家はアルヴェリア聖王国に領地を持つ伯爵家、ヴィクトーリア様は伯爵閣下のご令嬢であらせられる」


 静かで白い雪の中で、雪を踏む音と凛とした女性の話し声だけが耳を打つ。


「我々はとある目的で遠く離れたこの地を訪れた、この永久氷穴の深部にだけ咲くという雪華草という花が必要だったからだ」


 ……聞いたことがある。確かあらゆる熱病に効くっていう薬の原料だっけ。


 色んな新薬が開発されて、代替の選択肢も大きく増えた。今となっては求められる機会は殆どない。


 永久氷穴の領域外に持ち出してしまうとすぐに劣化が始まる上に、扱いも難しいのだ。


「探検隊を集め、永久氷穴の中央にある氷晶洞の中に挑むことになった」


 ところどころをボカしながら、カテジナは語る。


 パナディア港で腕の立つ冒険者をかき集め、永久氷穴への潜入隊を結成したこと。


 あのお嬢様はアルヴェリア聖都にある王立学院に学籍を持つ優秀な魔術師であり、とある事情で自ら家臣を率いてこの未踏破領域に雪華草を手に入れに来たのだと。


 雪華草自体はなんとか手に入れることが出来たものの、トラブルがあって二手に分かれ家臣団だけで逃走するはめになってしまったのだという。


「探検で物資も使い果たし、逃走の途中で仲間も失った。……しかし私は代々フィルマ家にお仕えする騎士として、何をしてでもお嬢様を生還させねばならない」


 カテジナが足を止める。


 会話も止まった白い世界で、雪をはらんだ風が頬を冷やす。


「……食いもんなら多少は融通してやるにゃ。あと半日もあれば雪原は抜けられるにゃ」


 かすかに滲み出る狂気に、ノーチェが緊張しているのがわかる。


 幸いというべきかこっちには大分余裕がある。何しろぼくたちの進行ルートは雪原の端を突っ切るだけだ。


 カモフラージュとしてフィリアが背負っているリュックの中にいれてある食料だけなら、全部渡したところでそこまで痛くはない。未踏破領域の中で目的地(アルヴェリア)の貴族関係者と対人戦とかをやるほうがよっぽど痛い。


「それは良いことを聞いた、我々も役目を果たすことができそうだ」

「…………」


 でも、その取引をするためにわざわざ仲間からぼくたちを離した理由がわからない。


 カテジナが進行方向右手に視線を向ける、吹雪でよく見えないけど……雪原に穴が空いてる?


「フロストホール」

「にゃ?」

「この雪原にところどころ存在する穴だ。永久氷穴の主とも呼ばれる、巨大なアイスワームの通った跡だそうだ。恐らく事実だろう、我々が雪華草を見付けたのはそいつの寝床でな」


 嫌な予感がする。こいつらがアイスワームに追われていたのは、もしかして。


「奴らは縄張りに侵入した敵を追い続ける。我々もさほど時間をおかず追撃を受けるだろう……しかし、その途中に奴らの好む獲物がいれば話は別だ」

「お前、もしかして」

「……すまないとは思っている」


 振り向いたカテジナの瞳には感情が無い。


 一見すれば主のために心を鬼にしているように見える。


 残念ながら、ぼくは前世でこういう相手をよく見ていた。


 研究者に多かった、使命というお題目で自分の心を覆い隠して立ち回る厄介なやつら。


 表情だけはうまく隠しているけど、心音は微かに興奮の兆候を示している。


「…………手持ちのポーションと食料は渡す、領域を出るまで迎撃にも協力するっていうのは?」

「アリス?」


 試しに提案を投げてみる、"普通なら"願ってもない好条件だ。


「残念だが受け入れられない。勿論おまえ達のような孤児にこそ、お嬢様は慈悲を示すだろう。ならばこそお前たちがお嬢様を狙わないとも限らない、この状況で余計なリスクを背負うわけにはいかん」

「あたしらはそんなことしにゃい!」

「生まれも育ちも賤しい孤児の言葉など、そもそも信用出来るものではない」


 誰もが同意するだろう、もっともらしい言葉で拒否するカテジナは……案の定心音が少しずつ大きくなっている。


 反応の小ささから無意識だとは思うけど、楽しんでる音にしか聞こえない。


「その穴の底もまた、奴らの縄張りだ」


 硬くて不味そうな獲物を追っている最中に、肉の柔らかそうな子供が4人。


 確実にこっちを狙ってくるだろうね。


「……それで、どうするつもりにゃ」

「ぐるるるる……」


 ここまできて空気が読めないほど、みんなは間抜けじゃない。


 ノーチェが剣を抜き、スフィは姿勢を低くして唸る。


「風よ、我が歩みを助け、彼の地へと運べ『追い風纏いウィンドウォーク』」

「移動系の魔術! 気をつけ――」


 相手が唱えたのは移動速度を上げる魔術だ、警告にふたりが反応するより先にカテジナはぼくたちへと一直線に走ってきた。


「あっ」

「ぐっ」


 防寒具の襟首を捕まれ、スフィから力づくで引き剥がされる。


 深くなっていた雪で足を取られ、防寒具で動きが鈍っていて、充分に目で追える速度なのにカテジナに対処しきれなかった。


「待てっ!!」

「待つにゃ!」


 カテジナはぼくを掴んだまま雪の中を走り、直径数十メートルはありそうな縦穴の近くで足を止める。


 ……どうするか考えている間に、防寒具の襟を掴んでぼくを穴の上へとぶら下げた。


 ヒュオオオという風音が耳を打つ。


 穴の大きさに対して高さはそこまでじゃない、数メートルってところ?


 たぶん粉雪が積もっているからだ。


「あ、あわわ」

「アリスッ!」

「てめぇ! 何するにゃ!」

「武器を捨て、荷物を供出して貰おう」


 完全に人質になってしまった、状況は最悪だ。


「そいつにこれ以上なにかしたら許さにゃいぞ!」

「許されるのだ」


 カテジナはショートソードを腰から抜き、ぼくの首に押し当てる。


「グルルルル!」

「……裁判所に訴えたところで、貴族とその従者の発言の方が重視される。東側でも、それはかわらない……ぜぇ、西のこの地なら、ぜぇ、獣人の孤児の訴えなんて、通らない」

「そういうことになる、必要以上に傷つけたくはない、大人しく言うことを聞いてほしい」

「このッ……!」


 この落ち着き……。


 こいつらの実力でこんなバカでかい穴を作るようなアイスワームから逃げ切れるとは思えない。囮にしたんじゃないのか。


「ぜぇ、お嬢様が知ったらかなしむんじゃない?」

「おまえ達は我々に厚意で荷物を譲り、先に進むんだ。しかし残念ながらアイスワームに襲われて全滅してしまう……。お嬢様にはアルヴェリアの獣人共同墓地にお前たちを弔うことを進言しよう、せめてもの手向けだ」

「げほっ、なるほど、そういう筋書きか」


 本当に気付いてないのか、気付いてない振りをしてるのかは知らないけど。過度の忠誠心も狂信者と大差ないな。


「そんなの! 誰が信じるにゃ!」

「尊き貴族の言葉と下民の言葉では重さが違う。私も下級とは言えアルヴェリアの貴族、お前たちとは血の尊さが違う」

「フィルマ家がどんな家かしらないけど、げほっ、わずかな恩で立派な領主一族から金をたかろうとする獣人の孤児って言われたら……ぜぇ、まぁ貴族側を信じるだろうね」

「……随分と落ち着いているな」


 カテジナの実力はおおよそわかった。弱くはないけど、みんなでやろうと思えば勝てる。だけどこいつの言う通り、お嬢様を含めて全滅させない限り指名手配は免れない。


 これから船に乗って外国に行こうってタイミングでそれは痛すぎる。


「ノーチェ、ぼくたちの負け」

「ぐ、ぬ……ぎぎ」


 ふたりは間違ったことをしてないけど、今回は運が悪かった。


「……フィリア、だすにゃ」

「うぅ……」

「そうだ、素直に従え。仲間は大事だろう?」


 フィリアがリュックを置くと、カテジナは剣で荷物から離れろと指示する。


「地獄に落ちやがれにゃ」

「あぁ、私は地獄へ落ちるだろう。お嬢様のためならそれでいい……下がれ」


 ノーチェの捨て台詞にもまったく動じていない。自分に酔ってるような物言いだけど、見下してるのがみえみえだ。


 今は何もできないけど、フィルマ家か……覚えておこう。


 これでけっこう根に持つタイプなんだ、いつか目にもの見せてやる。


「ッ」

「アリスッ!!」


 唐突に身体を浮遊感が襲う。穴の内部へ向かって投げ捨てられたと気付いたのは、血相を変えたスフィがぼくに向かって走ってくるのを見てからだった。


 落下時間はほんの数秒、雪が深く積もっていることを期待しながら手足を伸ばして受け身を取る。


 ぼふっという音を立てて、着地の衝撃は雪が全て受け止めてくれた。軽いおかげもあって、身体もそんなに埋まってない。


 想定通り、柔らかい粉雪がクッションになってくれた。争う声を聞きながら上を見上げた瞬間、こっちにむかって飛び込んでくるスフィの姿が見える。


「……ぁ」

「あっ!」


 勢いをつけたスフィの瞳が真ん丸に見開かれる。


 そっか、あっちからじゃ穴の深さや底の状態が見えないから焦っちゃったのか。見た感じじゃ仮に放り投げられたとしても、落下じゃ怪我すらしないだろうと思ったから落ち着いてたんだけど。


 埋もれていて回避は間に合わず、押し倒される形で更に深く埋もれた。


 落下よりこっちのほうがダメージ大きいなと思いながら、衝撃で意識が暗転したのだった。

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